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第5話:パワハラ

 午前九時、現場に金属音が響く。

 《第一王立魔導研究所》建設二日目。空は晴れ、風は昨日よりやや湿気を帯びていた。


 今日もまた、全体朝礼から始まる。


 整列。点呼。指差し唱和。安全宣言。そして――


「——建設に関わるすべての者たちへ、我が言葉を授ける」


 おっさん、スクリーンに再び現る。


 王国国王・マグリッド九世の顔が、昨日と寸分違わぬ笑顔で、

 昨日とまったく同じスピーチを繰り返し始めた。


 魔導国家の未来、偉大なる英知の礎、全市民への貢献、歴史的意義……

 そのすべてが、語尾まで一致。映像の背景にすら変化はない。


(録画……というより、定型文ですね)


 スターレインは、最前列に立ちながら静かに思う。

 彼女の目は、スピーチの内容ではなく、スクリーン端の魔力圧の揺らぎを見ていた。


(今日も、朝の一時間がこれに費やされる。明日も、たぶん同じです)


 同じ頃、後方に立つ作業員たちの間には明らかな“顔”があった。


「……これ、また昨日のやつじゃね?」

「えっ、マジで?全部一緒?ちょ、真面目に聞いてたのバカみたいじゃん」

「誰だよ、“王の言葉は重い”とか言ってたの……」


 職人たちの顔にはすでに“耐性”ができつつあった。

 あの顔、あの語り口、そしてあの口角。数秒見るだけで内容が予測できるほどだ。


 だが、地獄は終わらない。

 ゼネコン本体の朝礼。下請けの朝礼。そしてKY活動。合計三連続の儀式が、また始まる。


 ⸻


 午前十時。ようやく作業が開始された。

 今日の工程は配線基礎の延長と仮接続。機材も多く、連携も細かい。蒸し暑さが現場の動きを鈍らせる中、スターレインは指差し確認のあと自ら前線に立っていた。


 そのときだった。


「……なあ、ちょっといい?」


 声をかけてきたのは、資材区画で足場搬入を担当していた中年の作業員だった。

 日焼けした首筋、手には使い込まれた革手袋、腰袋は傷だらけ。

 彼は何気なくスコップを持ち替えながら、スターレインに言った。


「監督より、職人の方が楽しいでしょ?」


 振り向いた彼女の紫水晶の瞳に、一瞬だけ、言葉が引っかかった。


(……図星です)


 ほんのわずかに沈黙が流れたのち、彼女は答えた。


「……はい。ですが、仕事なので」


 それだけだった。

 感情も、照れも、迷いもない。まるで作業報告のように、淡々と。


 だが、男はククッと笑った。


「だよな。俺も昔、監督やっててさ。図面睨むより、鉄筋組んでる方が性に合ってたよ」


「そうですか」


「でも、あんたの手元、職人でも上位だよ。黙っててもわかるわ、あれは動きの質が違う」


「……恐縮です」


 ふたりはそれ以上、多くを語らなかった。

 ただ、同じ“現場”という空気を知る者同士として、わずかな敬意だけが交わされた。


 紫のスカートが、鉄筋の上でひるがえる。

 スターレインは、再び工具を持って立ち上がった。


 午後二時を回った頃、建設現場に敷かれた各班の進捗表が更新された。

 仮設ステーションの端末に表示される棒グラフは、深い赤と黄色で染まっていた。


 ──進捗遅延:87%。

 ──軽度・中度トラブル:39件。

 ──再調整・段取り変更:12区画。


 状況は、はっきりと「崩壊」に近づいていた。


 熱波と粉塵。連携ミス。搬入遅れ。

 トラブルの原因は複合的であり、誰かひとりを責めることはできない。

 だが、それでも。


 スターレインの班だけは、進捗通りに作業を終えていた。


 魔導結界盤の基礎設置。

 その全行程は、工程表通りに進み、昨日の遅れも今朝のうちにリカバリ済み。現場職人たちの報告も正確で、材料も常に所定数が揃っていた。


 まるで奇跡のように“予定通り”。


 だが、その奇跡の代償を知っている者は少ない。


 スターレインは、朝から誰より早く現場に入り、

 朝礼の一時間前から道具の点検と段取りの再確認を済ませていた。


 昼休みも、休憩時間も、五分だけ座って再び立ち上がっていた。

 そして、作業終了後。誰もいなくなった現場で、補正と予測の作業を“ひとりで”行っていた。


 完璧な進捗は、完璧な犠牲の上に成立していた。


 スターレインが背負っていたのは、もはや班の業務だけではなかった。

 現場全体のリスクが、確実に自分たちの工程に跳ね返ってくると知っていた。


 なぜか?


