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第13話:魔法祭

 夏の気配が教室の窓辺に揺れる頃、フラワーリング魔法学園の職員会議で、恒例の「魔法祭」の開催が正式に告知された。

 今年度の練習期間は、およそ一週間程度とされ、その期間中は時間割の大部分が行事準備に振り替えられることが伝えられる。教職員たちの間には例年通りの進行という安堵もあれば、日数の短さに対するわずかな不安も漂っていた。


 スターレインは静かに記憶をたどっていた。自らが生徒としてこの学園に通っていた頃、魔法祭の練習にはもっと余裕があったように思う。教室で火球の軌道を計算しながら笑い合った日々、失敗した瞬間に床を焦がして怒られたことも、今では遠い記憶だ。それでも、当時の準備期間は二週間を超えていたはずだ。現在よりも、時間に余白があった時代だったのかもしれない。


 職員会議が終わると、教員たちは思い思いに談笑を交わしながら会議室を後にした。

 人波が去り、空気が静かになった頃、スターレインも無言のまま席を立つ。資料を腕に抱え、廊下に出る。夏の湿気がわずかに混じる空気の中、彼女は窓際の光を避けるようにして歩を進めた。


 そのとき、背後から軽やかな足音が一つ。

 振り返ると、そこにはロレッタの姿があった。

 白と青のパーカー、跳ねる毛先、微笑を湛えた童顔。しかしその眼差しは、どこか研ぎ澄まされた硬質な輝きを宿していた。


「スターレイン先生。少し、よろしいでしょうか」


 その声には柔らかさがあったが、拒む隙は与えない調子だった。スターレインは一拍だけ間を置いて、軽くうなずく。


 二人は人気のない廊下の端、掲示物の並ぶ掲示板の前で立ち止まった。そこには各学級で使用されるイベントカレンダーの見本が貼り出されていた。魔法祭までの日数を大きく表示した紙、季節ごとに装飾されたカウントダウン表。教育的工夫の象徴のような掲示だった。


 ロレッタはその前に立ち、掲示物に視線を向けたまま静かに語り出した。


「先生。教員は“時間割”という全体図を把握していますね。どの時間に、どの活動が入っていて、どれだけの準備が必要か。あなたも当然、そうした構造の中で動いていらっしゃる」


 ロレッタは目線を逸らさずに続けた。


「けれど、子どもたちにとって“時間割”という概念は、あくまで形式に過ぎません。彼らは、その日、その瞬間を“なんとなく”過ごしているだけ。私たちが焦っても、その焦りは彼らには届かない」


 スターレインは無言だった。肯定も否定もせず、ただ聴く。それが彼女の習性だった。ロレッタはそれを知っている。


「だから、私はこうした視覚的な提示を導入しています」


 ロレッタは一組のカレンダー掲示を指差す。魔法祭までの日数が書かれた大きなカレンダー。日付ごとに予定や目標が書き込まれていた。


「“視覚化”は、子どもたちに時間を意識させるための第一歩。構造の中で育っていない子どもたちに、構造を与える。私はそう考えています」


 彼女は次に、隣のクラスが用いたカウントダウン方式に目を向ける。

 「魔法祭まであと〇日!」とだけ大きく書かれ、日に日に数が減っていくシンプルな掲示だった。


「一方で、こうした単純な“カウントダウン”もまた、有効な手段です。数字が減っていくという視覚的な圧力は、子どもたちに“終わり”を意識させる」


 ロレッタはようやく、スターレインに目を向けた。柔らかい表情のまま、言葉を落とす。


「どちらを選ぶかは、あなた次第です。スターレイン先生。あなたが生徒とどのように距離を取り、どのように構造を共有したいか――それが、この“掲示”という手段に、必ず現れます」


