第6話:新婚旅行?
初夏の気配が街を包み始めた昼下がり、スターレインの手元にひとつの通信が入った。
——発信者:エリス
魔導式通信端末の画面に、陽気な着信音と共に“あの人の名前”が浮かび上がる。スターレインは、しばしの沈黙ののちに受信ボタンを押した。表示された映像は、まるで初任給の翌日にでも撮られたかのような、満面の笑みだった。
「やっほー、スターレイン先生! 元気してる?」
「……ええ、それなりに。お久しぶりです、エリス先生」
画面越しに、白い制服をまとった金髪の女性が軽やかに手を振る。背景には賑やかな教員室が映り、どこか懐かしい喧騒が小さく響いていた。
「ねえねえ、突然だけどさ」
エリスは口角を上げて、わざとらしい小声を作る。
「新婚旅行、一緒に行かない?」
画面の向こうで、誰かがズッコケたような物音が聞こえた。スターレインは少しだけ目を細める。
「……それは冗談ですか?」
「半分本気、半分冗談! 要は、連休にどっか行かない?ってこと。ちょっと休みもらえたの」
エリスの声には、あの頃と変わらぬ柔らかさがあった。教師としての仮面を脱ぎ捨てた、ただの“友人”としての声音。
「行き先は?」
「この前、ギルドで見かけたんだけどね。ほら、北方の避暑地。湖のそばにある村、覚えてる?」
スターレインは記憶を遡る。
風の冷たいその村は、数年前、魔獣討伐のクエストで訪れた場所だった。宿は清潔で、食事も悪くない。静かな湖面と揺れる森が印象的だった。
「……あそこなら、問題ありません。承知しました」
即答に、画面の向こうでエリスが少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
「えっ、行ってくれるの? よかった……! あ、でも別に義理とかじゃなくていいからね? ほら、職場で助けた恩返しとか思わなくていいよ?」
「いえ。職場では、ずいぶんお世話になりました。……その“借り”は、まだ返していない気がして」
淡々とした言葉だったが、どこか柔らかな余韻があった。エリスの笑顔が、画面いっぱいに広がる。
「うん、それ聞けて嬉しい」
その数日後、スターレインは簡単な支度を整え、北方の避暑地へと向かう。
澄んだ空気。深緑に包まれた湖面。懐かしい香りが、微かに風に混じっている。
エリスと二人きりの旅路。
それは教員でも冒険者でもなく、ただの“スターレイン”として過ごす時間の始まりだった。
駅の構内には、魔力を循環させる導管の唸るような低音が響いていた。
幾筋もの魔導レールが分岐し、時折、放電のような音を立てて蒸気と霧を吐き出す。
巨大な屋根の下、人の波が流れるように往来し、魔導機関を搭載した列車の車輪が、金属の静寂を刻んでいた。
その構内の一角、北方行きホームの柱のそばに、エリスは立っていた。
金髪は陽光に照らされ、白を基調にしたトリコロールの旅装が、場違いなほどに明るく見える。
彼女は、こちらに気づくと片手を高く掲げて声を上げた。
「スターレイン先生っ!」
まるで生徒を呼ぶかのような調子だった。
「お久しぶりです」
スターレインは静かに歩み寄り、軽く一礼する。
旅支度の黒と紫のドレスは、魔法使いとしての実務感を漂わせていたが、彼女自身はあくまで平常心だった。
「……駅での待ち合わせは、苦手です。目立ちますから」
「えー、せっかくこういう場所なのに? ほら、旅って、こういう“最初の合流”からもう楽しまないと」
言いながらエリスは笑い、手にした乗車券を掲げてみせた。
やがて、発車のベルが響く。
青銀の車体をもつ魔導列車が、ゆるやかにホームへと滑り込んできた。
二人は最前車両の指定席に乗り込む。魔力で駆動する浮動台車は振動も少なく、車内は落ち着いた旅の空気に包まれていた。
座席に腰を下ろすや否や、エリスはさっそく話題を切り出した。
「ねぇ、スターレイン先生。……というか、もう“先生”じゃないか。いまは“冒険者”として動いてるんでしょう?」
「ええ。依頼が再開しましたので」
窓の外では、都市の建造物がゆっくりと後退していく。
「どんな仕事してるの? やっぱり、魔物退治とか?」
「それもありますが、最近は遺跡調査や境界守衛の仕事が多いです。
前線ではなく、“人がいる場所を保つための戦い”の方ですね」
「へぇ……なんか、“らしい”なぁ」
エリスは感心したように頷き、魔導ランプの下で、脚を組みかえる。
「あなた、子供よりも“秩序”の方を守るのが性に合ってるって、よくわかるわ」
「……自覚はあります。生徒よりも、配線図の方が素直でしたから」
二人は微笑みあい、車窓の向こうには、都市の境界線が遠のいていく。
灰色の街並みの先、かすかに緑と蒼の色彩が広がりはじめる。
「じゃあ今回の旅は、“現場”じゃなくて、ちゃんと“休暇”として来てくれたってことでいいのよね?」
「ええ。“借り”を返すつもりでもありましたし。……私自身も、少しは休む時期ですから」
エリスは満足げにうなずき、紙コップの温茶を手に取った。
「ふふ。じゃあ、ちゃんと楽しませてあげるわ。
“先生”じゃないあなたとも、もう少し仲良くなりたいから」
静かな列車の音に溶けるように、魔導の振動が心地よく脈打っていた。




