表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

第4章-清廉な歌声-

(なんて、清廉な声なんだ…!)


浅野俊介は、自身の所属しているタレントプロダクションビルの声楽レッスン室で、自分のためにシューベルトの「アベマリア」をラテン語で歌う北条きたじょう圭一の声を聞いて思った。

20歳とは思えないテノール歌手のような深い声が、浅野を包んでいる。


(自分が悪魔だってこと忘れるなぁ…)


また、パートナーの秋本 ゆうが弾くバイオリンの音色もいい。


曲が終わった。


圭一と秋本が浅野に頭を下げた。

浅野が拍手をした。


「すごいよ!圭一君!」


圭一が顔を赤くして、また頭を下げた。横の椅子にいるキャトルは寝入ってしまっている。


「ありがとう!わがまま聞いてくれて…。秋本常務もお休みなのにすいませんでした。」


浅野が立ち上がって秋本に頭を下げ、握手をした。


「常務はよして下さい。」


秋本が照れ臭そうに言った。浅野より1歳下だと言う。

その綺麗な顔立ちから「美しきバイオリニスト」と言われている。しかし、私生活は男っぽく、毎日バイクで通勤し、バイクスタントマンの経験もあるという。


「心が洗われるようなひとときでしたよ。」

「浅野さん、ほめ上手。」


圭一が笑って言った。


「本当だって!贅沢な時間を過ごさせてもらったよ。」


浅野が圭一とまた握手をして言った。


……


(このプロダクションの空間がいつも清められているのは、圭一君のおかげかも知れないな…)


浅野は思った。

あの圭一の綺麗な声を聞いて、心を打たれない人間がいるなら、そいつは悪魔以下だ…と、自分を悪魔だと思っている浅野は思う。


(今日マジで、圭一君のアルバム買って帰ろう。)


圭一と秋本のユニット名は「light opera(ライトオペラ)」というそうだ。「オペラ」と称するには、まだ未熟だということで「light(軽い)」をつけたのだという。


(なんとまぁ、謙虚なことだ。)


圭一君らしいな…と浅野は思った。


……


浅野はCD店にいた。


「ジャンルはやっぱりクラシックだよな…ライトオペラ…ライトオペラ…と…あった!」


浅野は圭一の顔を見つけた。


「デビューの時は独りだったのか…。」


そう呟いて、そのCDを取った時、心臓がドクリとなった。

浅野は動きを止めて、目だけを動かした。誰かが見ている。


浅野は一旦CDを戻して、何もなかったかのようにその場を離れた。そして、CD店を出た。


……


誰かがついて来ているのがわかる。浅野は歩行者天国の道に入り込んだ。スクランブルに人が交差して歩いている。

浅野は狭い道に入り込んだ。


後ろから、足音がついてきているのを感じ、浅野は立ち止まって振り返った。


黒いロングワンピースを着た女性だった。何かの絵から出てきたような整った顔をしている。


(美しい薔薇にはトゲがあるってね……っとと!)


浅野に向かって、光が飛んできた。浅野は体を沈めて避けた。

浅野は女性とは逆の道へ走り、大通りに出て振り返った。女性は路地の出口のところで止まり、浅野を見ている。追いかけて来るつもりはないようだ。

浅野は雑踏に紛れるようにして、歩行者天国を抜けた。


……


(見たことあるような…)


昼に見た女性は、黒いロングワンピースに対比して、顔や手が異様に白く見えた。

浅野は、バーでグラスを拭きながら考えていた。

今日は圭一は生放送のクラシック音楽番組に出るため、バーには来られないと言っていた。


「そうか、テレビつけなきゃ。」


浅野はそう思わず言って、テレビをつけチャンネルを合わせた。


「始まったばかりだ。間に合った!」


浅野が思わずそう言うと、カウンターで飲んでいた作曲家の沢原亮が笑った。

「美しきバイオリニスト」の秋本優と同じ24歳の常務で、女性的な美しさを持つ秋本とは対照的な、男らしいはっきりとした目鼻立ちをしたハンサムだ。男前というのはこういう人を言うのだろうな…と浅野は初めて会った時に思った。


