第7話:配置換え
――ゴウンッ!
重機の音でもない、材料の落下音でもない、不自然に響いた金属音が現場にこだました。
その音を聞いたスターレインは、遠くからでもすぐに察した。
(あれは、やらかした音)
急ぎ足で作業区画へ向かうと、案の定、そこには途方に暮れる冒険者がいた。
「……す、すみませんスターレインさん……やっちゃいました……」
B班の冒険者・レグナルド。かつて大陸を駆けた斧戦士、現在は電動ドリルを持つ新人作業員である。
目の前の壁には、大きく、明らかに図面と違う位置に穿たれた楕円の穴。
しかも、サイズが必要寸より一回り以上も大きい。
「……完全に、終わった……ですよね……。
この壁、張り替えとか……なるんですよね……? 詰みましたよね……?」
レグナルドが青ざめていた。
だが、スターレインは表情ひとつ変えず、その穴を見つめたあと、口を開いた。
「ギリギリセーフです」
「……は?」
「この程度なら、詰め物をして塞ぎ、上から鉄板をかぶせておけば、視覚的には問題ありません」
手早く指示を出し、周囲の職人たちに廃材の端材と固定用の魔導ボルトを準備させる。
鉄板はすでに倉庫に余剰があるのを彼女は知っていた。
数分後——穴は塞がれ、上から綺麗に成形された鉄板が設置され、
“何事もなかったかのような”壁が出来上がっていた。
「……これで、終わりです。次に進んでください」
レグナルドは、愕然としながらも、なお言葉を探す。
「……でも、こんな……いいんですか……? これ……違法じゃ……?」
スターレインは淡々と答えた。
「視察は、ここまでは見ません。見られても、“この処理は元受けの指示でした”と言えば、処理責任はそちらに移ります」
「えっ……それって……」
「重要なのは、合法かどうかではなく、“納期を守れるかどうか”です。
止まることのほうが、よほど問題になります」
一同、唖然とした。
「……あの、でも、それって……正義とか、誠実さとか……」
別の冒険者が、おそるおそる口にする。
スターレインは、淡い灰色の瞳で、それをまっすぐ見返した。
「現場に必要なのは、誠実さではなく、継続性です。
動きを止めないために、妥協と捨て身と虚構が必要なときもあります。
それを受け入れられないなら、ここには向きません」
沈黙が落ちる。
だがその言葉に、誰も反論できなかった。
なぜなら——今、目の前に“壊れた現実”を“稼働する現場”へと戻したのは、
彼女の言葉と判断だったからだ。
一ヶ月が経過した。
冒険者は4人行方不明になったが工程は順調である。
そして、現場というものは、“うまくいっているところ”に対して賞賛を贈らない。
評価は常に、“崩れかけている場所”に向けられる。
——つまり、「あそこを何とかしろ」と。
ある朝、スターレインは雇い主に呼ばれた。
廃材と泥の臭いがこびりついた仮設詰所。業務用の汚れたホワイトボードの前で、監督は淡々と語る。
「……スターレインさん。あなたはとても優秀だよ。だから頼む。このB-2ブロックの監督を任せたい」
そのブロックは、“地獄”として有名だった。
職人が三日で五人飛んだ。
搬入は乱れ、基礎は沈下し、配線は錯綜し、監督は体調不良で退職済み。
工程は三週間遅れており、施主がやって来るまでの納期までの残りは二週間。
「……普通に考えて、無理です」
スターレインは言った。
「だから、スターレインさんに任せたい。あなたなら、何とかなるだろ?」
それは“信頼”ではない。
“神頼み”だった。
スターレインは一つだけ、条件を出した。
「私は監督ではなく、一人親方として働きます。それが条件です」
詰所の空気が一瞬、凍った。
ゼネコン元受けの作業監督は、思わず聞き返した。
「……いや、でもあなた、これまで班全体をまとめて……」
「まとめていたのは、私の意思ではありません。割り振られたからやっただけです。」
「……つまり?」
「納期を守る責任は、元受けにあります。私はそれに協力する立場でしかありません。
一人親方であれば、私の責任は“作業範囲”に限られます。全体を仕切る必要も、他人の尻を拭う義務もありません」
静かで、乾いた口調だった。
だがその言葉のひとつひとつが、
元受けにとっては強烈なリアルとして突き刺さった。
数日後。配置換えの文書には——確かに記されていた。
> 配置先:B-2施工範囲 東翼内装班
> 氏名:スターレイン(個人事業者)
> 立場:一人親方(作業範囲内の進捗責任を負う)
> 備考:調整・監督権限を有さず
彼女は神ではない。
全体を見渡し、管理し、説教を飛ばし、工程表を操る者ではない。
ただ、自分の手が届く範囲でのみ完璧を追求する者。
そう位置づけ直した結果、スターレインは「最強の一人親方」として戦場の中央へと投げ込まれることになった。
一方で、彼女を慕っていた冒険者たちは、その文面を見て驚愕していた。
「えっ、監督じゃないの?じゃあ誰がまとめるの?」
「え、マジで作業者枠!? じゃあ今度は配置も違うってことか……」
「スターレインさんがいるから頑張れたのにさ……」
彼女を“信仰”していたのは、あくまで自分たちの都合であって、
スターレイン自身が“現場の神”であろうと望んでいたわけではなかった。
その日、B-2ブロックにて。
乱れた搬入動線。泥で滑る足場。折れた仮設電源。放棄された工具。
……そして、やる気を失った職人たち。
スターレインは、黙って長杖と工具袋を下げると、誰にも声をかけずに歩き出した。
自分の作業範囲へ。