第40話:職員室の派閥
昼休みの職員室は、いつものように空調の唸る音と、紙をめくる音、キーボードの軽い打鍵音が支配していた。だが、よく耳を澄ませば、その静寂の裏側に微細な変化が生まれている。たとえば、椅子の位置。言葉には出さぬままに、若手教諭のコリンズが、スターレインの机の斜向かいに座ることが増えた。誰かがそれをからかうでもなく、ただ黙って、視線だけがその距離の近さを追っている。
「スターレイン派閥、か……」
ぼそりと漏れたその言葉は、向かいの席の中堅教員・シュライグによるものだった。年齢は三十代後半、教育現場の酸いも甘いも噛み分けたベテランの一角。成績管理に厳しく、生活指導にもそれなりに通じ、かつては若手のまとめ役として期待された存在である。だがここ数年、どういうわけか、新任の教員たちは彼を避けるように距離を取っていた。厳しすぎるわけでも、嫌われているわけでもない。ただ、“空気”が合わないのだ。
そして、そんな彼の眼に映る“若手”の象徴こそが、今まさに紅茶を手に、スターレインの机に軽く寄りかかるように立つコリンズだった。
「先生、例のアンケート回収、土曜でもよければ私がやりますよ。どうせ魔法実験室の掃除で職員玄関までは来ますし」
笑顔。柔らかな口調。そして、スターレインのわずかな頷き。
「助かります。必要なら、鍵は事務に預けておきます」
「了解です、ではその方向で〜」
何気ないやりとり。業務の引き継ぎにすぎない。だがそれは、外野にとって“派閥”と見えるには十分な材料だった。スターレインの無表情の下にある感情の揺らぎを探ろうとする者は少なくない。そして、それに寄り添うように見えるコリンズの姿もまた、一部の同僚の心をざわつかせるのだ。
「授業参観のあった日から、あの二人、妙に距離が近いよな。授業形態もスターレイン先生に似てきてるし……」
別の机で書類を束ねていたベテラン教員がぼやく。
授業参観。
校内研の事前学習の一つとして設けられた、別の教員の授業を参観しにいくというもの。
コリンズは、スターレインの授業を選んだ。
また、コリンズはスターレインの授業に感動していたのを、同じ授業に参加していた他の教員も見ていた。
けれど、その“ささいな事実”は、この魔法学園という箱庭世界においては、十分に火種となる。
「若い連中は、なんでもスターレイン先生だな。エリス先生もそうだろ? あれはあれで違う方向に熱いが」
その言葉に、誰かが曖昧に笑った。三十代後半の中堅層。かつては“現場を回す主軸”だったが、今やその影は薄れつつある。授業力も、指導経験も、彼らにはある。だが、時代の風向きは、もっと別の方角を指し始めている。
皮肉なことに、四十代以上の教員たちは、その空気の変化にすら興味を示さない。彼らにとって、若手の衝突や派閥などは、ただの通過儀礼にすぎず、「まあ若いうちは」と笑って流すだけだ。
一方で、当のコリンズはといえば、その視線にも囁きにもほとんど無頓着であった。いや、無頓着を装っているだけかもしれない。
(……別に、派閥なんてつもりはないんだけどな)
午後の授業へ向かう前、ローブのフードを静かにかぶりながら、コリンズは小さく息を吐く。スターレインの隣で得られる冷静と安心は、彼女にとって確かな“居場所”であった。それは、派閥でも、媚びでもない。ただ、相性の問題であり、教育観の波長の問題だ。
だが——教員という世界は、そうした私的な安心すら、時に「政治」として消費する。
そのことを、彼女はよくわかっている。
それでも、なお。
「……ま、何言われたって、わたしはあっちの方が話しやすいですし」
誰に聞かせるでもなく、そんな言葉を呟いて、コリンズは静かに教室へ向かった。
派閥と呼ばれようが、授業形態がどうであろうが——彼女の穏やかな歩みは、揺るがない。




