新たな目標。
ヒャッハーなリヤカー暴走族モードもすぐに落ち着いて、通常モードに戻った俺だったが、店の売り上げも上り調子なので、先日とうとう店に電話を導入した。
いわゆる黒電話みたいな感じで専用の電話線を引いてくるので、お金持ちの一般家庭か、業者などと連絡を取る必要がある店ぐらいしかまだ入れていない。
最初の工事費が七万ガル、月に基本料が五千ガル、通話料が一分三十ガル~五十ガル程度と、昔の携帯電話かというぐらい高いのだが、これはもう必要経費だ。
俺はサッペンスやそれ以外の町への遠征も考えると、今後は店を留守にすることも増えると思われる。その際にこちらから定期的に店に様子を窺う連絡ができないのは、働いているナターリアも困るだろうし、俺だって困るのだ。毎回ジローやダニーを連れて行けるかも分からないし。
出先で電話を探すのも大変だろうが、幸い現時点での付き合いでいえば、ジルの屋敷とアマンダの店、そしてモリーの店にはある。
ジルは昔旦那さんが研究施設への連絡などに必要で入れていたらしいが、現在はほとんど使っていないらしい。ただ、一度解約してしまうと改めて同じ金額の工事費がかかるらしく、
「解約して、また引きたくなった時に工事費払うの腹立つから、基本料だけ払うことにしてる」
そうだ。利用頻度が月に一回あるかないかなら、トータルを考えれば解約して引き直した方が安いのでは、とも思ったが、俺の店に電話を引いたことにより今後は役立つことになるだろう。
「電話は利用しても構わないが、三分以内で必要な要件のみにして欲しい」
とナターリアにも一応了承を得ておいた。
店が暇な時にジルと長話でもされたら、翌月どえらい金額が請求されてしまう。
昔ガラケーで使い放題などなかった学生の頃、友人と相談名目で長時間電話してたら、数万単位の請求が来て泣きそうになったことがある。しかも当月の請求額を知らなくて、翌月の請求がくるまで同じように長時間話していたので、二カ月分のアルバイトがほぼ吹っ飛び、遊びの予定まで全部キャンセルになって絶望したことは今でもトラウマだ。
たとえケチだと思われてもいい。いきなり想定を超える出来事が起きるのは、昔の自分がフラッシュバックしてしまうのでなるべく回避したいのだ。
まあナターリアはそういう目を盗んでサボるようなタイプではないと思うし、ジルだって無駄話するよりは、自分の好きな研究に没頭したい人だろうから心配はいらないと思う。
アマンダやモリーなど他の人たちだって、電話代が高いことは理解しているので、本当に短い要件のみで終わらせるだろうと頭では判断できる。
だがトラウマってのは怖いもので、今は多少貯金があるし、心にゆとりがあると思われようが、ダメなものはダメなのだ。内心でパニックになる。
これは多分、自分の予想していない結果がいきなりドン、と現れることで冷静な自分でいられなくなることが嫌なのだ、と自己分析している。
営業マンとして働くようになってからは特にかも知れない。
プライベートで浮き沈みがあろうとも、表では常に凪いだ状態、平常心で落ち着いた対応ができる自分を維持したいのだ。それが仕事の結果に繋がってきたと今でも考えている。
(……といってもまあ、この国に来たことやジローやダニーと暮らすようになったことなど、色々心が乱されることがあったけども)
まあそんな俺の個人的な事情はともかくとして、電話番号をモリーに手紙で送ったり、ジルやアマンダと番号交換をしていたところ、数日してモリーから店に電話がかかってきた。
「オンダ? モリーだけど手紙ついたわ。早速だけど、次はいつ頃来られそう?」
「研究の進展があったんですか?」
「ええ。あと相談事もあるのよ」
「分かりました。二、三日以内にはそちらに伺います」
「ありがとう、それじゃ」
電話はものの三十秒ぐらいで終わった。
心配することもなかったかも知れないな。
「オーナー、サッペンスに行かれるんですか?」
