モルダラ王国だから助かったのかも。
──さあて、困ったことになったぞ。
俺はエドヤの二階で夕食を食べながら頭を悩ませていた。
サッペンスから戻って一カ月弱。
モリーから電話がかかってきて瓶詰ミソが完成したから取りにきてと言われている。
喜んで取りに行きたいのだが、ホラールはホラールで少し問題が起きていた。
俺がPONカレーを提供していたアマンダの店『アンデン』だが、アマンダの従兄のジェフがキレてしまったそうだだ。
理由は『忙しすぎて酒が飲めない』ということ。
なんじゃそりゃと最初は驚いた。
昼間にランチとしてカレーや串焼きを提供するのはアマンダが担当していたが、夜だって酒を飲みながら串焼きを食べたい人もいれば、腹減ったからカレーを、という人もいる。
長年の営業で以前から常連がいたため、楽しく自分も酒を飲みながらしっかり売り上げもあるという状態だったのに、今では注文を処理していると自分がまともに酒も飲めない。
月五万ガルというバイトでも断るレベルの安い給料で働いていたのは、酒を飲みながら客と気の置けない会話をするという、趣味の延長線上みたいなお気楽さだったからなのに、これでは毎日ただ疲れるだけで、とても仕事をする気持ちになれないのだという。
「前の通りにしたい。もう店では串焼きもカレーも出したくない。ランチでやってると夜も出ると勘違いして揉めるだろうから、昼間の営業もやめてくれ。できなければ俺が店を辞める」
と言い出したそうだ。
「……うん、それはまあ、仕方ないですよねえ。生活できるだけのお金ももらってないのに、そんな労力払いたい人はいませんし」
俺は正直に思ったままを伝えた。
「私も申しわけないと思ってね。だからジェフの言う通り、貼り紙してもう店ではいっさい出さないことになったんだ。売り上げが減るのは困るけど、彼がいなくなるともっと困るからね。……だけどねえ、あちこちで聞かれるんだよ、『どこに行けば食べられるのか、他にはああいう珍しい料理はないのか』ってさ」
「はあ……」
そんなことを俺に言われても困る。
こっちはこっちで店も忙しいし、うちの子たちの世話もある。
オンダ家もエドヤも現在、ナターリアのお陰でようやく回っている状態だった。
「あ、そしたらアマンダさんが別でお店を出せばいいじゃないですか。ジェフさんに店を任せてるんだし、他で店舗借りてご自身で。ザックさんから野菜も果物も安く仕入れができるんですし」
「簡単にお言いでないよ。金儲けは嫌いじゃないけど、私は腰痛持ちなんだって言ってるじゃないか。昼間の数時間なら何とか頑張れても、朝から晩までなんて働けないよもう」
「それじゃ無理せずランチタイムだけ営業とか」
「あのねえオンダ、あんたも商売やってる人間だろ? そんな短時間の営業のためにわざわざ店賃を払ってなんて、収支が成り立つとでも思ってんのかい?」
「──確かにそうですね」
ランチタイムだけだと一日よくても数万ガル。
ある程度の広さがあれば店賃だって高い。小さな個人のレストランぐらいの広さでも、立地にもよるだろうがホラールでも七十万、八十万ガルぐらいはするだろう。
仕入れや経費、人件費も含めると大きくマイナスである。
「そりゃあ私は料理を作るのは好きだし、お客さんに喜んでもらえるのも嬉しいよ。オンダの国の料理はこっちにはない調理方法が多くて、物珍しいし味も美味しい。レシピだって私の知らないものがまだまだ沢山あるんだろう?」
「ええまあ色々ありますね」
「だから、私が手伝えるぐらいのレベルで何とかいい方法はないか、オンダに考えて欲しいって話なんだってば」
「え、私がですか?」
異国の人間に何を全振りしようとしているのだアマンダは。
「私は今のエドヤだけで手いっぱいですし、そもそも飲食店やれる資格なんてもってないですよ」
俺は慌てて手を振った。
日本の感覚で言えば、詳しくはないが営業許可取ったりする以前に、食品衛生者や防火管理者の資格なんかも必要だったはずだ。
「何言ってんだい。飲食店だろうが雑貨屋だろうが、店をやります、って役所に届けを出すだけじゃないか。外国人のオンダだって、届け一つでエドヤ出せたの忘れたのかい?」
……ああ、言われてみれば。
大体、身分を証明するものも強盗に奪われたって嘘話をしたら、役所の人が同情してくれて、
「外国から仕事で来ているなら、当然数年は滞在しますもんねえ? 身元引受人がいるなら簡単に国民証作れますけど」
などと言われ、アマンダ夫妻が引受人になってくれてモルダラ王国の国民証も作ってくれた。
ちなみに引受人がいない場合でも、役所の上の人が何度か面談をして、人格的に問題がなければ二週間程度で作れるらしい。
この国の法律はかなりガバいというか、国民として税金を年に一度収めてくれる人を拒否するなんてバカらしいという国王の考えで、外国人の受け入れ体制は大らかである。税金も高くはない。
その代わり、犯罪者には状況に応じて厳しい処罰が下されるし、重罪の人間は孤島に送られて長年強制労働らしいので、犯罪率も高くはないようだ。
飲食店やその他店舗の営業の縛りがゆるいのも、万が一のトラブルで揉めた際は、罪が重いので滅多に起きない、起こさないという状況だかららしい。
緩急の区分けがはっきりしているので、国王は多分とても頭の良い人なのだろう。
お陰で俺が普通に店も出せて、国民証を持てているのはありがたい話だ。俺がまともに暮らしていられるのもモルダラ王国だったからだと思うと、会ったこともない国王に感謝である。
──それでも飲食店は食中毒とか怖いしなあ。
特に今はもう夏といってもいいぐらい昼間は暑い。日本と違って空気が乾燥しているので過ごしやすいが、それでも食べ物は傷みやすい。
届けを出すだけでいい、と言われても二の足踏むよなあ。
「まあともかく考えといておくれ」
とアマンダに言われても、簡単に返事はできなかった。
今のところ生活には困っていないし、うちの子たちとの生活が安定するまでは、いくら稼ぎたくても手を出し過ぎるのもよくないのではと思っていたからだ。
だが数日後、うちの子たちとサッペンスに味噌を受け取りに行ったときに、真面目に考えざるを得ない状況であると認識した。




