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第7話:テロリスト

 昼下がりの魔導列車は、渓谷沿いを滑るように進んでいた。窓の外では、濃い緑の木々が風に揺れ、陽光がキラキラと反射している。


 車内には、魔導エンジンの低い駆動音と、旅人たちの穏やかな笑い声が満ちていた。


 スターレインとエリスは、並んで座席に腰掛けていた。テーブルには紅茶と小さなスコーン。数刻前に出発したばかりの列車内で、ふたりは穏やかな時間を過ごしていた。


「やっぱり列車っていいね。揺れも少ないし、風景も綺麗で……スターレイン先生、こういう旅は好き?」


「はい。……騒がしくなければ、快適です」


「ふふ。あなたって、たまに“人間やってるな”って感じがするよね」


 からかうようなエリスの言葉にも、スターレインは静かに紅茶を一口含み、目を細めた。


「“たまに”という表現は正確ですね。わたし自身も、そう思っていますから」


 そんな冗談交じりの会話が続いていた矢先——


 列車が、突如として急停止した。


 ガタン、と車体が揺れ、客室の照明が一瞬だけ瞬いた。


「……非常ブレーキ?」と、車内の誰かが呟いたその直後だった。


 連結部から、複数の足音と金属音が響いてくる。車掌のものとは明らかに異なる、無骨で重い足取り。そして——扉が開かれる音と共に、数人の男たちが現れた。


 黒い軍装。顔を布で隠した者もいれば、堂々と素顔をさらした若者もいた。彼らは一様に粗野な武装をまとい、魔導銃や剣を手にしている。


「静かにしろッ!」


 先頭の男が一喝する。周囲の乗客たちが凍りつく。


「俺たちは王国解放軍だ。……お前ら、これから“人質”になってもらう。政府に要求を通すためにな」


 場が凍る。


「解放軍」——それは、一部の民衆を煽動し、王政の転覆を狙って武装蜂起を繰り返してきた反社会組織。その存在は新聞ではたびたび報じられていたが、実際に遭遇した者は少ない。


「……うそ、こんな……」


 エリスが、声を失いかけながらも必死に気丈に振る舞おうとする。しかし、その手はわずかに震えていた。


 スターレインは、無言でその手にそっと自分の手を重ねた。


 細く、けれど確かな温もり。エリスが驚いて顔を向けると、スターレインは小さく頷くだけだった。


 次の瞬間——


 スターレインがゆっくりと席を立つ。


「……座ってろ。動くな」

 一人の兵が即座に魔導銃を構え、スターレインの額へと照準を合わせる。


 しかし、スターレインはまったく動じない。視線すら逸らさず、まっすぐに相手を見据えた。


「あなたたちの目的は、交渉の場を作ること。……であれば、無意味な威圧は避けるべきです」


 冷静な声だった。ひとつも乱れのない声音。怯えも怒りもない。ただ淡々と、理性だけで構成された言葉。


 それは逆に——周囲に、異様な緊張を走らせた。


「……な、なんだコイツ。魔法使いか? なら尚更、撃つぞ」


「どうぞ」


 スターレインは、ほんのわずかに口角を上げた。


「……撃っても構いません。その瞬間、あなたたちは“交渉の手段”を失いますが」


 ピリ……と車内の空気が張り詰める。


 “この女は只者ではない”——全員が、そう理解した瞬間だった。


 エリスは、思わず手を口元に当てた。


 震えていた自分の手を重ねた少女が、今や全体の空気を掌握しようとしている。その静けさは、暴力ではなく“説得”のそれであり、だが確実に“脅威”でもあった。


(……この子、本当に“魔導職長”なんかじゃなかったんだ)


 エリスの胸に、かすかな確信と、不安が交錯した。


 ——戦闘になるのか。それとも、制圧するのか。


 車内の全員が、スターレインの言葉ひとつに息を詰めていた。


 車内を緊張が支配する。


 スターレインは、魔導銃の銃口に一切動じることなく、淡々と相手の視線を受け止めていた。彼女の眼差しは、鋭さよりも静けさが勝っている。まるで、目の前の暴力など初めから“想定内”であるかのように。


 ——そのときだった。


 列車の連結部側、死角から放たれた一条の銃弾が、スターレインの背中を狙って放たれた。


 乾いた銃声が、金属音のように列車内に響いた。


 だが次の瞬間——


 音とともに、スターレインの背後で淡い光が散った。


 ぱしっ——


 空気にひびく柔らかな衝撃音。銃弾は、スターレインの周囲に展開された“半透明の障壁”に触れた途端、弾かれて床に転がった。


「っ……!? 結界……っ!」


 射撃手の男が声を上げる間もなく——


 スターレインは、右手を軽く振った。


「《風刃》」


 詠唱も、演出もない。発せられた魔法は、一拍の間すらなく“結果”だけを残した。


 鋭利な空気の刃が、射撃手の腕に命中し、銃を弾き飛ばすと同時に、吹き飛ばされた男は背後の座席に叩きつけられた。


 もう一人、咄嗟に振り上げたナイフを構えたテロリストが突進してくる。


「ッざけんなああああッ!!」


 だが、スターレインは動かない。


 彼女が軽く杖を振ると、床下から突き上げるような土の拳が突如出現し、男の膝を砕いた。地に伏した男が呻く間もなく、そのまま拘束の術式が発動し、足元に結界が展開された。