電話が聞こえていたのか、ナターリアが尋ねる。
「そうですね。何か相談事もあるみたいなので早めに向かおうと思います。一応毎日定時連絡を入れる予定ですが、突発事態があれば電話帳に書いてあるモリーさんの店に連絡をお願いします」
「はい、分かりました。──あと、今回はジローとダニーは連れて行かない方がよいと思います」
「え? どうしてですか?」
おれは少し驚いて聞き返した。
「ジローがここ数日、少し体をふくらませる動作をするようになったのと、鳴き声に元気がないように思うんです。食欲はあるんですが。病気以外でも疲れが溜まってたりストレスがあったりすると、そういう症状が出ることもあるので、長時間の移動はお勧めできません」
「そうなのですか? ダ、ダニーは大丈夫ですか?」
「ダニーの方は元気ですけど、二人が仲良しなので、ダニーだけ連れて行くのもどうかなと。ただ鳥類にはよくあることで、一時的なものである可能性も高いです。今日は様子見をして、一応母にも帰ってから確認しようと思ってます」
「病気だったらどうしましょうか? サッペンスに行くのは延期した方がいいでしょうか?」
平常心とかいっておきながら早速ビビッてしまう自分が情けないが、家族の具合には慎重になりすぎることはないのだ。
「そこまで緊急とは思えないですが、明日変わらなければ、念のため獣医のところに連れて行ければと思います。オーナーより多少は私や母の方が専門知識がありますので、具体的な説明はしやすいかと。それで、できましたら午前中だけオーナーに店番お願いしてもいいでしょうか?」
「それはもちろん問題ないです……というか申しわけないです、私が観察力も足りないばかりに」
体をふくらませるのが体調不良だなんて知らなかった。鳴き声も変化に気づけなかった。
少し太ったのかな、などとのん気に考えていた自分を殴りたい。
ナターリアは俺の表情を見て笑った。
「オーナー、ご自身の責任なんて考えないで下さいね。ブルーイーグルは他に飼ってる人も知りませんし、普通の人はまず気づきませんから。母とか私みたいな動植物を研究してたり、それに付き合わされてたりしたような人間でないと分からないような僅かな変化ですし」
「そう、なんですか?」
「命の危険があるような状態なら、オーナーだって当然分かりますわ。一番長く一緒に過ごしているんですもの」
ほんの少しだけ安心をするが、だが明日の獣医の結果によっては、サッペンス訪問は伸ばさねばならないとも考える。
ナターリアが店で働いていることで、ジローやダニーの些細な異変にも気づいてもらえたが、俺しかいない状態だったらどうだっただろうか。軽い病気に気づかず重症化したら、いやそもそも亡くなってしまったらと思うと、俺は震えが止まらなかった。
ひとりぼっちだったこの国で、大切な家族ができた。
二人とも長命種だから、ぜったいに俺を置いて先に死ぬことはないだろうとすっかり安心していたが、病気やケガなどで死ぬこともあるのだという当たり前のことを失念していた。
「……ナターリアさん、私、これから仕事以外にもブルーイーグルやワイルドオッターの生態をしっかり勉強しますので、それまで、というかできるだけ長くうちの店で働いて下さいね」
もう家族といきなり別れるのはゴメンだ。
ナターリアは俺を見て微笑んだ。
「嫌ですわ。可愛い子たちもいて売りがいがある商品もあって、とても楽しい職場なのに、簡単に辞めるわけないじゃないですか。逆にそんなに簡単に出戻り女を辞めさせないで下さい。次の仕事探すの大変なんですからね」
からかうような調子の彼女に俺は決意を固める。
営業スキルだけは誰にも負けないと思っていたが、それだけじゃダメだ。
俺はもっと知識を身につける必要がある。
文字の勉強も接客も、ジローやダニーの変化に気づける能力も、店の商売も発展も、ぜんぶ人に頼りきりになっていてはいけない。
まずは自分が家族を守れるハイパー営業マンになるのだ。
俺は静かに拳を握るのだった。