第30話:面接の特訓
四月、七年生の教室。
新しい担任が教壇に立つときの、あの独特な緊張感が漂っていた。
静まり返った教室に、ヒールの音が一つだけ響く。
女性教諭が教壇に立ち、やわらかく笑った。
金髪が光を反射し、白と青を基調にしたスーツの裾が微かに揺れる。
「こんにちは。今日からこのクラスの担任になることになりました、エリスです」
その声は明るく、けれど不思議と深みがある。
生徒たちの視線が、一斉に集中する。
自己紹介は、こう始まった。
「えーっと、まず最初に言っておくね。私は、自分の趣味とか、ぜんぶ生徒に教えてる先生です。」
ざわ、と教室の空気が揺れる。
「パチンコ、好きです。あとタバコも吸います。
でも教育モラルに反するから、“えっちな話”は説明しませーん、ってことで(笑)」
笑いが起きる。突拍子もない導入だが、不快感はない。
むしろその軽さに、誰もが少し肩の力を抜いた。
「でもね。私は教育観、ってちゃんと持ってて。
“徳治主義”っていって、簡単に言えば“信じて、育てる”やり方。
この中にどんなに問題がある子がいても──絶対に見捨てません。」
生徒たちの目が、静かに変わっていく。
「全員を平等に扱う。けど、“公平に”対応することもある。
つまり、困ってる子にはちょっと多く手を貸すし、そうでない子には信頼して任せる。
これは差別じゃなくて、配慮だから。分かってほしいな」
そこまで一息で言い切ると、少しだけ声のトーンが下がる。
「……私のことはね、うるさいババアだと思ってくれてかまいません。
でも、クラスメイトのことは、大切にしてね。
このクラスは、誰ひとり欠けることなく──全員で卒業する。
それが、私のいちばんの目標です」
言葉が、黒板の前に静かに降りる。
教室は一瞬だけしんと静まり、それから、誰かの机をそっと叩く指の音が聞こえる。
エリスはその沈黙を、押し付けることなく受け止めてから、再び微笑んだ。
「じゃあ、今日からよろしくね。……最初の授業は、名前の覚え方と、君たちの話を聞くところから始めます」
その言葉に、教室の緊張がゆるやかに溶けていった。
彼女の自己紹介は、冗談のように始まり、本音で締めくくられる。
そうやって、生徒との一年を、彼女はいつも築いていくのだった。
薄暗い研修室の一角。
モニターに映るのは、春先の教室。生徒たちが少し緊張した面持ちで座り、教壇には金髪の女性教諭──エリス先生が立っている。
「こんにちは。今日からこのクラスの担任になることになりました、エリスです」
音声が流れ始める。映像のなかの彼女は、明るい笑顔で生徒に向き合っていた。
椅子に並んで座る二人の女性教員。
モニターを見つめるエルルゥの隣で、エリス本人がマグカップを持ったまま、ぽつりと口を開いた。
「……さて、ここが面接のポイントだよ」
エルルゥは一瞬、横目で彼女を見る。
エリスは映像の中の自分を、恥ずかしげもなく、むしろ戦略家の顔で見ていた。
「まず最初の冗談。パチンコ、タバコ、えっちの話はしませーん──ってね。
あれは、“私は聖人じゃないです、でもユーモアと節度があります”って一発で伝える仕掛け。」
画面では、笑いをこらえる生徒たちの表情が映っている。
「こうやって、場を緩める。
そしてすぐに、“徳治主義”“見捨てない”“公平に接する”──っていう、信念の核を入れる。
最初の60秒で、先生としての“人格モデル”を提示してるの。」
「……人格モデル」
「そう。“この先生はどんな価値観で動いてる人か”って、視覚と音声と空気で一発で伝えるの。
面接官も生徒も、“一言で説明できる人”が一番印象に残るから」
エルルゥは、映像の中の“軽やかで明るい、でも芯のある人物像”をじっと見つめる。
笑っているように見えて、その言葉の選び方や間の取り方に、計算と意志が感じられる。
「“全員で卒業したい”って、あの一言。あれは感情的共通目標の提示。
クラスに“この人とならいけそう”って空気をつくる魔法みたいな言葉」
「……魔法」
「そう、言葉選びって魔法なんだよ、教育者にとっては。
だからね、面接でも作文でも、
“わたしがどんな先生で、どんな子をどう導きたいか”が、一発で伝わる構造になってないと、印象が残らないの。」
映像が終わる。画面が暗転し、部屋の照明が戻る。
エルルゥは、少し言葉を探すようにして呟いた。
「……あれだけ冗談を言って、でも信頼されるんですね。
軽く見られたり、遊んでると思われたりは……」
「されないよ」
エリスは即答した。
「なぜなら“冗談を言う人”と、“軽い人”は違うから。
言葉に芯と責任があれば、どんなにふざけてても、相手は“信じていい人”だとわかるの。
むしろ、“ふざけない人”のほうが、距離を取られることもある」
エルルゥは静かに頷いた。
その視線はモニターではなく、自分の中の“言葉にならなかった疑問”に向けられていた。
「……一発で“わたしはこういう人間です”って、伝わる形。
私には、まだその組み立てが、ないのかもしれません」
「なら、これから作ればいい。演じてもいい、嘘でもいい。まず“伝わる形”をつくる。
そのうち、それが自分になるから」
エリスはマグカップの残りを飲み干し、軽く笑った。
「面接ってね、真実を話す場所じゃない。
“この人と一緒に働いたら安心だ”って思わせる場所なの。」
それは、教育の現場で生き残ってきた者が辿り着いた、誠実な戦略だった。




