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黒色発光ダイオード

 クラシック音楽のDVDを鑑賞しながら、一人、コンビニ弁当と缶ビールに舌鼓を打つ至福の夜。インターホンが鳴った。重い腰を上げ、ドアスコープを覗く。魚眼レンズで膨らんだ、見慣れた作業着。同期の山野だった。

「ちょっと、いいだろうか…」

 山野は思い悩んでいるような、真剣な口調だった。俺は彼に分からぬように小さく溜め息をついてから、ドアを開ける。

「どうした」

「いや、ちょっと…。入ってもいいかな」

「いいよ。散らかっているけど」

 俺は謙遜しながら、山野を聖域に招く。山野はきょろきょろとあたりを見渡し、

「いや~、全然きれいだよ。いい部屋だな」

 などと誉めたてる。独身寮なので、部屋の概形は、山野の部屋とほとんど同じ。俺はつくづくため息が出そうになる。

 エンジニアというのはえてして、孤独を溜め込む。人付き合いが好きとか嫌いとか、チームワークが必要とか分業化が重要とか、そんなことはともかく、誰しもこれ以上は譲れない、というスレッショルドを持っているように思う。

「で、なんだ話って」

 ローテーブルの前に胡坐をかきながら、俺は尋ねる。

「いや、…実は見て欲しいものがあって」  

 山野は小脇にかかえていたプラスチックの箱を目の前に差し出した。中にはコードや素子が見える。

「おいおい、仕事の話なら、会社でやればいいじゃないか。あんまり根詰めるなよ」

「いや、そうじゃないんだ。これは、今やってる仕事とは関係無い…。とにかくとんでもない事になったんだ。電源、ある?」

 俺はしぶしぶテーブルの上の食品を脇にどけ、ソファの下から直流安定化電源を取り出した。

「これ、僕が秘密裏に開発していたものなんだけど、ついに、ついにできたんだよ」

 云いながら山野は、ブレットボード上に配線を施す。回路の主役は、見慣れない小さな素子だった。パッケージは灰色で、二端子。端子の接続部に手作り感があるが、几帳面な出来だった。100Ωの電流制限抵抗を介し、電源に接続される。非常にシンプルな回路となった。

 俺は煙草に火をつけながら、山野の太い指をぼーっと見つめていた。

「ぜぜ、絶対に、秘密だからな。安田君には特別だよ」

 山野は厚い眼鏡の奥から、暑苦しいほど真剣なまなざしを向けている。

「分かった。さ、見せてもらおうか」

「うん…」

 山野がスイッチを入れる。ボリュームをひねると、テスタが示す電圧値が徐々に上がり、約3.3Vに至った。

 一体何が始まるというのだ。信頼されていることは、もちろん嬉しい。しかし、山野の救いようのない愚直さを見ているのは、なんだか嫌悪感が無いでもない。だいたい、

 俺たちの技術畑で、世紀の大発見なんてことが…

「な、何…?」

 俺は煙草を落としそうになった。

 闇!

 漆黒の、闇!

 灰色の素子を中心として、闇が現れたのだ。闇は煙のように、しかし速やかに流出していた。

「な、なんだこれ? 大丈夫なのか!?」

 俺は狼狽し、のけぞる。匂いは無い。広がりも一様だ。気体ではない。

 山野はにやりと満足げに笑い、スイッチを切った。闇はすぐに消える。

「黒い光だよ。僕ね、黒色発光ダイオードを開発したんだ」

「黒い光? 馬鹿な」

「ほら、触ってごらんよ。何の感触もない」

 再び山野がスイッチを入れる。素子はまっ黒く変色し、その姿形は黒いもやの中に消える。山野は躊躇いもせずに闇の中に手を突っ込んだ。俺も恐る恐るそれに倣う。数センチ先の自分の掌が、見えなくなる。真の闇。

「ブラックホール…。光を、吸い込んでいるってコトか?」

 俺は煙草を灰皿に押し付けながら、山野に訊く。

「いいや、それは違うんだよ」

 山野の眼鏡が、きらりと光る。

「普通のLEDと同じさ。電圧をかけ、電流を流して、光を取り出す。このとき、電気エネルギーは光エネルギーや熱エネルギーに変換される。

今、僕らはこの素子に、電源を繋いでいる。電気エネルギーを食わせてるってことだ。エネルギー保存の観点からすれば、この素子は何らかの形でエネルギーを発さないと帳尻が合わない。吸い込んでいるんじゃない。発しているんだ。この黒い光をね」

