エピローグ:施工終了
その知らせは、昼礼の終盤で伝えられた。
「明日、施主の視察が入ります」
「場所はBブロック中心。所長も同行します。現場の見栄え、頼みます」
元受けの所長代理が、妙に丁寧な口調で言い放つ。
だが、それを聞いた現場の職人たちは誰も驚かない。
「……はいはい、また“透明人間化”か」
「職人は空気になれ、ってやつな」
施主視察の日=職人が存在を消される日。
その“伝統”は、この現場でも例外ではなかった。
当日、スターレインを含めたB-2ブロックの職長たちは、
朝礼後に各所に散った“透明な職人”たちを後方で確認しながら、喫煙所裏の観察ポジションに集合した。
「……施主、来たな」
「うわ、スーツが光ってやがる」
「所長、今日はヘルメットもまっさらな新品じゃん」
「まーたか。これ、新しい服着た子どもと一緒だよな」
「汚したら怒られるやつな」
くゆらす煙の向こう、仮設通路の奥には、施主一行と所長が並んで歩いてくる。
スーツ、腕組み、うなずき。いかにもな“視察の所作”が、パントマイムのように滑稽だ。
「おい、あそこ。あの壁さ」
「……うん、換気スリーブの位置、図面と違うよな」
「でも施主、気づかねえで褒めてるぞ」
「『丁寧な施工ですね』だってさ」
職長達は大爆笑する。
その壁は、材料が足りず——
スターレインが勝手に穴をふさいで、上から塗装させた“例の場所”だった。
「所長も説明してるけど……図面のページ違ってるな、それ」
「そっちは電設系のページだ。スリーブなんて載ってねえぞ」
「いやマジで、所長と施主って“何を見てる”んだ?」
スターレインは、笑いながらも淡々と呟いた。
「……“現場”ではなく、“現場っぽさ”を見に来てるんでしょう」
「なるほど」
「それ深いな」
「それ、句にしよ句に」
——煙が揺れる。
誰も叱られない。誰も見つからない。
「ま、バレなきゃ“丁寧な施工”だしな」
「そう。仕上がってれば、それでいいんです」
スターレインは今日もキセルを咥えながら、職人たちの気配をそっと遠目に確認する。
誰も騒いでいない。誰も走っていない。
きっちり“現場”は動いている。
それで、十分だった。
一週間後。
午後四時五十七分。
B-2ブロック、最後の配管が無事に取り付けられた。
ボルト締めの確認を終えた職人が、帽子を脱ぎながら一言呟く。
「これで……うちの担当、完了だな」
仮囲いの隅で図面をチェックしていたスターレインは、
その言葉を受けて、手を止めた。
(終わった。……やっと、全部)
自分が配属された区画のすべての工程は、予定より一日早く完了した。
“納期”という絶対的な命題を守った上での離脱——
それは、堂々と退くに値する“結果”だった。
翌朝、所長から声がかかった。
「スターレインさん、このあとB-1の調整工事に……」
「……申し訳ありません。わたし、本業があるので、そろそろ現場を離脱したいんです」
一瞬、空気が止まった。
だが、スターレインの口調はいつもと変わらぬ落ち着きだった。
「当初の契約は“職長として一区画の担当”まで。
次の異動は契約範囲外ですし、冒険者ギルドにも活動義務があります」
「……そう、ですね。はい。そうでしたね……」
所長は観念したように笑い、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。あなたがあまりにも“できる”もので、つい……」
「いえ。そういう風に思っていただけたのなら、光栄です」
スターレインの意見は、誰よりも筋が通っていた。
強制でもなく、拒絶でもなく——淡々と責任を果たし、きっちり線を引いた上での離脱だった。
その日の昼、喫煙所にて。
「……帰るって?」
「ええ。工程が終わりましたし、契約も範囲内で完了ですので」
「つまんねーなぁ……でも、正論だよな」
「ちゃんと筋通して辞めるやつ、初めて見たかも」
「ってか、お前……もともと魔法使いだったな?」
「そういえば、冒険者ギルド所属って言ってたよな……」
「じゃあ、現場は仮の姿ってやつか……?」
——“仮の姿”というには、あまりにも完璧な職長だった。
残業をいとわず、段取りも進捗も的確、トラブルにも即応。
彼女がいたから現場が回っていたことを、職長たちは知っていた。
「……冒険者に戻るんだな」
「はい。本業ですので」
「……頑張れよ。魔法とか使うんだろ?」
「ええ、たぶん。……現場ほど汗はかかないと思います」
笑いが漏れた。
帰る直前、スターレインは喫煙所に残っていた数名の職長たちにだけ、
そっと、ひと言だけ呟いた。
「……わたし、ここに来てよかったと思います。
あなたたちと話せたことも、喫煙所の空気も。
全部、たぶん……思ったより、嫌いじゃありませんでした」
キセルから流れる煙が、ゆるやかに空へ昇った。
それは、“本業復帰”という名の帰還を告げる、
スターレインなりの“さようなら”だった。
退場の段取りを終えたスターレインは、着替えを済ませ、
現場の仮設事務所の鍵を静かに返却した。
最後の最後まで、淡々と、静かに。
(研究所の完成予定まで……あと一年……。
このペースで、しかもこの無計画ぶりで進行すれば……)
——誰かが精神を病む。確実に。
納期を守ることが正義。法は無視され、善悪より“段取り”が優先される。
材料が消え、人も消え、責任が宙を舞い、怒鳴り声が朝礼を支配する。
(……あと三ヶ月もここにいたら、わたしの方がおかしくなってた)
喫煙所のキセル、缶ビール、鋼材の上で食べるコンビニ飯——
そんな日々は、確かに馴染んではいたが、“馴染む”ということと“正常”は違う。
「離脱できてよかった」
スターレインは、初めて心の底から、そう思った。
その足で、ギルドに寄った。
ギルド長は彼女を見るなり、すぐに言った。
「聞いたよ。配属区画の作業、納期より前倒しで完了だってな」
「ええ、予定どおりです」
「で、離脱の申し出も受理されたと」
「はい。契約範囲内ですし、工程が終わった以上、正当な離脱です」
ギルド長は、深くうなずいた。
「——筋は通ってる。問題ない。文句を言われても、ギルドが全部かぶる。心配するな」
その言葉に、スターレインは目を伏せたまま、小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
ギルド長は、ちょっと笑って続けた。
「……で、正直どうだった?あの国家プロジェクトの現場」
スターレインは数秒だけ考えてから、答えた。
「……異常でした。でも、なぜかみんな楽しそうでした」
「おお……それは“末期”ってやつだな」
二人して、静かに笑った。
キセルもブルーシートもない、静かな室内で——
スターレインはようやく、魔法使いとしての自分に戻ったのだ。
今日からまた、“冒険者”としての任務が始まる。
爆炎を放ち、風を操り、魔獣を屠る日常。
過酷でも狂ってはおらず、“理不尽の中にもルールがある世界”。
(わたしは……建設現場より、戦場の方が性に合ってる)
そう実感しながら、スターレインは再び長杖を手に取った。
それは、労働者ではなく、魔法使いの姿だった。