 それは、自分たちの領域を管轄する“現場監督”が機能していないからだった。


「えーっと……ここの段取り、どうなってたかな……。

 昨日の指示?いや、たぶん伝達ミスですね、たぶん……。

 とりあえず、午前中に搬入できてれば、午後はなんとか……なんとかなるんじゃないかな……?」


 その男は、スターレインたちが属する一次下請けを統括するゼネコン直轄の現場監督だった。

 まだ若く、服装は整っている。声も明るい。だが――内容がない。


 図面を読み込んでおらず、口にするのは曖昧な語尾。

 報告を受けても、決裁をせず、判断を回避。

 工程の遅れに関しては「まあ、現場ですから」で片づけていた。


(……この人が“判断しない”限り、上に報告も上がらないんですね)


 スターレインは、一切の表情を変えずに思考する。




 一週間が経過した。

 時刻は正午を回り、現場では一時間の昼休憩が始まっていた。


 各班の職人たちは日陰に散らばり、弁当を広げたり、軽葉を吸ったりしている。

 だが、その休憩を許されない者たちがいた。


 職長会議。通称「昼礼」。

 一次下請けに所属する八人の職長たちが、毎日決まった時間に、現場中央の詰所に集められていた。


 スターレインもそのひとりである。


 仮設テントの簡易会議室。

 四角いテーブル。紙の工程表。ゼネコン側の担当者がホワイトボードの前に立ち、午後の作業内容を説明する。

 彼の背後には、魔導スライドが映し出されていた。


 その内容は、朝に見たものとほとんど変わらなかった。


「本日午後は、仮配線C-4ブロックの継ぎ目処理と、並行してE-2エリアの地耐補強に……」

「……こちらは午前中の作業遅れを考慮して、C班とD班で調整を……」

「魔導搬送機材の搬入が少し遅れる可能性がありますが、たぶん……たぶん大丈夫だと思います」


 ──朝も聞いた。昨日も聞いた。おとといも、たぶん聞いた。


 工程表に赤で引かれた「補正作業」の帯。

 細かく刻まれた“作業希望時間”と、それをすでに食い破っている現場の現実。

 午後の予定は形ばかりで、誰の目にも「残業確定」のサインだった。


 スターレインは何も言わない。


 ただ、工程表の右下にある“想定終業時刻”が、また一〇分延びているのを見つけて、

 ほんの一瞬だけ、指先が止まった。


(……もう、五日連続ですね)


 昼礼が終わるたびに、スターレインは内心でだけ泣いていた。

 感情ではない。物理的な疲労計算の結果である。


(午前の進捗を見て、午後の作業量を増やす発想……効率ではなく“埋め合わせ”に近い。

 結局、現場管理の側が「やった感」を出すために、後工程が肥大していく)


 職長たちの反応も、似たようなものだった。


「……了解です。まあ、やるしかないっすね」

「ていうか、うち今日もう足りてないんだけどな、人……」

「俺んとこ明日応援出しますわ、もう今日回んねえ」


 現場というのは、本来“人の手”で成り立つものだった。

 だがここでは、人の余裕が削られ、形式と責任だけが積み重なっていく。


「質問は……特になければ、解散します」


 昼礼が終わり、スターレインはそっと椅子を引いた。

 背筋は伸びていても、どこか重たさがあった。


(……現場というものが、時間ではなく“疲労”で組まれていくのなら、

 この計画全体がすでに、傾いている気がします)


