第5章-守護天使の恋-
(…圭一君って天才だっ!!)
浅野俊介は、ステージでパートナーの「木下雄一」と激しいダンスを披露している北条圭一を客席から見て思った。
圭一が所属しているユニットはいくつかあるが、その中の1つがこの雄一とバートナーを組んでいる「First」だった。元々はこのユニットがデビューだと言う。
ステージで圭一がマイクを持ち直して歌いだした。オペラを歌う時とは全く違う、低い男らしい声。
踊りながらにも関わらず、声がぶれていない。
(なんか…いつものお坊ちゃんらしくなくて、大人っぽくなるんだなぁ。…でも、僕はオペラを歌う圭一君の方が好きかな。)
そう思いながら、浅野はステージで汗を飛ばしながら歌い踊る圭一を見ていた。
曲が終わった。周りのファンから歓声が上がる。浅野が思わず耳を塞ぎそうになるくらい、奇声が飛び交った。
浅野は苦笑しながら拍手をした。
隣に座っている圭一の恋人のマリエが、拍手をしながら浅野を見た。
「耳痛いでしょ?浅野さん。」
「すごいですね。…こんな大スターと自分が一緒に仕事をしていることが信じられないですよ。」
浅野がマリエに言った。マリエが笑った。
マリエは圭一より2歳年上で、日本人とフランス人のハーフであるが、フランス人の血の方が濃いようだ。目は蒼く、肌は透き通るように白い。髪の毛は金髪だそうだが、目立つという理由でいつも濃い茶色の長髪のかつらをかぶっている。
圭一と雄一が客席に手を振り、上手に去って行った。
司会者が現れ、次の曲の紹介をしている。
浅野とマリエはそっと席を立ち、客席を後にした。
……
「浅野さん!ありがとうございました!」
汗を拭きながら圭一が言い、手を差し出した。浅野がその手を握った。
「また違う圭一君が見られて感動したよ。」
「ありがとうございます。」
圭一がタオルを首にかけると、マリエがペットボトルのミネラルウォーターを圭一に手渡した。圭一とマリエはためらわず「チュッ」とキスをした。
「!!」
浅野が面食らった。後ろで雄一がくすくすと笑っている。
「圭一、浅野さんがびっくりしてるで。」
それを聞いた圭一が顔を赤くした。マリエが「フランス式ね。」と浅野に言った。
「いや…構わないけど…。びっくりしたよ。」
浅野が頭を掻きながら言った。圭一が「すいません」と言った。
「あ、雄一…」
圭一が雄一の傍に寄って言った。
「明日な、新曲の打合せがあるんやて。雄一のユニットの収録時間て何時からやった?」
浅野はまた圭一の大阪弁に驚いた。圭一の出身は大阪だとは知っていたが…。
「明日は、昼の1時から4時まではおらへんで。」
「そうか…ほんなら、帰ってくるの待ってるわ。」
「ええんか?」
「うん。またバーも手伝うつもりやし。」
「わかった。ほんなら5時ごろって思っといて。」
「わかった。」
マリエが圭一に呼びかけた。
「ケイイチ、外で待ってるから。」
「うん。」
マリエが出て行った。
浅野が一緒に出て行こうとした。
「浅野さんはいいんですよ。男同士だから。」
圭一が笑いながら言った。
「いやそうだけど…マリエちゃんと一緒にいるよ。」
「わかりました。」
圭一が会釈した。雄一が奥で頭を下げている。
浅野も返礼して、部屋を出た。
……
明良が車の横に立って待っていた。
圭一達が明良に駆け寄った。
「お疲れ様。」
明良がそう言い、運転席に乗った。圭一、マリエ、雄一が後部席に、浅野が助手席に乗った。
(副社長が自らお出迎えか…)
こういうところは、ちゃんと経費節減してるんだな…と浅野は思った。
……
「雄一君は家かい?」
明良が運転しながら、バックミラーで後部座席をちらと見ながら言った。
「はい、ありがとうございます。」
「圭一とマリエはうちだな。」
「うん。」
浅野は「え?」と言った。
浅野はバーの仕事があるので、プロダクションだった。
「あの…じゃあ、私は適当なところで降ろしてもらえれば…。副社長も家に…」
「ああいや、私は仕事があるので、プロダクションに戻りますから、いいですよ。」
「そうですか。」
浅野はほっとして言った。
……
雄一、圭一、マリエを降ろして、明良と浅野の2人だけになった。
黙っていると、息が詰まりそうなので、浅野が口を開いた。
「相澤プロダクションは、社内恋愛に寛大なんですね。」
「あー…タレント事務所によっては禁止してるところもあるようですね。」
明良が言った。
「でも、若い子に社内だろうが社外だろうが恋愛を禁止するのは可哀相ですよ。それで人気がなくなるとかいいますが、今は時代が違います。なくなる時は他の理由でもなくなるんですから。」
「…なるほど…」
浅野がうなずいた。(いい人だなー)と思った。
「ん?」
明良が何かに気がついた。
「すいません…ちょっと時間いいですか?」
「?はい。」
バーのオープンまで、後1時間はある。
明良がハザードランプをつけて、車を路肩に寄せた。
浅野も気がついた。歩道に女性がうずくまっている。
明良が車を降りた。
浅野もドアを開いてでようとした。
だが、心臓がドクリとした。
明良が「どうしました?」と女性の背中に触れた。
「!副社長!!」
浅野が叫んだが遅かった。
明良が頭に手をやり、その場に崩れ落ちた。
女が明良に手を伸ばした。
浅野は人差し指を額にかざし、「転送!」と言った。
女が消えた。どこへ飛ばしたか浅野にもわからなかった。
本当は封印したかったのだが、紋を描く間がなかったのである。
浅野は明良の体を抱き上げ、開いたままのドアから、助手席に座らせた。
……
浅野は車を走らせた。明良は目をさまさない。
(あの女は副社長に何をしようとしたんだ?)
