第4話:初日終了
昼礼が終わり、午後の工程が開始された。
本日の作業後半、最大の山場は——
魔力制御盤の心臓部となる「魔導核」の仮設ユニット搬入である。
重量は三トン超。魔力干渉を防ぐために魔鉱で密閉された構造であり、ちょっとした揺れや衝撃で魔力漏洩の危険がある繊細な代物だった。
そのため、ゼネコンの現場監督による誘導と段取りが必須……なのだが。
「そっち、もう少し下げてっ!いや違う!そっちじゃない、そっち斜めっ!」
現場に響く、焦り混じりの誘導の声。
現場監督が、魔導核の台車の前後で四苦八苦していた。
正規雇用で実習を受けた監督ではなく派遣雇用による使い捨ての監督だ。
研修期間はたったの一ヶ月程度。
国家プロジェクトなので、このようなお飾り現場監督があちこちにいる。
「うわっ、斜めってる!」
「ストッパー外れてない!?ちょ、支えろ支えろ!」
「早くっ、誰か合図して!このままだとぶつかる!」
魔導核がガクンと傾ぎ、通路脇の足場材に接触しそうになる。
怒号と警笛が飛び交う中——
「下がれッ」
乾いた声とともに、スターレインが駆け込んできた。
その脚が迷いなく、誘導担当の現場監督の腹を蹴り飛ばす。
ドンッ!
「——ぎゃっ!?」
軽く体が浮き、男は無様に転がる。
その瞬間、台車が不安定な角度で斜めに沈みかけた——
だが次の瞬間、スターレインは魔導監理杖を地面に突き刺し、紫の魔力で通路床を補強する。魔力の帯が鋼材に沿って一瞬で定着し、車輪の沈み込みを止めた。
「ストッパー展開。両側、枕木追加。水平確認。
次、作業半径に職人以外は立ち入り禁止。理解できないなら、黙って見ててください」
冷たく、簡潔な声だった。
誰もが黙った。
スターレインは、足元の板を自ら整え、指差しで台車の角度を誘導しながら、完全に作業を制圧していく。
「あの……すいません、何か手伝——」
「立ち位置、間違ってます。下がってください」
「……はい」
魔導核が、正確な角度で据え付け位置へと導かれていく。
つい先ほどまであれほど騒がしかった現場が、今や静寂の中に呼吸だけが響いていた。
固定完了。安全確認。締結開始。
すべてを終えたとき、職人たちの目には、明確な評価が浮かんでいた。
「……動きに無駄がなかったな」
「ていうか、あのスピードで判断して、誘導して、補強して……」
「本当に職長の資格、持ってるんだな……」
「いや、それどころか、“現場を任せられる人”って、こういう人のことなんだな……」
スターレインは淡々と次の作業指示を発していた。
「……次、電源盤の搬入前に、遮蔽フィルム張り替えます。
反射率のズレで後工程に影響が出るので、今日中に」
それはまるで、いつもと変わらぬ日常のように。
だが、現場の空気は、確かに変わっていた。
午後五時。
建設現場全体に設置された警報魔法陣が、柔らかな金属音を響かせた。
「……一旦、作業停止でーす!」
「工具しまってー!明日の準備できたら片づけ頼むよー!」
各班の声があちこちで飛び交い、次第に音の密度が落ちていく。
魔導工具の起動音、クレーンの振動、指示の声、それらが順に消えていき、代わりに夕方の風が広がった。
現場は徐々に“作業”から“撤収”へとモードを変えていく。
帰り支度をする職人たちの顔には疲労と、そこはかとない達成感が滲んでいた。
だがその中で、一人だけ帰らない者がいた。
スターレイン。
反射ベストとヘルメットを外し、袖を軽くまくり、腰袋を締め直していた。
結界盤基礎の一角。
本日中に完了する予定だった結界紙の再敷設が、午前中の地盤ずれの影響で遅れていた。終わっていないのは、彼女の班だけ。
だが、誰を責めることもなく、彼女は無言で作業区域に戻っていく。
「え……あの人、残ってんの?」
「え?え?一人でやるってこと?今から……?」
他の班の職人たちが、三々五々引き上げる中で、興味本位に振り返る者がいた。
そこで、誰もが目にしたのだった。
スターレインが、“作業員”として動くときの異様な速さを。
「……いや速っ」
「ちょっと待って、魔導紙って、あんなテンポで貼れるもんだっけ……?」
「いやいや、指合わせの位置ズレねぇぞ……!?」
手順はすべて正確。
魔導紙の角を浮かせて配置。
符号面の向きを一発で見抜き、空中で静電接着。
重ね合わせの誤差、ゼロ。補助魔法の補正、即応。
それらすべてを、スターレインは一人で、無言で、流れるようにこなしていく。
「……なんつーか、“魔導士が作業やってる”んじゃなくて……」
「“作業員が魔法も使える”って感じだよな」
「いや、ほんとに。あれが、ホンモノなんだな……」
残業で別班の配線作業をしていた職人たちが、口々にそう呟いた。
職長だからすごいのではない。
魔導士だからすごいのでもない。
この人は、“現場で使える動き”ができる。それがすごい。
夜の気配が差し込みはじめ、スターレインの影が細く伸びる。
照明塔の明かりが灯る頃には、彼女の作業は一通り完了していた。
すべての紙が所定位置に収まり、風でめくれることもなく、魔力の流れが安定している。
確認を終えると、彼女は工具をまとめ、腰袋を外し、やや乱れた髪をひとつ束ねた。
(……予定より、二時間遅れ。明日は、配線を前倒し)
小さく息を吐き、空を見上げる。
淡く紫が残る空に、一番星がひとつ、光っていた。
(……帰って、ビールですね)
それは“任務完了”の合図だった。