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死体探しの夏

作者: 衣魚

 山の裾野に沿って広がる段々畑のあぜ道を、僕は一人歩いていた。蒸し暑い大阪とはまるで違う、爽やかな夏。まだ少し、緑色の多く混ざった稲穂を、涼しいというより冷たい風が揺らし、葉のこすれあう音をさざ波のようにこの村へと伝わせていく。蝉の声は、どこか遠い。

 風の方向には、小さな積乱雲が、真っ青な空に白く鮮明な塔をたてていた。遅かれ早かれ、あの雲は空を飲み込み、ここら一帯をどしゃ降りにする。僕は急いだ。川原で友人と待ち合わせしていたのだ。

 川原へ下りる石段の入口に、友人――Nは立っていた。川で遊ぶ小学生たちを、目で追っているようだった。

 あいつらどっかいくん待つか? と訊ねると、Nはかぶりを振った。長くうねった黒髪が気だるく揺れた。俺、年下の女の子好きやから。「年下過ぎるやろ」と僕は笑う。Nは何も答えず、ただ唇だけを歪ませて、草の繁った石段へ足を踏み出した。

 Nと僕は中学生時代、卓球部のダブルスのペアだった。ただそれだけの関係で、特にNの家に遊びに行ったりしたことはない。高校も違う。友人かと訊ねられれば頷くし、ただの知り合いかと訊ねられても、僕もNも、きっと頷くことだろう。

 一緒に遊んだことは、一度だけあった。その一度だけが、僕とNを繋ぐ絆であり――それ以上の交友関係を絶った、傷でもある。

 絶え間なく変わる水面の前に屈んで、Nと僕は手を合わせる。小学生の視線を身体中に感じながらも、ただ手を合わせることだけに集中する。

 あの夏のお盆、僕らはここで遊び、一人の友人を亡くした。彼の死体はまだ、見つかっていない。

 大学、楽しいか。目を開けると、Nが訊ねてきた。Nは水面を見つめたまま、口を半分開いている。まあまあ、と答えると、Nは「そうか」とため息を吐くように言った。僕はNに訊ねる。Nは何しとるんやっけ。ニート。Nは即答する。蝉の声がじんわりと耳に溶け込んでから、「泳ごか」とNは笑顔でこちらを振り向いた。

 知らず知らずの内に、僕たちは彼の死体を捜していた。水面を蹴って、三メートルほどの水の層を一気に潜って、飛び込み岩の隙間を息が切れるまで捜索する。川底の小石を手当たり次第に掘る。見つからないことは、分かっている。だから僕らはがむしゃらに捜す。互いに声一つかけない。川の水温は冷たく、流れに乗って次々と、山の上からの冷たい水が身体に触れて過ぎ去っていく。身体はすぐに冷え、僕は水面から顔を出すたび寒さに肩を震わせた。

 何十回目かの息継ぎで僕は気づく。さっきまで周りにいた小学生たちがいなくなっている。空を見てみると、重苦しい鈍色の雲が、地上を圧迫するかのように立ち込めていた。瞼を大粒の雨が叩いたかと思うと雷が轟いた。

 Nと僕は川から上がると、川原に生えた大木の下で雨が止むのを待った。

 あいつの骨一本でも見つかったら死のう思ってるんや、いっつも。Nは川を見つめながら言った。こんな毎日になったんはあいつのせいや。死なれへんのも、あいつのせいや。あいつの呪いなんや、全部。

 僕も同じことを考えていた。Nはきっと、大学楽しいかの問いの答えを、嘘っぱちだと見抜いているだろう。

 どうなるんやろ、この先。僕らは枝の隙間から覗く空を見つめた。雲は依然として黒く渦巻き、雨の勢いは止まない。ええことあるんかな、このまま生きてて。Nが呟く。だけど僕らは死ねない。あいつの呪いで死ねない。生きなければならない。

 僕は立ち上がり石段の方に目を向けた。行こう。僕は言う。雷が鳴る。「濡れて帰ろう」

 Nは、どうせずぶ濡れやしな、と立ち上がった。ぬかるんだ沼のような道へ、一歩踏み出した。


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