新しい家族。
夕方六時過ぎ、サッペンスに到着した俺は、荷馬車を預けてからトランクとバナナチキンの子供を抱えてモリーの店へ向かう。
店じまいをしていたジェイミーが俺に気づき笑みを浮かべた。
「オンダさんじゃないですか! 数日で来るって聞いてましたけど──あれ、その子は?」
「通りすがりに鳥に襲われそうになってたのを助けたんです。ジェイミーはバナナチキンを飼ってる友だちとかいるかな? モリーさんなら詳しいだろうか?」
タオルに巻いたバナナチキンの子供を見て目を細めた彼は、ケガをしている様子なのを見て眉間にシワを寄せた。
「僕の友人には育ててる子はいないですね。ペットショップで買うととても高いですし。ちょっと母さんに聞いてみます。ラボにいるので」
「申し訳ない」
早足で店の裏に回るジェイミーを見送る。トランクを隅に置いて、彼の代わりに立て看板を店の中にしまっていると、慌てた様子のモリーと一緒に小走りで戻ってきた。
「オンダったら、つくづく生き物にご縁があるのね。まあまあ可哀想に。とりあえず傷をよく見たいから中に入ってちょうだい」
「申しわけありません」
店の奥の前にお世話になった時のゲストルームにトランクを置くと、俺はバナナチキンの子供を抱えてキッチンに戻った。
手慣れた様子でタオルを開き、モリーが傷の状態を確認する。
「あの、もし化膿したらいけないと思って手持ちの消毒薬をかけたんですが、まずかったですか?」
「大丈夫よそのぐらい。うん、でも本当にかすり傷程度しかないわね。よかった。ところで何か食べさせた?」
「いや、何をあげていいのか分からなくて水だけ」
「じゃあお腹空いてるわね。ちょっと待っててね」
モリーは裏口から家を出て行く。
十分ぐらい経って、ジェイミーと「どこ行ったんだろうね?」と話し合っていると、紙袋を抱えてモリーが戻ってきた。
「遅くなってごめんなさいね。近くのペットショップでバナナチキンの子供のエサを買ってきたんだけど、興味深い話を聞いたわ。でもとりあえずご飯ね」
バナナチキンの子供に数種類の穀物が混ざったようなエサを与えると、ものすごい勢いで食べ出した。この元気ならケガも実際にたいしたものではなさそうで安心した。
モリーがエサの横に水を入れたボウルを置いて、
「私たちもお腹空いたわ。作るの面倒だから近くの店でテイクアウト買ってきたんだけど、オンダはトマト苦手だっていっていたから、キノコのクリームパスタ買ってきたんだけど、食べられそう?」
「クリーム系は大好きです。ありがとうございますお気遣いいただいて」
穀物を時々皿から飛ばしながらがっついているバナナチキンの子供を微笑ましく眺めながら、俺たちは食事を済ませた。
氷の入ったレモン水を出されて一気に半分ぐらい飲んだらお代わりを作ってくれた。
いやー暑い日には最高だなと思いながら、一息ついていると、モリーが話を始めた。
「その子なんだけどねえ……どうも飼い主が捨てた子じゃないかと思うのよ」
「す、捨て子? こんな小さな子をですか?」
モリーがペットショップの店主にバナナチキンの話を聞いていたところ、そういえば、と店主が言ったのだそうだ。
「最近バナナチキンを取り寄せて購入した裕福そうな家族がいたらしいの、五歳の娘が欲しがったらしくて。でも、バナナチキンって犬や猫と違ってあまり活発に動かないらしいし、成長が遅くて子供の頃は一日二十時間は寝てるそうなの」
「……ああ、移動中もずっと寝てましたねそういえば。ケガの方の問題かとヒヤヒヤでしたが」
俺は食べ終えて満足したのか、またうつらうつらしている状態のバナナチキンの子供に綺麗なタオルを巻いた。あ、コトンと首が落ちたのでまた寝たようだ。可愛い。
「娘さんは一緒に遊べるペットが欲しかったみたいで、最初は良かったんだけど、いつも寝てばっかりでつまんない! 子猫の方がいい! とワガママを言い出して、子猫を買いにきたんですって。それで前に買ったバナナチキンの子供引き取ってくれないかって」
