一品目 フレンチトースト
枝垂れ桜に留まっている烏が古い家屋から出てる煙を嗅いでいる。少女は気になっていた。深くて香ばしい香り。とてもいい香りだなと少女の好奇心が湧き上がる。すりガラスの奥から光が揺らめく。家屋の前に“喫茶 ともしび”という文字の看板が置いてある。
「ここは喫茶店……」
少女は少し緊張しているが扉を開けた。
朝の光が差し込む頃、店内にはもう焦げた匂いがしていた。
「……またか」
ステラは、無残に砕け燃えカスとなった珈琲豆を見下ろした。加減を間違えたわけではない。むしろ、本人は慎重にやったつもりだった。
「握力が常人の三倍あることを自覚してください」
カウンターで帳簿をつけながら淡々と言い放つのはニュクス。
「三倍で済んでるなら上出来だろ?」
「済んでいません。豆が灰みたいになってますよ」
二人のやりとりを見てカマルはくすくすと笑った。
「まあまあ。今日こそは“普通の喫茶店”らしくいきましょうよ。ほら、看板も書き直しました」
カウンターの上にある小さな黒板には白い文字でこう書かれている。
――本日のおすすめ:ブレンド珈琲
まだ開店したばかりだからメニューは一品しかない。それでも彼らは喫茶店で頑張ると誓った。
魔王を倒した勇者と魔術師と賢者。引退した彼らのセカンドライフだから。
扉のベルがもう一度鳴った。
入ってきたのは小柄な少女。店内を見回している。
「いらっしゃいませ……?」
三人は少女を見つめる。
「あ、あの、1名です」
三人は驚く。初めての喫茶店目当てのお客さま。すかさずカマルは席を案内する。ニュクスは少女が座っている席に水が入ったコップを置いた。少女は一瞬壁に飾られた剣を見たがすぐにカウンターに置いてある黒板を読む。
「……ブレンドを、一つ」
その声に、三人は一瞬だけ言葉を失った。初めて注文が入ったからだ。
注文はたった一つ。ブレンド。それだけで、店の空気が少し変わった。
「か! かしこまりました! すぐ作りますね!」
ステラは豆を量りながら、呼吸を整える。背後でニュクスやカマルが見守る。
戦場では呼吸を乱したことなどないのに、たった一杯の珈琲を作るだけで緊張する。
――戦うより難しいな。
戦うのは単純だった。
敵を倒せばいいだけだから。
でも今は違う。今は僕たちの夢のために生きているんだ。単純なことなのに、どうしてこんなに難しいのだろうか。
二人の協力もあって、なんとか本日のオススメのブレンド珈琲ができた。店内は珈琲の香りで充満していた。
「お待たせしました。ブレンド珈琲です」
カマルは少女の前にカップを置く。少女は小さく頷く。カップから湯気が立ちのぼる。静かな時間。歓声も、拍手もない。ただ、少女が一口飲む。
「……おいしい」
小声だが三人の心に深く刺さった。嬉しい。本当に嬉しい。初めての評価に三人は顔を見合わせて喜びを共有した。
しかし現実は厳しい。
閉店後にニュクスが売上帳をつける。一杯分の数字が、ぽつんとある。材料費や光熱費などの計算をすると赤字が確定。それを見てカマルは笑う。いつもの、道化の笑みで。
「……まだまだ遠いね」
誰にともなく言う言葉が三人の心に刺さる。
魔王を倒した日みたいに夢って簡単に叶えられると思ってた。とても苦い。珈琲の苦味よりも苦くて苦しい。
でも今手に入る幸せは、珈琲一杯分だ。あの時の少女は静かに飲み干した。帰り際にこう言った。
「また来てもいいですか……?」
その言葉は、どんな宝物よりも貴重で嬉しかった。綺麗に清掃してよかった。頑張って豆をひいた甲斐があった。この体験を大切にしたい。
ステラは椅子に腰を落とす。
「……なあ」
「はい?」
「今日は、悪くなかったよな?」
刹那の静寂はあったがニュクスは小さく頷く。カマルは少しだけ、今度は本物の笑みを浮かべた。
「ああ。夢に一歩、だね」
でもその一歩は、思っていたよりもずっと短く、そして遠い。
ステラはしばらく天井を見上げ、それから勢いよく立ち上がる。
「……よし!」
「何ですか」
ニュクスが驚きつつ聞く。
「次だ」
「次?」
「今度あの子が来たら、珈琲以外も喜ばせたい」
ステラは腕を組み、真剣な顔で言う。
「……甘いものだ」
カマルが目を細めて微笑む。
「……勇者様、戦術会議ですか?」
「戦術だ。腹が満たされれば、心も少しは緩む」
「理論が雑です」
「経験則だ」
ステラはきっぱり言い切る。
戦場では常に最前線に立っていた男の目が、今は厨房を見ている。
「次に来たら、驚かせてあげよう」
「何で驚かすんだい?」
カマルは優しく聞く。ステラは考え込むとある料理を思い出した。
「あれだ! 前に旅の途中で食べたやつ。少ない材料で簡単にできる! きっと俺でもできるやつだ!」
深夜の厨房は焦げたり形が崩れたりしているパンが山のように積み上がっていた。
「……炭ですね」
「失敗は成功の母って言うだろう」
「それにしては多すぎます」