 俺は唖然とした。まさか、まさかこんなことが。

「熱特性はどうなんだ? 調べたのか?」

 俺は精一杯、理性を保つ。しかし山野のほうが、はるかに理性的だった。

「ああ、もちろん調べたさ。発熱は全くない。そもそも、こうして触ってみても分かるだろう? 熱くも冷たくもない」

 山野が俺の手を摑み、素子へと誘う。そこには確かに、石の感触があるだけだ。

「スペクトルも一応測ってみたけど、今ある装置じゃ観測できない波長だ。つまり、この黒色発光ダイオードは、光という存在自体、あるいは熱力学の法則か、いずれかを根底から覆す、すごい発明なんだ…」

 山野は目と口元を大きく歪めて黒い光を見つめている。俺は背筋が凍りそうになった。狂気だ。彼の愚直な研究努力が、物理世界のとんでもない領域に達してしまったのだ。応用先はともかく…ノーベル賞なんてもんじゃないぞ、これは!

「ど、どうして俺に…」

 絶句しかけた俺が最後に出した質問はそれだった。

「いやいや、だって安田君、此処に就職して初めて話しかけてくれたじゃないか。皆僕の事をキモイって避けていたけど、安田君だけはそうじゃなかった…。だから、誰よりも先に知ってほしかったんだ。僕の研究成果を…」

 俺は感動よりも、怖気で涙が出そうだった。黒い光。掌の上にある得体の知れない領域。俺を非日常へといざなう魔界の扉にしか思えなかったのだ。

「まあ、とにかく今夜はもう遅いし。デモンストレーションはこのくらいで。とりあえず見てくれてよかった」

「あ、ああ…」

 山野はスイッチを切り、大切そうに黒色発光ダイオードを仕舞うと、鼻歌交じりに出て行った。俺は生気を失い、ソファに沈み込んだ。

 エネルギー保存の法則。この世の大前提。入ったものは出てくる。ひとりでに増えたり減ったりしない。きっと中学生だった理解できるであろうこの世の真理。それが、今夜、ねじ曲がった。暗黒物質、ダークマター。ダークマター。ダークマター…。

「ああああ」

 俺の意識は、クラシックも弁当の匂いも届かない果てしない闇の中に、墜ちていった。


 翌日。俺は例の黒色発光ダイオードの熱特性を再検討しようと考え、澄み切った頭で出社した。

 何かの間違いだ。きっと熱特性に変化が表れているはずだ。

あるいは音波とか、電磁波としてエネルギーがリークしているなど。エネルギーの形はたくさんある。それを全て検討しないうちには、エネルギー保存則の乱れを認めるわけにはいかない。

 いつもの出社時刻よりも早く作業着に袖を通し、俺は山野の居るはずの実験室に向かう。やつはこの時間には、もう作業をしていた。

 と。

 何やら様子がおかしい。ドアが開きっぱなしだ。まさか、早くも権利をめぐって事件が…? 俺は恐る恐るドアノブを押し、室内を見る。

「なっ…」

 散らかっていた。

 あらゆる台が、床という床が、壁という壁が、散らかっていた。

 試薬、実験器具、素子、配線、論文、数式。それらに一切の秩序は無い。嵐に遭ったとしても、ここまで酷くはならないだろう、という程の乱雑さ。俺は瓦礫の山を踏み入りながら、山野の姿を探したが、案の定、混み合った空間の中、彼の姿だけは見つからなかった。もう二度と帰ってこないだろう、と俺は感じた。

 乱雑さ。不可逆性。

 ああ、そうか。

 言葉を失いながら、俺は悟る。

 エンタルピーじゃない。エントロピーが増大したのだ。あるいは努力が報われた、とでも。

 いずれにしても、熱力学法則は保たれた。俺は高らかに笑った。


 END

 いかがでしたでしょうか?

 今回はちょっと力を抜いて書いてみました。

 感想等頂けると嬉しいです。次の作品を書くエネルギーに変換します。

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