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始動


 父親の否定、その瞬間、俺の描いていた夢が幻想であることを知った。


「音弥おとや、なんなのだ! これは!」


 都心のタワーマンションの最上階。机を叩く大きな音が、書斎を揺らした。壁一面に並ぶプラチナディスクと世界ツアーの記念トロフィーが、LEDライトを受けて冷たく輝く。


 その中心で、世界的プロデューサー・蒼井奏一郎あおい そういちろうは赤ワインのグラスを机に置き、俺の ノートパソコン の画面を見下ろした。それも、まるでゴミを見る眼でだ!


「父さん! これはボーカロイドなんだ。どう? 凄いだろ? 人間そっくりの美しい歌声なんだ」


「馬鹿馬鹿しい!」


 父は鼻先で笑い、俺の言葉を握りつぶした。


「貴様は蒼井の名を汚す気か? 機械のモノマネに芸術を語る資格はない。お前はニ年間、学費もスタジオ代も食い潰して、得たものが安っぽい電子ノイズか。……今すぐ消せ」


「ノイズじゃない! “歌声”だ! この子は呼吸するように――」


「“子”などとオタクのような言い方をするな。馬鹿ほど低俗なものに興味を持つ。こんなものは全てゴミだ!……今まで私の背中に何を見て来たのだ。私が気に入らないなら、家を出ろ。そして二度と“蒼井”の姓を名乗るな!」


 感情が全くこもっていない言葉だった。俺がこれまで命をかけてきた技術のすべてを、否定された。

 俺は甘すぎた。これまで俺は褒められると思っていた。せめて、話くらいは聞いてもらえると。


 父の背が廊下に消え、扉が閉まり、ただ静寂だけが残った。

 残ったのは、凍りつくくらいの悔しさと、怒りと、口に残った熱い血の味だ。


◆    ◆    ◆


 その日のうちに、俺――蒼井音弥はボーカロイドSORAの全配信を停止した。

 通知欄が悲鳴のように流れ出す。


(SORA の新曲は!?)

(え? 更新止まった?)

(嘘だよね。やめないよね!)

(ちょっと冗談きついよ! これだけが楽しみに生きて来たんだからね!)


 ごめん、無理なんだ! SORAは、もう終わりだ。俺はそう返信して、タブレットを閉じた。

 今まで信じて来たものが全て否定され、胃がひっくり返るような苦しさを感じた。あんまり悲しくて俺はそこでのたうち回った。

 ボーカロイドじゃ父親の心を動かせない。もっと“人間”に近くて、誰もが振り返る声がいる。父親を、いや世界を魅了するくらいの“歌声”をだ!


 悔しい。悔しい。悔しい。

 さっきの父親の記憶が俺を脳裏であざ笑う。あの冷たい横顔を捻り潰したい。

 認めさせてやる。俺が“偽物”を“本物”に変えてやる! そのためなら人の道を外れたって構わない!


◆    ◆    ◆


 七月。四畳半の地下スタジオは室温二十度に固定され、壁には〈妥協は全てを滅ぼす〉の赤い貼り紙。

 俺は波形を拡大し、フォルマントを 0.01 ずつ動かしては削る。食事はカロリーメイト、睡眠は椅子で十五分の仮眠のみ。

 十四日目、耳は高周波で軋み、何度も悔し涙が落ちる。それでもやめるわけにはいかない。

 父の言葉が何度もフラッシュバックして、その度に強くマウスを握り直す。今の俺は父親への怒りを創作への力に変えるんだ。


 八月十四日――雨音が地下室の換気孔を叩く深夜三時。

 試験ボイス《YOZORA》が完成した。再生ボタンを押す。

 透き通るアルト。胸を震わせる低域。吐息の湿度まで再現した高域。とうとうやったぞ。


「できた……!」

 その瞬間、今までの苦労が一気に押し寄せ嗚咽に変わる。同時に、父の声が頭をよぎった。〈機械のノイズ〉――否、そんな言い方すらしてくれなかった。ただ、呆れたような表情だった。


 違う。これだけでは父親の心を動かせない。

 父親には“どれだけ人に近づいたかではなく、誰が歌っているか”が重要なのだ。父親はボーカロイドに価値を見出さない。ならば――人に歌わせるしかない!


 あてはあった。

 姫宮リラ。俺が子供の頃、リラの歌声を聞くのが好きだった。マスコミは“奇跡の歌姫”ともてはやしたが、ある日突然、表舞台から消えた。マスコミは何も報道しなかったが、俺にはリラが歌えなくなったのだ、と知った。今、リラが天才子役だったことを知る者はいない。だが、リラのことを父親が知らないわけない。“リラは本物”だ。リラの口を借りて YOZORA の歌声を届ければ、きっと父親はその歌声に感動するはずだ。


◆    ◆    ◆


 九月一日。始業式前の朝、校門は制服の汗とシャンプーの匂いで混ざり合う。本来なら始業式だけで終わる日だが、夏休み前の学級閉鎖の影響で今日から通常授業だ。

 震える手で書いた手紙を、リラの下駄箱へ滑り込ませた。差出人は伏せ、〈放課後、屋上で〉とだけ書く。


 授業中、心臓は痛いくらいに鳴り響き、黒板の文字は霞むように感じた。本当に大丈夫だろうか。リラが歌わなければ、俺の計画は水泡に消える。もしかしたら、リラは手紙を読まず捨てたかもしれない。噂では半年で届いたラブレターの数は十を超えるという――俺の手紙もその一つと誤解されて終わるかもしれない。


 どうしても――失敗できない。


 五時間目の終鈴が鳴る。

 俺は意を決し、リラの席へ歩く。教室の空気が一瞬で硬直した。スクールカースト最底辺の俺と、頂点にいる彼女。小説でなら、俺たちは絶対に交わらない。


「ねえ、手紙……見てくれた?」

 緊張で声が掠れた。その瞬間、教室がざわめいた。


「うっわ、勇気あるな! 面と向かってリラに告白かよ!」

「音弥がリラにか! 本気か? 身の程知らず過ぎだろ!」


 次々に野次が飛ぶ。けれど、今さら後戻り出来るわけがない。

 リラは長い睫毛を一度瞬かせ、ため息を落とす。


「ごめん。そう言うのやめてくれる?」


 きっと、まだ手紙を開けてもいないだろう。拒絶の言葉に挫けそうになる。そこへリラの親友の八神和人が割って入った。リラと同じ陽キャグループの一人だ。


「待てよリラ。手紙もらったんなら、開けて読めよ」

「嫌だよ。どうせずっと好きでした、とか書いてあるだけだもん」

「まあ、そう言うなって」

 和人は器用に手紙を指でつまむ。

「まあ、中身は読まなくてもいいけどよ、陰キャがここまで来たんだ。五分くらい、時間やってあげても、いーんじゃね?」


 その言葉にリラは少し考えて俺を見た。


「……五分だけね」

 その言葉に教室中がざわめきと歓声で沸騰した。


 和人が封筒を戻し、俺にウィンクを投げる。どうして助けてくれたのかは分からない。和人にとって、俺なんか助けたって何の価値もないはずだ。まあ、ただの気の迷いであっても、その言葉のおかげで助かった。


 ――ありがとう。

 俺は震える手で手紙を受け取り、リラに向けて深く頭を下げた。


「これはラブレターじゃない。……聴いてほしい曲があるんだ」


 父に切り捨てられた憎しみの炎が、喉までせり上がってくる。

 

 この復讐の気持ちを力に変えて――俺は世界を、そして父親の腐った価値観を変えてみせる!

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