モリーカレー発売!
翌日のこと。
午前中からモリーがラボで作業をしている間、俺とジローは店の前のテラス席に座り、お茶を飲みながら雑談していた。
店は開店しているが、常に頻繁に客が来るわけではないそうで、来たらジェイミーが対応するといった感じらしい。
「マメに買い物に行く必要があるのって、鮮度が大事な野菜とか肉ぐらいでしょう? うちの店みたいな長期保存できる保存食や調味料なんて、月に一度か二度来てまとめ買いで十分じゃないですか」
「なるほど、そういわれればそうかも知れないね」
こまめに買わなくとも、一回の客単価が大きい感じなんだろうな。現に十年以上商売が成り立ってて、裏にラボまで建てられるぐらいだ。モリーは商売人として才能があるのかも知れない。
ジェイミーとぽつぽつと話をしているうちに家族の話になったが、ジェイミーの父、つまりモリーの旦那さんは八年前に仕事中の事故で亡くなったそうだ。
大工だった父親が屋根工事で転落して亡くなった後、再婚もせずにジェイミーを育てたらしい。
「母さん昔はモテモテだったし、父さんが亡くなった時にはまだ三十二歳だったから、男性からのアプローチも沢山あったみたいなんですけどね。僕がいたから育てていくのに必死でそれどころじゃないって。で働いてお金貯めてこの店開いたんです。自営なら年を取ってもできるからって」
「素敵な人だねえ。他人に頼るより、まず自分で何とかしようとする人は尊敬するよ」
人それぞれ向き不向きがある。
目立たず後ろから誰かを支えることに特化している人もいれば、自分が先陣を切って道を切り拓く人もいる。モリーは商売の才能と何かを生み出す力があるってことだ。
俺は全体的にはごくごく平凡な人間だが、営業スキルだけは才能がある。
モリーが開発したカレールーがPONカレー同様に美味しいものならば、俺が自信を持って売りまくれる。そういう意味ではモリーと出会ったのも運命的なものを感じる。
協力し合える仲間のような存在は、見知らぬ世界で生きる俺には必須なのだから。
「ところで、ジェイミーは何かやりたいことはないのかい?」
「僕ももう二十歳になったんで、母の店じゃなく自分の力だけで、例えばサッペンスか別の町で働いて行きたい気持ちはあるんですけど、何しろ人見知りなのがネックで。それと人間関係で心が病まないか母が心配してるんですよね」
「なるほど」
「オンダさんは何というか、性格にトゲがない感じで安心します。会ったのまだ二回目ですけど、そこまで緊張はしないんです」
「まあ商売人だしトゲはあっても出さないけどね──おいジロー、地面を転がったら汚れるだろう」
昨日モリーがたらいに水を張ってくれたので、水浴びして綺麗になったばかりなのに。
『ポーゥ』
ジローが起き上がり、バサバサと羽を動かして土を落としていると、モリーがラボから出てきた。
「オンダ、味見はラボの中でお願い。カレーの匂いは結構強いから。それとジェイミー、悪いけどあなたもいったん店を閉めて味見に付き合って欲しいの。人は多い方がいいから」
「分かった」
俺はジローのスカーフと足のシュシュを取る。
「ジローはたらいで水浴びしながら待っててくれるか? ついでに汚れも落とすんだぞ」
『ポッ!』
元気よく返事をすると、ラボの横に置いてあるたらいにぽてぽてと歩いていく。ほんとコイツ鳥のくせに歩く方が好きだよなあ。
俺とジェイミーがラボに入ると、五つの瓶が机に並んでおり、色合いの違う香辛料が入っているようだった。その前の小さめのスープ皿にはこれまた色味が違うカレーが並んでいる。
「──一番から五番まで、スパイスやハーブの調合なんかを変えて試作してみたの。個人的に気に入っているのはあるけど、変に情報入れたくないから、まずは一口ずつ味見してみてくれる?」
「分かりました」
俺とジェイミーは小鉢とティースプーンを受け取った。
各スープ皿に添えられた大きなスプーンから小鉢に移せということか。
俺は一番のカレーを小鉢に盛ると、そっと口に入れた。
「ッ、ゲホッゲホッ!」
まずいのではなく、強烈な辛さにびっくりしてむせた。ジェイミーも口元を押さえて悶えている。
「あら大丈夫? ほら、水は沢山用意してあるから安心して」
あんまり安心できないが、と思いつつコップを受け取り水を一気に飲んだ。
一つ一つ感想が欲しいということで、ジェイミーから発言する。
「前に食べたオンダさんのカレーは辛くても美味しいと思ったけど、これはただ辛いだけだよ」
「私も結構辛いのは得意なんですが、ここまでだと少々食事には厳しいですね。あと、食べた後にコショウの味がずっと舌に残る感じがします」
モリーはノートを開き、せっせとメモをする。
「じゃあ二番お願い」
俺とジェイミーは覚悟を決めて二番目を味見する。
「……これは逆にスパイシーな部分が全くないかな。あとシナモンとローレルが強いから苦みを感じちゃうかな」
ジェイミーは子供のころからモリーの調味料などの味見役をやらされているとかで、感想が専門的かつ具体的である。
「私もパンチがないというか、少々物足りない感じがします。──すみません、素人なもので細かい味の感想は言えなくて」