浅野はあの女の悪魔が、明良に危害を与えようとしたのではないように思えた。
浅野は気を失っている明良をちらと見た。
(…色男というのは、この人のことを言うんだな…)
浅野はそう思った。ふとバックミラーを見ると、さっきの女が後部席にいる。
「!!」
浅野は危険を感じ、車の少ない海の道へと入った。プロダクションとは真反対方向だが仕方がない。
浅野はブレーキを踏み車を止めた。この女形の悪魔は、前の悪魔と違って大した力はないようである。
浅野は後部席にいる女に振り返った。
「副社長に何をするつもりだ?」
「魔界に連れていくの…」
「!?…」
「私と一緒に魔界で暮らしてもらうの…」
「勝手な事を言うな!この人にはもう奥さんと子どもがいて、今、幸せな生活をしてるんだ!」
「私だって悩んだわよ!でも…本当に好きなんですもの…」
「…ちょっと待て…お前悪魔じゃないな…副社長の守護天使か!」
女はうなずいた。
天使が人間を愛してしまうと天から落とされる。…つまり堕天使となる。また人間界で交わって子どもを作ってしまったら、産まれてきた子どもまでが悪魔になってしまうのだ。
つまりこの女はもうこの時点で堕天使なのだが、もしかすると明良と交わる事まで考えているかもしれない。そのために女形になっているのだ。
産まれてくる自分の子が罪もないのに魔界へ落とされることをわかっていて、その上明良の幸せな生活を奪ってまで貫こうとするこの女の愛は、天使的にも人間的にも誤っている。
「お前それでも守護天使か!!」
「いいの…もう天使じゃなくなったんだもの…。」
「それが勝手過ぎるって言うんだ!!」
「だって私は、誰よりもこの人と長くいたのよ!!」
「…そりゃ…守護天使だからそうだろうけど…だからこそ、この人の幸せを奪ってはいけないんじゃないか?」
女が泣き出した。
「だって好きなんだもの…」
「わかるけどさ…これだけ色男で、幼い時から苦労してて、性格もよかったら…そりゃ惚れてしまうのもわかるけど…それならリュミエルを見習えよ。リュミエルは圭一君を愛したために堕天使になってしまったが、圭一君に純愛を貫くためにずっと男姿で…悪魔になっても傍にいるんだぞ。それこそが本当の愛じゃないのか?…副社長が不幸になろうと自分と一緒に魔界に来て欲しいと言うのは、天使じゃなくても間違ってるよ。」
「…いいの…誰にも私の気持ちなんかわからないの…」
「ああ、わからないね!そんな自己中心的な…」
浅野ははっとした。明良の頭が動いたのだ。
「…ん?…僕は…?」
明良が浅野を見た。
「…?…どうしてあなたが運転を?」
「え…いや…その…」
「あ!…あの人は!?…道でうずくまってた…」
「あ、ああ…ここにいますよ。病院に連れて行こうと思ったんですが…。」
明良は後部席の女を見た。
女は目を見開いて明良を見ている。守護天使がマスター(主人)に気付かれることなんてそもそもないことだ。
…しかし女はもう天使ではないが…。
明良は「良かった…」と言って微笑んだ。
「すいません。どうも私の方が具合が悪くなってしまったようですね…。時々あるんですよ…」
明良が浅野に申し訳なさそうに言った。
「!?時々?…よく倒れるんですか!?」
「ええ…このところ頻繁に…」
浅野は思わず女を睨みつけた。女が下を向いた。
(おまえ…副社長に気を失わせて何をやったんだっ!!)
