第21話:覚悟
その日の放課後、スターレインは相談室の一室に呼ばれていた。時刻は夕刻を回っていたが、窓から差し込む光はまだ白く、秋の始まりを思わせる冷たい空気がカーテンをゆるやかに揺らしていた。
ロレッタは、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべたまま、手元のタブレットを一瞥してから、視線を上げた。
「さて、今日は少し現場の話をしましょうか。……一組と二組、最近、少しずつ軋みが出てきているようですね」
スターレインは頷いた。何かを言い訳にするでもなく、特段驚く素振りも見せず、ただ事実として受け止めるように。
ロレッタの声は滑らかに続く。机に置かれたペンを指先で静かに転がしながら。
「どう思いますか?」
一拍の間。スターレインは目を伏せ、呼吸を整えるように少しだけ間を置いてから、静かに言葉を紡いだ。
「子供たちへの支援が必要だと思います。……崩れてきているのは、学級単位の構造ですが、根底には生徒個人の不安や孤立、あるいは無理解があるはずです。ですから、問題児と決めつけるのではなく、学年の一員として、彼らを支える枠組みが必要だと考えています」
その答えに、ロレッタの表情はわずかに和らいだ。だが、その柔らかさには、決して情緒的な安堵は含まれていない。ただ、次の問いを投げかけるための“準備としての余白”が、そこにあった。
「ふむ……スターレイン先生は、おそらく組織的な連携によって支援を行うつもりですね。制度的支援と指導体制を整えて、クラス外からの圧を緩和し、内圧にアプローチする」
彼女は、問いではなく、確信としてそう語った。そして、わずかに首をかしげながら言葉を継ぐ。
「では、徳治的な支援——たとえば、感情面での理解や共感を中心に据えた対応は、エリス先生にでも依頼する感じでしょうか?」
スターレインは顔を上げた。動揺のないまなざしで、まっすぐにロレッタを見つめる。
「……当たっています」
「ふふ、それは良かったです」
ロレッタは、口元に笑みを湛えたまま、ゆっくりと姿勢を正す。まるで次の講義が始まることを告げる講壇の鐘のように、その表情は理知と構造を静かに照らしていた。
「それも一つの方法です。担任一人がすべてを抱え込むには限界がありますから、組織的な支援を選ぶのは、合理的で望ましい。……ただし、今回は少し別の観点から、学びを得ていただきたいのです」
スターレインの眉が、かすかに動いた。ロレッタは、それに気づいたかどうかも告げず、手元の資料を閉じた。
「あなたに注目してほしいのは、一組の担任教員です。ベテランであり、学内ではスーパーティーチャーという肩書を持つ、あの先生のことです」
「……?」
「その方は、今のこの混乱を“予見”していました。もっと言えば、二学期の時点で学級が崩れる可能性を、一学期の段階で正確に見抜いていたのです。その上で、あえて止めようとはしなかった」
スターレインの目に、わずかに驚きの色が走った。
「え?」
ロレッタは、その反応を歓迎するように、少しだけ笑みの角度を深める。そして、滑らかな声で断言する。
「学級は壊れてもいいんですよ。……いいえ、壊れない学級なんてありません。生徒は成長とともに変化し、関係は常に揺らぎます。問題は、その“壊れ方”と“引っ張り方”です」
そして、机の上にそっと手を置きながら、目を細めた。
「壊れてでも、三月まで引っ張っていく——その覚悟があるかどうか。彼は、それを持っている教員です。スターレイン先生、今回はそこを学んでください。“秩序を守る”ことだけが、教育ではありませんよ」
その言葉は、まるで絹のような優しさで語られながらも、骨の髄まで冷えるような重さを持っていた。
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子どもには個性がある。
それは、教育学の教科書に記された常識ではなく、現場に立った者だけが実感する“重さ”である。
一人ひとりの性格、家庭背景、知能傾向、情緒の揺らぎ——
それらは無数の変数として交差し、教室という空間の中で予測不能な化学反応を起こしていく。
理想を言えば、すべての歪みに介入し、すべての問題を修正し、すべての子どもを等しく成長させたい。
だが、現実はそれを許さない。どれほど理論を尽くしても、制度を整えても、“ゆらぎ”は完全には制御できない。
そして、思い知ることになる。
——すべてを直すことはできない。
制度主義者であるわたくしは、それを最初に学ばなければならなかった。
秩序を整え、支援体制を構築し、指導言語を精密に設計しても、なお崩れる学級は存在する。
それは失敗ではない。むしろ、それを前提として動けるかどうかが、“教師”としての本質を分かつ。
壊れることを許容する。
そして、壊れたまま投げ出すのではなく、最後まで引っ張っていく。
声が届かなくても、反発されても、時に見下されても、
それでも教壇に立ち続け、関係性をつなぎ直し、学年のゴールへと子どもたちを導いていく。
それが——
**たとえ学級崩壊を起こしたとしても、なお子どもたちを見捨てない覚悟。**
形式や体裁ではない、“責任”という名の実存。
そういう人間のことを、わたくしは「教師」と呼ぶのだと思います。




