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彼女の名はスターレイン  作者: 狐御前
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第1話:経験者か否か

 

 春霞のような朝靄が、土のグラウンドを柔らかく包み込んでいた。まだ眠気を帯びた空気の中に、ホウキを担いだ生徒たちのざわめきが響く。フラワーリング魔法学園、クディッチ部の朝練である。


 その一角に立つのは、フードをかぶった若き女性教諭――コリンズ。青の三つ編みを後ろに束ね、丸眼鏡の奥にわずかな緊張と決意を宿していた。

 彼女はこの春から、クディッチ部の第一顧問となった。


 事情を知らぬ者ならば、落ち着いた人柄と事務処理能力、教務への信頼から妥当な人選と思うかもしれない。だが、当の本人にとって、それは少なからず荷が重い役目だった。なぜなら――彼女は、クディッチの経験者ではなかったのだ。


「……まあ、最初から敬意なんて期待してないですけど」


 静かにため息をつき、フードを下ろす。風に揺れる三つ編みを整えながら、コリンズは遠巻きにこちらを見ている生徒たちを一瞥した。彼らの目には、探るような、いや、試すような光が宿っている。


 ――どうせ顧問なんて、飛べもしない観客でしょ。

 ――どうせ命令だけして、技術も分からないくせに。

 ――俺たちの方が上手いんだ、って。


 彼女はそれらの無言の言葉を、日常的なものとして受け入れるしかなかった。子どもたちが誰かに従うとき、それは“上手いか否か”が基準になる。魔法競技のように分かりやすい技量が存在する分野では、とくに顕著だ。


「分かってるつもりでしたけど……やっぱり、ちょっと、刺さりますね」


 コリンズは呟き、ホウキを手に取った。ぎこちなく跨がる。足元が少しふらついた。


 ――下手だな、って笑われたっていい。

 ――教えられないなら、学びに行けばいい。

 ――上手くなくても、信頼される形がある。


 彼女の教育観は、法治でもなく、徳治でもなく、その間に揺れる現実主義だった。無理をしない。けれど、諦めるわけでもない。


「まずは、わたしが“努力する大人”だってところを、見せないといけませんよね」


 生徒たちは見ている。命令ではなく、行動の真意を。

 完璧な選手ではない大人が、どこまで彼らの信頼を勝ち取れるか。

 技術を一つ一つ覚え、言葉に裏打ちされた行動を重ねることで、やがて彼らは“話を聞く価値”を認めるようになるだろう。


 最初が、肝心だった。

 それを知っているからこそ、コリンズはグラウンドに立つ。


「よし……今日も一本、飛びましょうか」


 細く長い息を吐いて、彼女は空へ踏み出した。飛行がうまくいくかどうかは問題ではない。

 “努力する姿”は、何よりも強い魔法だと、彼女は知っていたから。




 学校における「生徒指導」という言葉が、ただ一つの意味しか持たないと考えているとしたら、それはきっと現場を知らぬ者の幻想だろう。

 実際には、この言葉は少なくとも二つの系統に分かれている――部活動指導と学年指導だ。


 どちらも“生徒を導く”という点では同じだが、実際の運用においては担当と責任の所在が大きく異なる。たとえば、放課後のクディッチ部で後輩に暴言を吐いた者がいれば、それは部活動対応。

 昼休みに教室で同じ相手に手を上げれば、学年対応になる。

 だが、両者が同じ部の所属であり、部活動の人間関係を背景にしているなら、そこには「横断的な対応」も必要になる――境界は、想像よりも曖昧だ。


 重要なのは、そのあいまいさに振り回されず、報告のルートを確保することだった。


 部の顧問である以上、何かあれば「先生、責任取ってください」と言われる。言葉にされなくとも、保護者や管理職の目線がそう語る。

 だが、すべてを抱え込む必要などどこにもない。いや、抱え込むことこそが最大のリスクなのだ。


「自分の管理不足でした」「わたしがもっと見ていれば」などと殊勝な反省を口にした瞬間、教員はサンドバッグになる。


 ――部員の暴言? 顧問は何をしていたんですか?

 ――トラブルの兆候? 顧問が気づけなかったんですか?

 ――練習時間に起きたこと? じゃあ顧問の責任ですよね?


 人間関係を尊重するよりも先に、自分を守る手段を講じなければならない。それは冷たさではなく、生存戦略だ。


「無能」と思われても構わない。

 大事なのは、責任を“共有”しているという事実である。


 わたし――コリンズ教諭は、クディッチ部の第一顧問としての自覚を持っている。だが同時に、第二顧問がスターレイン教諭であるという事実に、正直かなり助けられている。


「スターレイン先生、県大会の申し込みの件で、ちょっとだけご相談いいですか?」などや、

「部の規則、こうしたいんですけど、どう思います?」などなど……。


 メール一通、メモ書き一枚、短い立ち話。それだけでいい。わたし一人で決めたことではない、という履歴を残す。それがどれだけ心強い“免罪符”になるか、知っている者だけが知っている。


 保護者対応においてもそれは有効だ。一人の顧問が言うことには反発してくる家庭でも、「これは複数名で確認し合った結果です」と言えば、たいていの主張は角を引っ込める。人は“相手が集団”になったとたん、強く出づらくなるのだ。


 ――スターレインと相談して決めた。

 ――スターレインにも伝えてある。

 ――スターレインが承認している。


 この三文法は、部活動という現場において、魔法以上に強力な呪文だ。


 もちろん、彼女が協力的でなければ成立しない話ではある。だが、あの人は冷たいようでいて、ちゃんと“そういう合理”には理解がある。


「報告を受けました。記録を残しておきますね」

 その一言が、どれだけのものを背負ってくれるか。


 わたしは第一顧問としての責任を果たす。でも、孤立しない。孤立させない。


 それが、教員として“長く生きる”ための方法だと、思っている。



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