 微笑は崩さず、それでも視線の奥には、問いを携えた鋭さがあった。


「私は、“自分のために教える”教員も、“子どものために教える”教員も、否定はしません。ただ……構造に向き合わない者は、“教える者”とは呼びません」


 それきり、ロレッタは掲示板から視線を外し、静かに会釈をした。


「では、良い一日を。先生」


 足音も立てず、ロレッタは去っていった。

 静まり返った廊下に、夏の光と、残された問いだけが漂っていた。


 昼下がりの校舎に、夏の兆しが忍び寄っていた。

 涼しさを失いはじめた石造りの階段を、スターレインは淡々とした足取りで下りていく。手には書類の束。内容は、魔法祭に関する打ち合わせ資料。教室の掲示、練習時間の確保、動線の確認――どれも現実的な処理が求められる案件ばかりだった。


 そのとき、上の階からふわりと軽やかな声が聞こえた。


「スターレイン先生!」


 顔を上げると、階段の踊り場に、トリコロールの衣装を纏ったエリス先生が現れた。金色の髪が窓の光を受けて輝いている。

 自然と互いに歩み寄り、階段の中腹ですれ違うその一瞬、二人の視線が静かに交差する。


「お疲れさま。魔法祭の準備、順調?」


「手順は揃っています。ただ、生徒の動きは未知数です」


 淡々とした返答に、エリスはくすりと笑った。


「それはどの学年でも一緒ね。七年生だって、騒ぐだけ騒いで、まとまる気配がまったくないわ」


 エリスは、今年度七年三組の担任を務めている。スターレインの一年三組とは学年こそ異なるが、共に教壇に立つ者として、そして珍しく職場外でも気を許せる数少ない相手として、二人はとても良好な関係を築いていた。


 フラワーリング魔法学園の魔法祭は、学年の枠を越えて“団”単位で構成される。七年三組と一年三組は、偶然にも同じ赤団に属することになっていた。

 ちなみに余談だが、団編成は毎年変更される可能性がある。生徒数の増減や転入出などに応じ、学級数が変動すれば、それに合わせて管理職や体育科の担当教員を交えた運営会議で、構成の再調整が行われるのが常だ。


 そうした事情を承知の上で、エリスは階段の手すりに寄りかかりながら、軽やかに言った。


「魔法祭は、クラスの団結力を高める行事だから。せっかくだし、頑張ってみよう?」


 その言葉に、スターレインは返事をしなかった。否定ではない。けれど、どこか曖昧な沈黙が彼女のまなざしに滲んでいた。


 ――団結力。果たして、行事一つでそれが本当に育まれるのだろうか。


 学校行事の理念として掲げられる言葉だが、実感を伴う場面はそう多くはない。教師が適切に導かなければ、むしろ学級崩壊を助長するきっかけにもなり得る。形式ばかりの指導が空回りすれば、生徒たちの関係は“団”どころか“断”へと傾いてしまうこともあるのだ。


 そんな思考の流れを、スターレインは言葉にせず、ただ無言のまま目を伏せた。


 しかし、エリスはそれだけで察したようだった。

 彼女は階段を一段上がると、ふと手を伸ばし、そっとスターレインの指先に触れる。そしてそのまま、やや強引に彼女の手を包み込んだ。


「……当時の思い出として、微かに残っていませんか?」


 優しい声だった。

 しかしその問いかけは、明確な一点を突いていた。スターレインが生徒だった頃、まだ今より少しだけ感情を信じていたあの頃――誰かと声を合わせ、魔法陣を組み上げた日の記憶。火球が天に弧を描いた瞬間、歓声と共に味わった、確かにそこに在った“つながり”の感触。


 言葉にはならないが、その記憶は確かにあった。


 スターレインは小さく頷いた。


「……残っています。ほんのわずかに、ですが」


 エリスはそれを聞くと、満足げに微笑んで、そっと手を離した。

 そして、踊り場からもう一段、上階へと足を運びながら振り返る。


「なら、それで十分だよ。思い出せるなら、子どもたちにも、何かを残せるかもしれないから」


 そう言って、彼女は光の中へ消えていった。

 残されたスターレインは、しばらく階段に立ち尽くし、手元に残る微かな体温を感じていた。

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