第33話:昇格報告
放課後の職員棟は、夕陽の朱に染まり、静寂の中に書類をめくる音が微かに響いていた。行事報告書の締切は明日。職員室には数名の教員が残り、皆それぞれのデスクに向かっていた。
そんな中、扉がそっと開かれた。
「失礼します。……エリス先生、いらっしゃいますか?」
いつもと変わらぬ柔らかな声。羽根飾りとフードローブに身を包んだ非常勤講師――エルルゥが、影を落とすように部屋へ入ってきた。
振り返ったエリスは、見るからに疲労の色が濃かった。資料に埋もれ、マジックインクのキャップを口にくわえたまま、それでもその顔に浮かんだのは、心底うれしそうな笑みだった。
「エルルゥ先生! どうしたの、こんな時間に。精霊の誘い?」
冗談めかしたその言葉に、エルルゥは小さく笑って答える。
「いえ、今日は……ひとつ、報告がありまして」
彼女はローブの内ポケットから冒険者ギルドの小冊子を取り出す。表紙には昇格通知の印刷がなされていた。
エリスは目を丸くする。
「――これ、もしかして……!」
「はい。C級中位に、昇格しました。……放課後学習会、ぶっちしたおかげです」
ふっと、エルルゥが悪戯めいた笑みを浮かべる。いつもの微笑みよりも、心の内が透けて見えるような、素の笑みだった。
その言葉に、エリスはわずかに苦笑しながらも、すぐに椅子を立ち、まっすぐ彼女の前まで歩み寄った。
「それは、……ほんとうに、おめでとう。がんばったね」
言葉にわざとらしさはない。褒めるでも慰めるでもない。そこにあったのは、対等な人間としての、祝福だった。
教壇に立つ者と、立てない者。正規と非常勤。教職と冒険者。
どんな言葉でも、その“差”を埋めることはできない。だが、それでも二人は――人としてつながっていた。
助け、支え、笑い合い、すれ違い、それでも、ほんの少しの温度で繋がってきた年月があった。
エルルゥは視線を伏せ、言う。
「……生徒には、言っていません。こういう話、興味ないでしょうし」
「ううん、言わなくていいよ。これは、生徒の話じゃなくて――エルルゥ先生自身の話だから」
その一言に、エルルゥはわずかに瞬きをし、黙って小さく頷いた。
やがて、職員室の外廊下から吹き込んだ風が、二人のローブの裾を優しく揺らした。
静かな夕暮れの中、祝福の言葉も、承認の拍手もなかった。だがそれでも――そこには確かに、理解と敬意があった。