「子供からすれば、確かに遊べないのは退屈かも知れないですが、ひどい扱いですね。命をなんだと思ってるんだ」
当たり前のように犬や猫、インコもいて家族で可愛がっていた俺には信じられない話だった。
「本当よね。それで、『一度責任をもって飼うというから取り寄せたのに、あまりに無責任じゃないか』と怒って断ったら、数週間もしないうちに転居しちゃったみたいなのその家。で、寒い地域に生息しているような子だから、サッペンス周辺の道端にいるはずない、あの家が引っ越す時に面倒になって放棄したんじゃないかって」
ジェイミーがなんてひどい、と拳を握る。彼も動物好きなので腹立たしいのだろう。
俺なんかムカムカしてレモン水まで逆流しそうである。
「──この子、私が飼うのは可能ですか? その店主さんなら捨てられたのがその取り寄せた子だって分かりますかね? 何なら改めて譲渡するようお金も払いますけど」
もう既に情が移ってしまっているし、また金持ちの道楽的な感じであっちこっちにやられたらこの子が可哀想だ。
「もう店は閉めちゃってるから、明日この子を連れて行って確認しましょう。それで問題なければ連れて帰ればいいわ。もう二人でも三人でもオンダなら可愛がってくれるだろうし」
「大事な家族ですからね。……そうだ、突発事態ですっかり後回しにしてましたが、モリーさんのお話はなんだったんですか?」
俺はふとここに来た理由を思い出した。
モリーもああ! と手を叩き、
「やだわあ、もう年なのかしら。何かあるとべつのこと忘れたりして。オンダに頼まれていたものの一つができたので、味を見て欲しくて」
「え? ショーユですか?」
俺は思わず椅子から立ち上がりそうになった。だって魚介も新鮮なサッペンスなら、醤油と刺身でご飯が食べられるじゃないか! ワサビがないのが痛いけど、まあ漬け丼にしてもいいし、調理方法も増える。モリーソース(魚醤)だと、これはこれで美味しいんだけど、ちょっとクセが強いので、あっさり食べたいものなんかには向かないんだよね。
「そっちはまだ大豆を漬け込んでる状態よ。まだ何カ月かはかかるんじゃないかしらね。そっちじゃなくて、ミソの方」
「味噌ですか!」
こちらも俺がこよなく愛する調味料である。
バナナチキンの子供の様子はジェイミーが見ておいてくれるとのことで、俺はモリーとラボへ急ぐ。
「これなんだけど」
黒みがかったのと、赤みが強い粘土状のものが出される。
日本にしか麹菌はないと聞いたことがあるので、頼んだはいいけどできるのかなあ、と半信半疑だったが、発酵食品は作っているぐらいだから、この国にだって独自の麹菌のようなものはあるのだろう。
その辺は俺は詳しくないので、モリーなど実際に商品開発をしている人にお願いすることしかできない。
少々不安は覚えつつも、黒っぽい方から味をみる。
「……ニュアンスは伝わってると思いますが、かなりしょっぱいです。これは却下ですね」
用意された水を飲んで俺は伝える。
もちろん味噌は保存食なので、冷凍庫で保存しても固まらないぐらい元々塩気が強いのだが、豆のうまみが全く伝わらない。ただの黒いつぶつぶの入った塩みたいなものだ。
だが赤っぽい方は悪くない。むしろ塩気がまろやかで美味しいと思う。
俺が知っている味噌に一番近いのではと思う。
「こっちは短期間で発酵させるためにモリーソースを少し入れてみたのよ。ただねえ、オンダが言うから作ってみたけど、オンダの国の料理を知らないから、これを何に使うと美味しいのかさっぱり分からなくて」
「ああ、言われてみればそうですよね。……今、冷蔵庫の中にお肉はありますか? 野菜もあれば少し使いたいんですが。あとライスがあれば、炊いていただけると大変ありがたいんですが」
モリーが目を輝かせた。
「ミソを使った料理をご馳走してくれるの?」
「ええ。といってもさっきパスタ食べたばかりですし、軽いものだけで。肉は漬け込むので明日にならないとダメですけども」
