第20話:あいさつの重要性
朝の陽が教室の窓辺を金色に縁取っていた。四年二組の教室では朝礼が終わり、生徒たちが各自の席へと戻ってゆく。その一連の動きの後方で、緊張を胸に湛えた一人の若者が、教卓の傍に佇むスターレインへと歩み寄った。
教育実習生――彼はまだ教師の卵であり、数日間にわたりスターレインの指導のもとで教壇に立っている。
そんな彼は勇気を振り絞るように、とある疑問をスターレインに問うてみた。
「あいさつって、そんなに大切なものなのでしょうか?」
誰がとは言わなかった。
その主語は、彼自身のことかもしれないし、生徒のことかもしれない。
スターレインは一瞬だけまばたきをし、淡く揺れる銀灰の睫毛を伏せた。そのまま、何の逡巡も見せぬ口調で応じる。
「法的には、重要ではありません」
その一言に、実習生の背筋がわずかにこわばる。言葉の芯にあった問いかけが、あっさりと切り捨てられたような感覚に襲われたのだ。
スターレインは表情一つ変えず、なおも言葉を紡ぐ。
「フラワーリング魔法学校において、あいさつを義務づける法令は存在しません。したがって、それを指導する必然性も、形式上はありません」
実習生は思わずまばたきをした。
彼は口を開きかけて、閉じる。沈黙が一拍、教卓の上に落ちる。
スターレインはその様子を静かに見つめながら、言葉を続けた。
その声に変化はない。だが、微かに空気が動いた。
「……ですが、相手からあいさつを受けたとき、それを無視するという行為は――社会的には不誠実と判断されます。例えば、あなたがあいさつを返さなければ、その相手はあなたを“礼を欠いた人物”と認識する可能性が高い。それは、あなたに対する評価に影響します」
言葉のひとつひとつが、水面に落ちる雫のように静かで、それでいて確実に波紋を広げていく。
「また、明文化はされていませんが、本校には『五心』と呼ばれる内規的理念があります。その一つに、『礼儀を守る心』という項目がある。これは教職員、生徒を問わず、すべての構成員に共有されている行動指針です」
「それは……つまり、暗黙の了解、ということですか?」
実習生の声がかすかに揺れた。スターレインは首を横に振る。
「いいえ。了解ではありません。遵守すべき“準則”です。明文化されていないからといって、守らなくてよいということにはなりません。現に、あいさつを返さなかった教員に対する苦情や評価の低下は、報告されています」
そして、最後に一拍置いて、決定的な一言を告げる。
「あなたは今、この学校の一員です。そのため、あいさつを返す責任があります。それは将来、挨拶をしない事で損するかどうかとは関係のない話です。“現在”という時間軸で見たとき、あなたがその義務を負っていることは明らかです」
淡い紫を湛えた瞳が、わずかに揺れる実習生の顔を静かに見つめていた。そこに感情はない。ただ、理にかなった説明を終えたという静けさがある。
実習生は、しばらく何も言わなかった。ただ、胸の奥で何かがひとつ、音を立てて砕けていく感覚だけが残った。