 何も、させなかった。何一つ、触れさせもしない。


 車内に、一瞬の静寂が訪れた。


 だが——


「動くなッ! こっちは人質だッ!」


 前方車両から、一人のテロリストが乗客の女性を羽交い締めにして現れた。


 彼女は悲鳴を上げるでもなく、恐怖に顔を強張らせている。


「お前が暴れるなら……こいつを……!」


 その叫びに、スターレインはようやく動いた。


 足音すら立てず、一歩、二歩と静かに歩み寄り——


 微笑んだ。


「……無関係な人間を人質にしても、あなたたちの“正義”にはなりませんよ?」


 まるで、ただの会話のような声音。


 しかし、その刹那。スターレインの杖が僅かに光を帯びた。


「《水鎖》」


 床の魔導導線から解き放たれた魔力が、水の鎖となって瞬時に伸び、テロリストの手首を拘束した。


「なっ……!?」


 驚愕の声を上げる間に、女性の体が魔法の力で引き離され、別の乗客のもとへ保護される。


 その直後——


「《熱震》」


 熱気を帯びた衝撃波が床面からテロリストの腹部を貫き、体勢を崩させて完全に制圧した。


 その間、スターレインは一度も顔色を変えず、表情を乱さなかった。


 乗客たちは、ただ息を呑んで彼女を見ていた。


 誰もが理解していた。

 この少女の魔法には、叫びも、高揚もない。

 ただ“正確に、静かに、無慈悲に”敵を排除する。


「……まだ、抵抗なさいますか?」


 残されたテロリストたちは、口を閉ざした。


 無意味だと、誰もが悟っていた。


 車内に、再び静けさが戻る。


 ——だが、その空気は、先程までとは明らかに違っていた。


 スターレインは何事もなかったかのように席へ戻り、手袋を外してエリスの前に腰を下ろす。


「……お待たせしました」


 静かな声だった。淡々とした、それでいて“異様な説得力”を帯びた声。


 エリスはただ呆然と、スターレインの手を見つめていた。


 列車は警笛もなく静かに次の駅へと滑り込んだ。


 停止と同時に、既に待機していた警備局の魔導武装部隊がホームに展開され、速やかにテロリストたちを拘束していく。手際はよく、慣れているという印象さえあった。おそらく、こうした事件は“珍しいものではない”ということなのだろう。


 スターレインは特に表情を変えることもなく、ただその光景を無言で眺めていた。彼女の傍らで、エリスはそっと手を組み、目を伏せる。


「……はぁ」


 深くため息をつく。


 それは単なる安堵ではなかった。


「……わたし、魔法の先生なのに……」


 かすかな声で呟いた言葉には、確かな自己嫌悪の色が滲んでいた。


「……あんなとき、何もできなかった。震えてただけで……」


 その声に、スターレインは視線を戻す。


 だが、すぐに慰めの言葉を口にすることはなかった。ただ、一拍の間を置き、それから落ち着いた声で静かに言った。


「……わたしの役目は、“魔獣”を倒すことです。……あのような“人”を倒すのは、本来、冒険者の仕事ではありません」


 エリスが顔を上げる。


 スターレインは視線を逸らさず、淡々と続けた。


「本来であれば、騎士団や王国傭兵団が対応すべき事案です。あるいは、治安局。わたしはあくまで、臨時の“戦力”として動いただけに過ぎません」


 そう言いながらも、彼女の声にはわずかな苦味があった。


「……ですが、王国の政治が傾けば……あのような反社会組織は、今後も増えていくでしょう。若者が絶望し、夢を抱けず、国家に裏切られたと思ったとき——人は、暴力にすがるのだと思います」


 その言葉に、エリスは何も言えなかった。


 車窓の向こう、街の灯が流れていく。


 スターレインは静かに息を吐き、背筋を伸ばした。


「……だからこそ、教育は必要なのだと、思います。わたしにはできないことです」


 その言葉は、エリスの心の奥に静かに届いた。


 スターレインは、どこまでも理性的だった。だが、その合理の底には、確かな信念があった。


「わたしは、感情で動くことはありません。子供を育てることもできません。けれど……あなたのような人が、その役目を担っていることに、わたしは安心しています」


 エリスの唇が、少しだけ緩んだ。


「……スターレイン先生って、本当に優しいよね。自覚はなさそうだけど」


「優しいかどうかは、わかりません。ただ——わたしにできることをしているだけです」


 ふたりの視線が、並んで車窓の闇を見つめる。


 遠くに、街の明かりがまたたくように浮かび上がっていた。


 それは、まだかすかな希望のようにも見えた。



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