「いいのよ、買うのは基本的にオンダみたいなお客様なんだもの」
メモをしながらモリーは微笑んだ。
今回はちょっと期待できないか、と思いつつ続けて全部味見をしたのだが、四番目と五番目のカレーはとてもよかった。モリーも後に自信作を持ってきた感じなのだろう。
「私はライスで食べるのが好きなので、個人的にば四番が好きです。辛さはあるけど味わいがまろやかというか、口当たりがいいですね。あと香りが食欲をそそります。五番も悪くないんですけど、ちょっと甘みが強いかなあと」
「僕は四番は少し辛すぎる気がして、五番の方が好きだな。果物の酸味と甘みの爽やかさがあるし。ただ、四番もたまには食べたい。前の三つはダメだと思うけど、この二つはいいよね」
メモをしながらモリーは頷いた。
「私も四番か五番かだろうと思っていたの。個人的にはどちらも好きな感じだけど、どちらに絞ればいいかしらね?」
モリーが俺を見て尋ねる。
「え? 絞らなくていいんじゃないですか? 二種類出しましょうよ」
「二つとも?」
俺は頷いた。
「私の国では子供も食べられるように甘口、中辛、辛口って三種類あるぐらいですからね。この国の方だって辛さが苦手な人もいるでしょうし、マイルドとスパイシーで分けて出した方がいいんじゃないでしょうか?」
モリーが嬉しそうに笑った。
「そう言ってくれると嬉しいわ! 自信作を両方認めてもらうと私も研究した甲斐があるもの」
調合率などは全部メモしてあるので、問題なく量産はできるとのこと。
「これが原価になるわ。大体一つでこのぐらいの金額ね」
見せてもらった金額に諸経費を乗せたとして、七百ガル以下にはできない。ある程度売れるようになったら原価は下げられるとは思うが、今は難しい。
「七百ガルって、けっこうな値段ですよね、こちらの方からすれば」
一食分で使うシチューの牛肉ですら五百ガル程度だ。主婦としては痛い出費かも知れない。
「確かに少し高いかしらね。モリーソースも最初は高いって言われたけど、時間も掛かるものね。まあ私が家で調理に使っていたら匂いが良かったらしくて、それからは買ってくれるお客さんが増えたけど」
「利益が出なかったら意味ないですしねえ」
ホラールではアマンダの店でPONカレーを出しているので、カレーに対しての認知度は上がっているが、サッペンスでは当然ながらない。
二人でああでもないこうでもないと話し合っていると、ジェイミーがふと、
「母さんの店でも売るんだから、最初は母さんが作って試食販売すればいいんじゃない?」
と言い出した。
「誰だって味もよく分からないものに高いお金払いたくないんだしさ。試食はどちらにせよ必要だと思うんだ僕。そりゃあ最初はお金かかるけど、でもそれって必要なお金でしょオンダさん?」
「確かにそうだね」
これは俺が手掛ける最初の事業でもある。できることなら成功させたい。
「モリーさん、ちなみに二種類のカレールーを、商品として出せる量を作るにはどのぐらいの日数必要ですか?」
「そうねえ……モリーソースと違って調合するだけだし、小麦粉と油でコンソメキューブみたいに固めてしまうだけだから、一カ月もらえればそれなりの数はできると思うわ。ただ、どちらも商品にするとなると、経費が三十万ガルは掛かりそうなのよね……ちょっと金額が大きいのよ」
「あ、ちょっと待ってて下さいね」
俺は急いでゲストルームに戻って、トランクから用意していた袋を取り出してラボに戻る。
「五十万ガルあります。商品化のために使ってもらおうと思っていたので、これ使って下さい」
「オンダ、いいの? まだ売れるかどうかも分からないのにこんな大金を」
「そんなこといったら、世の中すべての商品が売れるかどうか分からないものですよ。大丈夫です、これは売れます。ホラールでも今後は他の町でも、私がいくらでも売ってみせます。実は、物を売る能力だけはとっても自信があるんですよ私」
失敗が怖くてチャレンジなんぞできるか。
冗談めかした言葉でも、本気であることは伝わったのだろう。モリーは俺の手を握り、
「任せてちょうだい。なるべく早く黒字にするわ」
とぶんぶん手を振った。
「あははは、信用してます」
「俺も手伝いますからご安心を。僕、経理関係は強いんですよ。何しろ採算度外視でいきなり研究始めたりする母親がいるものですから」
ジェイミーも無駄に眩しい笑顔で俺を見る。
本当に彼の顔と俺のスキルがあれば無敵の人なんだがなあ。まああるもので勝負さ。
「それじゃ、販売日には合わせて私がこちらに来ますので、是非ご連絡下さい。あと住まいがこちらに変わったので今後はこちらに。電話は今後引く予定ですので、その際はまたお伝えしますね」
俺はエドヤの住所を記した紙を渡す。
「気合が入ったわあ。もう少し改善も試みて、商品化に突き進むわ!」
「頼もしいですね。よろしくお願いします」
俺たちは三人で握手をした。
そして一カ月ちょっと。
宣言通り商品が出来上がったと連絡が来て、俺はまたジローと、半日で何とか到着できることが分かったので、今度はダニーも一緒にサッペンスに向かうことになった。