第23話:お客様
三年ほど前だったか、最後に本気で“教える”ということに熱意を抱いていたのは。
あの頃のエルルゥは、まだ信じていた。
努力が報われる世界があると。
生徒の未来に関与する価値が、自分にもあるのだと。
しかし、今は違う。
元気な生徒を見ても、何も感じない。成長の兆しにも、失敗にも、笑顔にも。まるで、音のない芝居を見ているような気分になる。
エルルゥは今日も笑顔の仮面を被る。
眉を下げて、優しげな声で相槌を打ち、静かな肯定の言葉を返す。
何を言っても相手が安心するように何も言っていないのと同じような音だけのやり取り。
それで十分だ。
生徒が問題を起こさなければ、それでエルルゥの仕事は終わる。
管理職や学園長の前では、もちろん演技を強める。
姿勢を正し、明るく、前向きな語彙を選び、誠実で意欲的な教員像を崩さないようにしている。
「来年こそは、頑張ります」と、口では言う。
だが、心の中では「どうせ意味なんてない」と、どこか冷めた声が常に鳴っている。
相手が誰であれ信用も期待もしていない。
ぶっちゃけ、もう子どもを“育てる”つもりなど、とうに失っている。
今年も落ちた。
通知を見た瞬間、驚きも怒りも湧かなかった。
ただ、ああ、またか、と。それで終わりだった。
もうエルルゥの中では、来年まで“やること”はない。
一次試験に向けた教科試験の勉強も飽きた。
一次試験は一応合格できるが、問題は二次試験なのだ。
過去問を何度解いても、結局、問われるのは正答率ではなく「期待される人物像」に沿った立ち振る舞いだと、もう気づいてしまった。
面接、小論文、模擬授業——どれだけ対策を重ねても、自分が選ばれる未来が描けない。自分が“正解”である姿が、どうしても思い浮かばない。
それでもエルルゥはローブを着て、風の話をして微笑んでいる。
そうすることが、唯一、何かを諦めずに済む方法だから。
沈黙と演技と嘘の優しさ。
その繰り返しの中にもうエルルゥの“教育”は残っていない。
C級冒険者として生きていく——
それはそれで、悪くない選択なのかもしれない。
依頼を受けて、金を稼ぎ、夜は簡素な宿で食事をとり、明け方にはまた別の村へ向かう。煩わしい会議も、保護者対応も、意味の分からない自己評価シートもない。ただ、目の前の仕事をこなし、体を動かし、静かに日が暮れていく。そんな生活に憧れる瞬間が、最近とみに増えた。
だが、エルルゥは絶妙にプライドが高い。
「C級のまま生きる」というのは、どこか屈辱でもある。
本音を言えば、エルルゥはB級冒険者になって、ちょっとくらい“イキって”みたかった。ギルドの受付嬢に名前を覚えられて、後輩冒険者にちやほやされて、街の子どもに「エルルゥさんってすごいんだよ」とか囁かれて——そういう幻想を、心の奥にしぶとく抱えていた。
でも、わかっている。
エルルゥは、B級になるほどのセンスはない。
瞬発力も、判断力も、命を預けられる胆力も、すべてが中途半端だ。そこそこ動けて、そこそこ戦えて、そこそこ癒せる——そんな「器用貧乏」の典型が、いまのエルルゥだ。わかっているのに、どこかで諦めきれないのは、捨てきれない自尊心のせいだろう。
今日、放課後学習会を頼まれた。
教務主任が「自然魔法の復習をお願いできますか」と、あの人懐こい笑みで言ってくる。エルルゥは、もちろん頷いた。「ええ、承りました」と、いつもの柔らかい声で返す。
だが、心の中では毒を吐いている。
——これ、意味あるの?
——どうせ、誰も真面目に勉強なんてしないでしょ。
——ぶっちして、帰ってゲームでもしたいわ、ほんと。
そんな思考が、脳裏に泡のように浮かんでは、音もなく消えていく。エルルゥは笑顔のまま資料をまとめ、教室の鍵を確認し、出席予定の名簿に目を通す。
他人から見れば、“真面目で誠実な非常勤講師”に映るだろう。そう見えるように、エルルゥは完璧に振る舞っている。だが、その仮面の内側では、いつも小さな呟きが鳴り続けている。
——どうせ、誰も見てないのに。
——これが私の、何の足しになるというのか。
風が騒いでいるふりをして、エルルゥはまた、誰にも聞こえない独り言を飲み込む。
放課後学習会とは、名目上「学習支援」として実施される非常勤講師の業務の一種である。
だが、その実態は、教師とも呼べない、ただの「見張り役」にすぎない。
指定された日時に指定された魔法学校へ赴き、夕方の薄暗い教室で、生徒の自習を一時間ほど“監督”する。
それだけの仕事だ。
授業をするわけでもない。
板書も指導も、問いかけもない。
生徒たちはそれぞれプリントを開き、鉛筆を走らせるふりをして、時に沈黙し、時にぼんやりと天井を見つめている。
そして、エルルゥもまた、ただそこに“いる”。
その雰囲気は、奇妙に冷たい。
エルルゥは、学校という共同体に属さない“異物”として、割り当てられた一室に招かれる。
職員室での雑談に加わることはなく、職員会議に出席することもない。
生徒たちにとってもエルルゥは「授業をしてくれる先生」ではなく、「知らない外部の人」でしかない。
お互いにどこか遠慮し、視線を合わせず、空気だけが静かに流れていく。
それは、まるで“お客様”だ。
歓迎されているわけでも、疎まれているわけでもない。けれど、明らかに「内側」ではない。部外者であるという、言葉にはされない空気が、部屋全体に染みついている。
この制度の何より恐ろしい点は、それを断る自由が、実質的に存在しないことだ。
放課後学習会は、建前としては「協力依頼」である。だが、非常勤講師であるエルルゥは、毎年の教員採用試験を控えている。管理職や教育委員会に対し、“非協力的な人物”という印象を与えることが、どれほど致命的かは、痛いほど理解している。
つまりこれは、制度という名の人質だ。
「協力しなければ、不採用になるかもしれませんよ?」と、誰にも言われないままに、だが確実に突きつけられている刃物のようなものだ。
だから、エルルゥは断れない。たとえ無意味だと思っても。
たとえ、生徒がこちらに一瞥もくれなくても。
たとえ、誰からも「ありがとう」と言われなくても。
エルルゥは今日も、笑顔を整え、静かに扉を叩く。
そして、誰にも属さぬまま、誰にも必要とされぬまま、「協力的な教員」としてのふりを続ける。
それが、エルルゥの『現実』だ。