 帽子の縁に指を添え、静かに詰所を出る。

 太陽は高く、現場の空気はもう午後の熱を帯びていた。



 昼礼が終わってすぐ。

 各班の職長たちはすぐに現場へ戻るわけではなかった。

 向かった先は、仮設詰所の裏にある小さな喫煙所。


 陽射しを避けるために設けられた狭い屋根の下。

 そこには、灰皿と魔導浄化札、折りたたみ式のベンチが四脚。

 そして——

 職長たちの苛立ちと疲労と、キセルの煙が滞留していた。


「……また一人、飛んだぞ。うちの若いの」

「マジ?朝来てねぇと思ったら、あいつもか」

「昨日の夜、退職代行からメール来てた。“二度と戻りません”だとよ……舐めてんのかマジで」

「いや舐めてんのはあのゼネコンの段取りだろ。あれで回るわけねえじゃん」


 誰が怒ってもおかしくない空気だった。


 そしてその中心に、紫の煙を静かに吐く少女——スターレインがいた。


 黒銀のキセルを指に挟み、足を組んで座っている。

 ヘルメットを外し、反射ベストは腰に巻かれ、魔導杖は背に預けたまま。

 その姿は、もはや魔導士ではなく完全に“現場のひと”だった。


「……昨日の工程も、今日の人員数で組んでたら崩れるのは当然です」


 淡々とした声。

 煙の先にあるのは、完全な現実認識。


「それを“職長で何とかしてくれ”と言われても、材料がない状態で料理を出せって言われてるのと同じです。無理です」


 他の職長たちは、彼女の言葉にうなずきながら、各自のキセルをカチンと鳴らす。


 そのときだった。


「お疲れ様ですー……」

 間の悪い声とともに、ゼネコンの若い作業監督が喫煙所に姿を現した。


 まだ二十代後半といった風貌。服装はきちんとしているが、表情に疲れと“空気の読めなさ”が滲んでいた。


「あの……すみません、ちょっと午後の件でお願いが……ですね、えっと、今から搬入がですね、ずれ込むかもなんですけど、えっと……まあ、対応してもらえたら……」


 誰も返事をしなかった。


 沈黙。

 職長たちは煙を吐き、視線だけで意思を共有する。


 やがて——

 スターレインが、ゆっくりとキセルを口から外す。


 そして、軽くあごを上げながら、こう言った。


「……要求を聞いてほしかったら、あなたも吸いなさい」


 その場が、一瞬で凍った。


 ゼネコンの監督が硬直する。

 だが職長たちは——

 一斉に、ニヤニヤと笑った。


「出たな、スターレイン姐さんの無言圧」

「吸えって言われてるぞ、監督ぅ」

「一本やるか?軽葉しかないけどよ」


 若い監督は、戸惑いながらも手を出し——

 おずおずと一本、差し出された香草の煙草を受け取る。


 火をつける手が、少し震えていた。


「……で?午後の搬入がどうしました?」


 スターレインの声は冷静だったが、トーンは一段下がっていた。

 甘えや曖昧さを許さない、現場の言葉だった。


 監督は、ようやく状況を理解したのか、小さくうなずいて具体的な指示を言い始める。

 職長たちは無言で聞きながら、静かに、煙の輪を吐いた。


 火がつけられた香草煙草は、ふわりと甘い香りを立てて煙を巻いた。

 おずおずと吸い込んだ若いゼネコンの作業監督は、むせるでもなく、だが決して美味しそうでもなく、ぎこちない顔で煙を吐いた。


「……あ、はい。吸いました……」


 その瞬間、喫煙所の空気が一気に和んだ。


「……おっ、やったじゃん」

「今日の進歩、これだな」

「偉い偉い、“吸える人間”になったぞ」


 職長たちが、ニヤニヤとからかうような笑顔を浮かべながら口々に言う。

 その笑みには、からかいと同時にほんの少しの好意が混じっていた。


 スターレインは、穏やかな目で彼を見つめ、淡々と口を開いた。


「……これが、“コミュニケーション”というものです」


 監督は、戸惑いながらも、問い返す。


「……吸うのが……コミュニケーション、なんですか?」


 スターレインは小さくうなずいた。


「言葉よりも、行動を。理屈よりも、対等を。

 職人さんは、そういうものです。ガサツで粗くても、筋さえ通せば、きちんと応じてくれます」


 彼女の言葉には、現場で積んできた日々の重さがにじんでいた。


「さっきみたいに、“上から”お願いしても、反発を生むだけです。

 でも、一緒に煙を吸って、“同じ場所に立つ”だけで、彼らは受け入れてくれます」


 その理屈を、監督はすぐには理解しきれなかった。

 だが——吸った、という事実は確かにそこにあった。


 そして、それを見た職長たちは**“受け入れ”た**。


「お前もやっと現場の“入り口”に立てたな」

「吸って通じるって、やっぱこの業界独特だよな」


 茶化しながらも、どこか嬉しそうな声。

 監督は少し照れながら、頷いた。


「……はい。指示、ちゃんと通します。今度は、ちゃんと」


 その言葉に、職長たちは頷き、再び煙をくゆらせた。


 その輪の中で、スターレインは一人、静かに煙を吐いた。

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