そう言いたいが、言えない。
浅野は「とにかくプロダクションに行きましょう。」と言った。
「え?でもこの方を病院に…」
「いえ。もうすっかり具合がよくなったようなので、副社長をお送りしてからこの人を家までお送りしますよ。ちょっとお車お借りすることになりますが。」
「それは構いませんが…でも私は後で…」
「だめです!今は副社長の方が顔色が悪い…とにかくプロダクションに戻って休まれた方がいいです。」
「…そうですか…」
明良は後部席の女に再び向いて、申し訳なさそうに微笑んだ。
「すいません。…助けるつもりがこんなことになってしまって…」
女は首を振り、涙ぐんで下を向いた。
……
3人(?)は黙ってそのままプロダクションに向かった。
明良が「音楽かけていいですか?」と運転する浅野に言った。
「ええ。もちろん。」
明良はカーナビを操作し、再生ボタンを押した。
圭一の『ライトオペラ』の曲が流れた。
「!!」
浅野は思わず、バックミラーで後部座席の女を見た。様子は全く変わらない。だがじっと聞き入っている。
浅野はほっとしたように前を見た。
(まだ天使なのか?…そういや、リュミエルも平気だったな…元天使は大丈夫ってわけか。)
浅野がそう思っていると、明良が口を開いた。
「圭一の新しいアルバムなんですよ。…もうすぐ発売になります。」
「あ!そう言えば、この曲聞いた事がなかった…うわー!レアですねー!!」
浅野が思わずはしゃいでそう言うと、明良が笑った。
「シングルだけ先に出していたんですが、とても好評でね。この曲のためにアルバム製作を圭一に急がせました。…これは沢原君が作った曲なんですよ。」
「えっ!?そうだったんですか!…クラシックぽいから、クラシックをベースにしているのかと…」
「いえ。完全な沢原君の創作です。…よくできてます。」
明良の言葉に、浅野がうなずいた。明良は続けた。
「歌詞は英語ですが…愛する人を事故で亡くし…残された男が何もしてやれなかったと嘆く歌です。」
「!!…沢原常務の…実体験なんでしょうか?」
「さぁ…。悲しい歌ですが、私は好きでね。…私も死んだ姉に何もしてやれなかった…。」
明良はこの姉が死んだことで、親族を一切失い独りきりで生きてきたのだった。その過去をすべて見ている浅野は黙っていた。
「でも…私が生死をさまよった時…その死んだ姉にあの世の入り口で会いましてね…。自分の分まで幸せにならなきゃ、こっちへ来てはいけない…と言われました。」
「!!」
浅野はまた、思わずバックミラーで後部席の女を見た。
女も下を向いたまま目を見開いている。
「…今は…いい妻に会えて、できすぎた息子を持てて…一番幸せな生活を送らせてもらっています。…もう死んでもいいかな…と思う事もありますが…」
「!!だめですよっ!副社長はまだ30歳越えたばっかりじゃないですか!これからまだまだ幸せなことありますよ!」
浅野が慌てて言った。後ろの女がそれを信じたら、魔界へ連れ込む理由になってしまうからだ。
明良が笑った。
「…ありがとう…私も…今はこの幸せにまだ浸っていたい…それが本音です。」
浅野がほっとした表情をした。
明良は後ろの女に振り返った。
「…あなた…死のうとなさっていましたね?」
「!?」
「!?副社長…」
女も浅野も驚いた。
「間違っていたらすいません。…何故か感じたんです。あなたの…なんというか…悲しんでいる何かを…」
明良の言葉に、女は目を見張って明良を見ている。浅野はそんな女の表情をバックミラーでちらと見た。
「…幸せはなかなか手に入れることはできないものです。…今、幸せな私が言っても…あなたの心に響かないかもしれませんが…幸せは必ず来ます。それを信じなければ…幸せが近くに来ても気づくことができません。」
女の目から涙がこぼれた。
「今、このアルバムで歌っている息子も…初めて会った時は…笑顔一つ見せてくれなかった…。それが今は天使のような笑顔を見せてくれます。…あなたにも…笑顔が戻るように…祈ります。」
明良の言葉に女は両手で顔を塞いだ。
そしてそのまま消えた。
「!!」
明良が驚いて身を乗り出した。
「やばっ!副社長すいません!!」
浅野が指を鳴らした途端、明良は目を覚ましたような顔をした。
「?????」
「副社長、お目覚めですか?」
「え?…あれ…?私はどうして助手席に…」
「めまいを起こされたようです。」
「運転中にですか!?」
浅野が苦笑した。
「…ええ。それで交代しました。」
「すいません!…事故なんか起こしたら…大変なことになるところだった…」
「最近お疲れじゃないんですか?…今聞いているこのアルバム…かなり製作を急いだようですし…」
「あ…」
明良は今、アルバムが鳴っているのに気付いたようである。
「…そうだ…そうです…。圭一にもしんどい思いをさせて…」
「…今日はもう、お帰りになった方がいいんじゃないですか?」
「いえ…あと一仕事残っているので、それが終わってからにします。」
「そうですか。…ではこのままプロダクションに向かいますね。もうちょっと眠ってて下さい。」
「ええ…すいません。」
明良はシートベルトを直し、前を向いて圭一の歌を聞くように目を閉じた。
(…あの女は…独りで魔界へ落ちてしまったか…)
浅野はそれを感じて、ほっと息をついた。…しかし…可哀相だな…と今になって思った。
(終)