「オンダが来ると思って昨日買い出ししたから、けっこう何でも冷蔵庫にあるわよ。好きに使っていいわ。ライスは鍋ですぐ炊けるから任せて」
一人暮らし歴は大学からなので十年以上。
料理上手な母親からも、栄養が偏るとすぐ体にガタがきやすいからと仕込まれたので、料理に関しては実家暮らしの女性よりやっている。
愛用のダマスカス包丁もトランクから持ってくると、豚肉の味噌漬けを作って冷蔵庫にしまい、ナスをカットしてひき肉と味噌炒めを作る。簡単に開かないトランクだから、包丁が入っていても危機感はないが、これ普通にいったら犯罪者みたいだよな。
炊き上がったご飯はおにぎりにし、砂糖を加えて少し甘くした味噌を塗って網で焼く。
「……この香ばしい匂いがたまんないわね」
起きる様子がないバナナチキンの子供をタオルごと籠に載せていたジェイミーも、
「初めての香りだねこれ」
と試食する気満々である。
実際、試食させてみると高評価で、大豆で作った調味料がこんなに美味しいなんて、とモリーも自画自賛している。
「ナス炒めたのも美味しいけど、特にこの焼いたミソライスボール、甘めなのが口当たりもいいわね。味噌も最初から甘いのにするべき?」
「それはやめた方がいいです。甘さの感じ方も人それぞれなので、買ってから自分の好みで加える量を決めた方がいいと思います。単純に経費もかさみますしね砂糖分の」
「そういえばそうよね」
メモに書き込んでいたモリーに、俺はさっきトランクから持って来たお金を渡す。
「容器や材料費にまたお金かかると思いますので。一応また五十万ほどお持ちしました」
「今回は要らないわ。大豆も塩も安いし、容器も安く購入できるあてはあるの」
「いや、でも」
ジェイミーが本当にいいんですよ、という。
「うちで出したカレー、評判よくってサッペンスでも売れ行きがいいんです。ついでにモリーソースも買って下さるお客さんが増えて、母さんご機嫌なんです」
「そうなの! 儲かるのも嬉しいんだけど、私が研究して作った調味料が美味しいって皆さんがいってくれるのがやりがいがあるのよう。私の舌は正しかったって自信にもなるし」
「お気持ちは分かります。私も商品が売れると自分の目利きに自信が出ますから」
「そうよねえ」
二人してガッシリと握手を交わした。
結局、お金は受け取ってもらえず、次回のショーユの時にでもという話になった。
翌日の朝食に焼いた豚肉の味噌漬けと野菜の味噌汁も、ジェイミーが特に気に入ったようで、
「母さん、ライスをこれからは少し多めに店に仕入れるべきだよ」
などと言いつつバクバクと食べていた。美青年は大食いしててもイケメンだ。
ちなみにペットショップの店主に確認してもらったところ、やはり例のバナナチキンだったそうで、
「まったくやんなっちまうよな、いい加減でよう」
と怒っていた。
だが、俺がこのまま飼うことについては問題ないらしく、お金も要らないと言われた。
「もうあの家からもらってるしな。お前さんになついてるみたいだし、出来たらそのまま育ててくれるとありがたい」
と適当な金額を入れた購入証明書まで用意してくれた。
本来五十~六十万ガルぐらいが相場らしい。遠方に住んでいる種族なのでお高いんだそうだ。店主はこいつはオマケだ、とたすき掛けにする編み目の細かいハンモックのような抱っこ紐をくれた。
バナナチキンの子供は、移動中だろうとお構いなしに寝てしまうので、そういう時に使うためのものらしい。試しに入れてみたら、やはり網に入ったバナナのようである。
ただ、俺の手が埋まる状態なのは困っていたので、これはかなり便利である。
よかったな、と声をかけたがまた眠っていた。ダニーより寝る子だ。
その後、ナターリアに頼まれていたクッションと知育玩具を購入し、翌日早朝ホラールに向けて出発した。
正直、バナナチキンの子を見せた時のジルたちの反応が怖いが、名前、どうするかなあと胸元でゆらゆら揺れているバナナチキンの子供を見ながらニヤニヤと考えていた。
オンダ家初の女の子である。