「圭一君出るんでしたね。」


沢原がテレビに向いて言った。


「ええ。」

「あれ?独りか…。珍しいな。」

「何でも秋本さんは、荒川真美ちゃんの伴奏の仕事が先に入っていたとかで…」


荒川真美はまだ19歳と若いが、歌唱力を武器にした歌手で、秋本の恋人でもある。


「そうなのか…言ってくれたら、俺がピアノ伴奏行ったのになぁ…」


沢原がトマトジュースを一口飲んで言った。


「今日、沢原さんはデートは?」

「未希が同窓会でね。」

「…あー…寂しいですねぇ。」


浅野がそう言うと、沢原が笑って言った。


「まあね。だからここへ来たんだ。」


未希とは、荒川真美と同い年でダンスが得意な歌手である。相澤プロダクションは社内恋愛には寛大らしい。あの圭一も、フランス人と日本人のハーフである歌手のマリエと付き合っている。


微笑みながらふとテレビを見た浅野の目に、ぞっとする光景が映った。


観客席にあの黒いロングワンピースの女が無表情で座っている。その目は浅野を見ているように見えた。


「…大変だ…圭一君が…!」

「浅野さん?圭一君がどうしたんです?」


沢原が、急に浅野の顔色が失せたのを見て、立ち上がりながら言った。


「すいません…バー閉めていいですか?」

「俺だけだから構わないと思うけど、浅野さん、どうしたんです!」

「圭一君のいるこのスタジオはどこですか?」

「!?」


沢原はテレビを見た。


……


浅野は沢原の車に乗せられ、高速道路を走っていた。近くなら瞬間移動するつもりだったが、無理な距離だった。


「何が起こるのか、話してもらえませんか?」


沢原が運転しながら、助手席にいる浅野に言った。


「信じてもらえるかどうか…」

「信じないつもりなら、車を出したりしませんよ。」

「!!沢原常務…」

「常務はいりません。圭一君に何が起ころうとしてるんですか?」

「悪魔が圭一君を狙っているんです…」

「悪魔!?」

「実は私も昼に会っているんです。その時私に攻撃してきたんですが、あれは、圭一君の死を邪魔するなという警告だったのかもしれない…」


沢原はカーナビのテレビをちらと見た。


「まだ圭一君は歌う番じゃないようですね。」

「今日は最後だと言っていました。」

「その前にやるのか…歌った後でやるのか…」


沢原の言葉に浅野が首を振った。


「悪魔の心の中が読めない…」


浅野が目に手を当てた。


(リュミエルは何をしてるんだ!キャトルの影も感じない…)


浅野は今までにない焦りを感じていた。


(階級によるが…悪魔に呪い殺されたら、圭一君の行くべき天国には行けない…地獄か魔界か…)


浅野は心臓がドクリと鳴るのを感じた。


「!!」


黒いロングワンピースの女が走る車と一緒に飛んでいる。浅野の真横だ。


「しまった!罠だ!」


浅野が叫んだ時には、車が高速道路の側壁に車体をこすりつけていた。


「!!」


浅野が驚いて沢原を見ると、必死にハンドルを両腕で押さえていた。

側道の壁と車体がこすれて火花が散っている。


「くそ!負けてたまるか!」


沢原がそういいながら、ハンドルを押さえ込んでいた。ブレーキを踏んだままにもかかわらず、車が止まらない。


(なんて精神力だ!)


浅野は思った。沢原は悪魔の誘導に必死に逆らっているのだった。誘導されたままだったら、側壁に激突して今頃は沢原も浅野も命を落としていただろう。

ブレーキを踏みっぱなしのため、焦げくさい臭いが充満している。止まるが早いか、車が爆発するのが早いか…。

浅野は意を決して、額に人差し指をかざし、強く念じた。


リュミエルとキャトルがそれぞれ檻に封印されている姿が見えた。


(なるほど、あの女!…頼む…リュミエル、キャトル…力を貸してくれ!)