卵液や牛乳の配分を巡って言い争い、火加減で揉め、砂糖の量で小競り合いを起こしながら、三人はようやく形らしいものを作り上げた。
黄金色でほんのりと甘い香り。砂糖の乱反射がより一層輝いて見えた。
「……悪くない」
味見をしたニュクスの美味しそうな顔にステラとカマルは大満足にハイタッチした。
翌日。カラン、と扉のベルが鳴った。三人が同時に振り向く。あの少女だ。
少女は席につくと「ブレンドを——」
「今日のおすすめはこちらです!」
ステラは少女の言葉を遮る。カマルは少女に本日のおすすめを差し出した。
「新作のフレンチトーストです」
カマルの背後からニュクスが言う。
少女は目を丸くする。
「……私に?」
「ああ。常連第一号だからな。試作品だからお金は取らないよ」
少女は戸惑いつつも小さく会釈をする。フォークを手に取り、一口サイズに切り、口へ運ぶ。
静寂。三人の視線は少女の顔色に向いている。
少女の頬が、ほんの少しだけ緩む。
「……おいしい……」
その言葉に、ステラは思わず厨房を飛び出してニュクスとカマルを両脇に抱いた。
「やったー! 成功だー!」
「ちょっとステラ! お客さまの前ですよ!」
「ははっ、気持ちはわかるよ」
売上はまだわずかだ。客もほとんど来ない。夢は相変わらず遠い。でもこの瞬間の幸せは愛おしい。
ステラは満面の笑みで少女の手を取る。
「次はもっと上手く焼くから! また来てくれ!」
「向上心だけは一流ですけどお客さまに迷惑ですよ」
「すみません。うちの店長は元気が取り柄でして」
少女はくすっと笑う。
「……あの、私シャムスって言います。よろしくお願いします」
「シャムス! 俺の名前はステラ。責任者であり調理担当だ」
「私はニュクスといいます。経理を担当してます」
「俺はカマル。この店のデザイン担当だよ。これからもよろしくね」
四人の雰囲気はより一層明るくなり店内は和気藹々である。
少女が帰った後、店内には珈琲と甘い匂いが残っていた。ステラは鼻歌交じりに皿を洗う。
カラン。扉の音が聞こえた。今は準備中でニュクスとカマルは買い出し中。ステラはホールに向かう。
「すみません。今は準備中でし、て……」
ステラの視線の先には見覚えのある男性が立っていた。男性もまたステラを見つめる。
「久しぶりだな。ステラ」
「ソラ……」
ソラは国家が誇る騎士であり「疾風迅雷の剣士」という通り名があるほどの有名人である。そしてニュクスとカマル以外でステラの過去を知っている人物である。
「営業時間外ですまない。まさか本当に喫茶店をやってるとは思わなくて」
ソラは慌てて謝る。
「……今日はどういう要件?」
ステラは落ち着いている。その表情は先ほどフレンチトーストで喜んでいたステラとはほど遠いもの。ソラは何か言いたげだが飲み込んだ。
「久しぶりにお前たちに会いたいと思ってな。また今度、営業してる時に来るよ」
そう言うとソラは店から出ていった。静寂の中、ステラの鼓動は高まるまま。
ステラは勇者だった。でもそれは理由があって与えられた役割。
ステラは暗殺者だった。今までの数えきれない殺しの罪を全て咎めない代わりに勇者として魔王軍を殺すよう命じられていた。
魔王を倒し世界が平和を取り戻した後、ステラは今までの功績と精神状態の結果、自由を与えられた。世の中が明るくなったがステラはただ茫然としていた。
——俺の幸せはどんなものだろう。
カラン。扉の音がまた鳴った。顔をあげるとニュクスとカマルだ。
「ただいま」
「ステラどうしたのです? そこで棒立ちして」
ステラは思い出した。俺たちは人に言えない過去がある。だけどこんな俺たちでも幸せは見つけられる。
だから話し合って、みんな引退した。そしてここに居場所を作った。“喫茶 ともしび“。町外れにある大きな桜の丘で、俺たちは静かに余生を過ごす。だってここがいちばん平和で安心できるから。
ステラは厨房を見る。安くて大量に買った珈琲豆の袋が目に入る。
「……まずは、豆を粉にしないところからだな」
「そうです。ステラはまず珈琲豆をうまく砕くようになってください」
ニュクスがため息をつき、カマルが笑う。
もしここが星ならまだ暗闇に負けている。でも消えているわけではない。ほんのりとした輝きだけでも証明している。三人の灯火は今もあり続けてる。
いらっしゃいませ。本作を開いていただき誠にありがとうございます。
魔王を倒したあと、勇者たちはそれぞれの道を歩む——
そんな物語はよくありますが、この作品は少しだけ違います。
戦いを終えた三人が選んだのは、町外れの小さな喫茶店経営でした。
うまくいかないことも多く、まだ客もほとんど来ません。
それでも彼らは、誰かの居場所になれるような店を目指しています。
これは、そんな三人の“セカンドライフ”のお話です。
どうぞ、喫茶ともしびでゆっくりしていってください 。
次回:5/13投稿予定




