第38話:純粋悪
焼き鳥屋の煙が緩やかに立ちのぼる中、コリンズは手元のグラスに残った氷をかき混ぜながら、ゆっくりと口を開いた。
「……黙ってしまいました。すみません、スターレイン先生」
スターレインは、変わらぬ無表情のまま、首を小さく横に振る。それは「気にしていない」とでも言うような、抑制された動きだった。
「あなたのお話を聞いていると、私……自分がいかに未熟かを思い知らされます」
コリンズは苦笑を浮かべたが、その目には真剣な色が宿っていた。
「もし、私の授業で場を乱す生徒がいたら……私は、たぶん……“出て行きなさい”と、言ってしまうと思います。……本当は、いけないってわかっているのに」
スターレインは反応しなかった。ただ、静かにグラスを置いた。彼女の表情は変わらない。だが、それが逆に、相手の言葉を最後まで聞こうとしている意思の表れだった。
「……ですが」
コリンズの声が一段、深くなる。
「それでも、授業を邪魔する子が現れたら、どうしますか? 意図的に、計画的に、悪意をもって授業を破壊しようとする子。……まるで“純粋悪”のような、他者の混乱や苦痛に喜びを感じる子です」
スターレインは、わずかに目を伏せ、そして今度は明確に、コリンズの問いに応えた。
「……そういう子は、すでに他の授業でも問題を起こしています。私の授業に限ったことではありません」
その声音には怒りも嘆きもなかった。ただ、確信と、淡い冷徹さがあった。
「そうなれば、学年対応に移ります。私個人の授業設計とは切り離して、学校全体の管理構造が作動する。教育現場という制度の中で、すみやかに“隔離”が行われるでしょう」
“排除”という言葉を使わなかった。だが、それは明確に、排除の予告だった。
コリンズは息を呑みながら、問いを重ねた。
「……でも、その前に、たとえば三時間──三時間分の授業で、私のクラスが崩壊寸前になるような妨害を受けたとしたら……?」
スターレインは頷いた。その表情に、わずかな微笑が浮かぶ。だがそれは、温もりから来るものではなく、“確信による落ち着き”だった。
「ええ。仮に三時間、わたしの授業が妨害されたとしても、わたしはその間、排除を一度も口にしません。何をされても、何度も言い続けるでしょう──『あなたもクラスの一員です』と」
その言葉に、コリンズはなぜか目を逸らせなくなった。
「なぜなら、その発言を繰り返している限り、わたしの姿勢は一貫しています。“誰も排除しない教師”という立場を守り抜くことができる。そしてその状態で授業が破壊されれば、こう見なされるでしょう──」
彼女は、すっとコリンズを見つめる。
「“スターレイン先生は、可哀想だ”と」
それは、声高に自己正当化するわけでも、他者の共感を求めるわけでもない。ただ、論理として導き出された、“結果”としての同情だった。
「排除を叫ぶ者は“排他的”とされます。でも、排除しない者が傷つけられていたら──社会は、必ず“悪いのはどちらか”を選びます」
コリンズは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それって、怖いくらいに、よくできてますね」
「教育とは、“善を振るうこと”ではありません。“悪を定義する構造”を作ることです」
スターレインの言葉は、まるで声明のように、静かに落ちていった。




