第8話:仮面の代償
気がつけば、スターレインとの関係も今年で四年目になる。
初任として学園に赴任してきた彼女と出会ったのが最初だ。
2年目は、風魔法使いのエルルゥ先生が在籍していた時代。
3年目はクディッチ部の指導を経て、
現在は野球部の副顧問として、彼女と再び同じグラウンドに立っている。
断続的ではあるが、意外と長い年月を一緒に過ごしてきたものだ。
スターレイン先生は、教員としての能力に疑いようのない人物だ。
思考は明晰、言葉は端的、判断は合理的で、しかも冷静を崩さない。
その在り方は、ともすれば感情を置き去りにするほどに精密で、初任時代の彼女は、どれだけ困難な場面でも顔色ひとつ変えなかった。
だが、最近は少し違う。
彼女は、ほんのわずかだが、脆さを見せるようになった――そう感じる場面が増えた。
それは言葉の端々ににじむため息かもしれないし、ふとした瞬間に視線を泳がせる仕草かもしれない。
あるいは、生徒の無理解に対する反応が、以前よりも鈍く、柔らかくなっていることかもしれない。
スターレイン先生は、もともと極めて打たれ強い性格だった。
何を言われても揺るがず、何を求められても動じない。
だが、そうした“強さ”を維持するために、彼女は常に「教員」という仮面を外さずに過ごしてきた。
その重さが、少しずつ精神を削っているのではないか――そう、私は見ている。
だからこそ、私は彼女の疲れを癒す方法を探している。
声をかけすぎず、距離を取りすぎず、ただそばにいること。
あれこれと世話を焼くのではなく、彼女が自分のままでいられる場を整えること。
そういう関わり方を、私は模索している。
無理に肩代わりする気はない。
スターレイン先生は、自分の足で立つ人だ。だが、人はどこかで呼吸できる場所を持っていなければ、崩れてしまう。
その場所を、もし私が担えるのだとしたら――それは、私がこの仕事を続ける理由のひとつになるのかもしれない。
スターレイン先生を、思い切って自宅に誘ってみた。
あの理屈の塊のような人間が、そんな私的な誘いに応じるとは思っていなかったが、返ってきた返事は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
「……ええ。お世話になってますから」
たったそれだけ。まるで会議の了承を得たかのような事務的な一言だった。
拒絶されると思っていたコリンズは、思わず「なるほど」と小さく呟く。
その返答には、彼女らしい合理の匂いがある。借りを返す、信義に応じる――そんな筋の通し方は、確かにスターレインの範疇だった。
夕方。陽が傾き、風が柔らかくなったころ、コリンズの自宅にスターレインが訪れた。
制服ではなく、淡い灰色の私服。派手さはないが、意外と場に馴染んでいる。
茶を出し、軽く会話を交わす。学園のこと、部活のこと、最近の出来事。
どの話題にも、彼女は相変わらず丁寧な口調で応じるが、その声音にはどこか疲れが滲んでいた。
明確に言葉にされることはないが、コリンズは“感じる”ことに長けている。表情の陰り、まばたきの間、カップを置く仕草の重さ――どれもが、スターレインという人間の硬さをほんのわずかに軟化させていた。
「じゃあ、癒しましょうか」
そう言って、コリンズは静かに微笑んだ。
スターレインが不思議そうな顔を向けると、彼女は胸を張って続けた。
「私、癒し部部長ですから」
スターレインは一瞬沈黙し、やがて困ったような、けれど完全には否定しきれない表情で首を傾げた。
「……ちょっと何言ってるか、よくわからないです」
それでも拒まれたわけではない。それがコリンズにとっては十分だった。
座布団の向きを変え、膝にタオルを敷くと、スターレインにそっと声をかける。
「どうぞ。今日は、少しだけ“教員じゃなくていい日”にしましょう」
スターレインは、しばし迷ったようだった。だが、ゆっくりと姿勢を崩し、コリンズの膝に頭を預けた。
その髪はいつものように整えられていたが、額にかかる前髪の隙間から見えるまぶたは、わずかに赤みを帯びていた。
コリンズは、竹の耳かきを手に取った。
そっと、優しく、決して触れすぎず、触れなさすぎず。
それは慰めではなく、労りでもなく――同じ時間を静かに過ごすという、ささやかな共鳴だった。
部屋には音楽も言葉もない。ただ、穏やかな呼吸と、夜の入り口を告げる風の気配だけが、そこにあった。