浅野は一筆書きで、自分の前の空間に六芒星を書いた。そして人差し指を額にかざし、


「召喚!」


と叫んだ。すると車の前にキャトルの獅子が現れて、車を炎の体で包み止めた。

沢原が運転席から降り、浅野に手を差し出した。浅野はその手を握って、引っ張られるように車を降りた。

上を見上げると、女がリュミエルの手から出された帯に巻き付かれもがいていた。


「リュミエル!帯を切って離れろ!」


リュミエルは浅野の言う通りにして離れた。

浅野は女に向かって五芒星を一筆書きし、人差し指を額にかざすと「封印!」と言った。


女はもがいた。簡単には封印させようとはしなかった。


「くそ!どうすればいい!」


浅野がそう歯ぎしりした時、カーナビのテレビから圭一の歌が流れてきた。エンジンは切れていなかったようだ。

圭一は「アメイジンググレイス」を歌っている。


女の様子が変わった。力が抜けて行くように動きが緩やかになっていた。


「!!」


浅野は車に入り、カーナビの音量を上げた。

圭一の清廉な声が響いた。


女はとうとう動かなくなった。


浅野は五芒星を引いた。そして人差し指を額にかざし、


「封印!」


と叫ぶと、女が消え、リュミエルの帯だけがするすると落ちてきた。


「やった…」


浅野がその場に膝をついた。

沢原が驚いて浅野の傍にかがんだ。


「大丈夫ですか!」

「ええ…」


浅野は息を切らしながら答えた。

子猫に戻ったキャトルが、沢原の車の上で箱座りをして、あくびをした。

小さくなったリュミエルはそのキャトルの背に倒れ込むように乗っかっていた。


……


翌日、ニュースらしいニュースもなかった。

沢原は「あれ?」とテレビを見ながら呟いた。

昨日、何かあったような気がするのだが…。


「何か夢見たのかな?」


沢原は首を傾げた。


携帯電話がなった。

恋人の未希からだった。


「はいはい。…ん、構わないよ。今から車でそっちに向かうから。で、昨日は同窓会どうだった?口説かれたんじゃないか?…なかった?…嘘だろう?…わかったわかった…とにかく今から迎えに行くから。」


沢原は笑いながら電話を切った。


……


沢原は車の運転席のドアを開いた。


「!!そうだ!!」


沢原は助手席側に回った。


「?あれ?」


助手席側のドアには、傷一つない。


「やっぱり夢か…。浅野さんがマジシャンだからって、ファンタジーな夢見ちゃったなー。」


沢原はシートベルトをつけ、サイドブレーキを下ろすと、車を発進させた。


……


対して、浅野は自宅でぐったりとベッドで体を横たえていた。


「神経が持たん…。」


浅野はそう呟いた。

多分、あの悪魔の女は誰かに召喚され、浅野の命を狙ったのだろう。

ちなみに悪魔と魔女は別物である。悪魔は基本的に性別はないので、女の形をした悪魔というのが正しいだろう。


(沢原さんには悪いことしたなぁ…。)


悪魔の誘導を振り切るなんて、よほどの精神力がないとできない。普通は意識を奪われるはずなのだ。


「お礼を言いたいけど…言う訳にもいかないしなぁ…」


そう浅野が呟いた時、呼び鈴が鳴った。


浅野は起き上がらなかった。

人差し指を額にかざした。


「転送」


そう言うと、ベッドの傍に、キャトルを抱いた圭一が現れた。


「びっくりした!」


圭一が言った。浅野が力無く笑った。


「昨日…大変だったそうですね…。」


圭一が言った。肩にはリュミエルが座っている。


「ああ…。でも君の歌のお陰で、なんとか封印できたよ。」

「そうですか…」


圭一が少しほっとしたように言った。


「浅野さん、何か食べましたか?」

「うんにゃ」

「じゃ何か作りますよ。待ってて下さいね!」

「はーい」


圭一は浅野の呑気な返事に笑いながら、部屋を出て行った。

リュミエルとキャトルが、浅野の枕元に残っている。


「君らも疲れただろう?」


リュミエルがうなずいた。キャトルは「にゃあ」と鳴いた。


「ほんと助かったよ。封印を解く自信なかったけど、君達の助けがあったお陰で解けた。俺はマスターでもないのに、ありがとな。」


リュミエルがぷいと横を向いた。顔が赤くなっている。照れ臭いのだろう。キャトルは嬉しそうに「にゃあ」と鳴いた。


「…でも…圭一君の歌は、本当の悪魔まで癒すんだなぁ…。本人が気づいてないのが、またじれったいけどな…」


キャトルは「にゃあ」と鳴いた。


「お前はすぐ寝ちゃうじゃないか…」


浅野が笑った。

その時、玄関の方から圭一の声がした。


「浅野さーん!買物行って来まーす!今日ハンバーグでいいですかー?」

「圭一君の手作りかい?」

「もちろんです!食堂より美味しいの作りますよ!」

「よっしゃー!気をつけてねー!」

「はーい!」


玄関が閉まる音を聞いてから、浅野は「あーあ」と言った。


「この穏やかな時間、いつまで持つのかな…。」


リュミエルとキャトルが一緒にため息をついた。


(終)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