モリーカレー
『サッペンスまで商談に行くので数日お休みいたします エドヤ』
「……これでよし、と」
俺は店の入口に張り紙をすると、ジルに振り返る。
「ジルさん、申しわけありませんが、戻ってくるまでダニーのこと、よろしくお願いします。なるべく早く戻りますので」
「遠慮せず行っといで。こっちも早速ダニーの観察ができて楽しみだよ」
俺はペコペコと頭を下げると、ジローと一緒にサッペンスへ荷馬車を走らせた。
モリーの手紙を読んでから三日後のことである。
本当はダニーも連れて行きたかったのだが、片道で半日は馬車に乗ると、恒例の水浴びができない。一緒に暮らし出して日も浅いし、水浴びもできず長時間の馬車移動では、彼のストレスが溜まりまくるのではと不安になったのだ。
ジルも止めといた方がいいというし、エサとプール遊びぐらいは私でもやれるよ、と引き受けてくれたので今回はお願いした。
サッペンスや他の町へも今後は仕事で動くだろうし、いずれは信頼できるアルバイトの人でも雇った方がいいかも知れない。毎回恩人に迷惑をかけるのは心苦しかった。
ジローは水浴びが好きだといっても、なければないで平気なので特に体調崩すこともないし、前回も問題なかった。
ただダニーの場合は少々特殊で、種族の特性で体毛の水はけが良くなるように、皮膚から皮脂が出やすくなっている。なので一日入らないだけで、数日風呂に入ってない髪の毛のように、ねっとり艶びかりしたボディーになってしまい、体臭もきつくなってしまうのだ。つやつやなのは可愛いんだけどね。
しかもダニーは本人の性格的なものなのか、とても清潔好きだと思う。
毎日数時間ずつ二、三回に分けて一日の半分以上の時間は寝ているが、起きている時はご飯を食べているか、プールで泳いでいるか毛づくろいをしていることが多い。
先日俺が風呂の時にたまたま入ってきて、温かいお湯だと脂の抜けがいいと気づいたのか、次の時には扉の前に来て待っているようになった。まあストレスがなくなるなら別にいいんだが、コイツよく土まみれの自然界で生きてたなと思う。マメに川で洗ってたから平気なのかな。
「……少なくとも、ジローよりは神経細やかな感じだよな」
チラリと荷馬車の方を見ると、黄色をベースにしたスカーフと、片足に同色のシュシュをしたジローが揺れるたびにころり、ころりと転がるのが楽しいようだ。
先日はお気に入りのオレンジのスカーフを自分で失くしたのが本当にショックだったらしく、同じものを買ってもまだしょんぼりしていたのだが、女性の髪留めなどの置いてあるところを眺めていたら、同じような布を使ったシュシュがあった。
「ジロー、これはどうだ? これならよほどのことがない限りは失くさないぞ」
と試しに買ってみて片足につけてみたら気に入ったようで、ご機嫌が戻った。
以後、スカーフとシュシュはワンセットでつけるお洒落さんなのだが、今のように転がって自分の体やスカーフなどが汚れても全然気にしていないようだ。
ジローとダニー、友人同士にしてはだいぶ対照的な二人なのだが、一緒に仲良く寝てたりキュゥキュゥ、ポゥポゥと伝わってるのか分からない話をしている姿をみてると、種族が違っても気が合うんだろうなあ、とちょっと羨ましく思ったりもする。
俺もいつか、この国で気の合う人間の友人ができるのだろうか。
お世話になっている人たちは増えているが、どうしても本当のことを言えない部分があるので、どうしても踏み込めないというか、申しわけないという気持ちが先に立ってしまう。
俺のトランクだって、いつまで打ち出の小槌状態かも分からないし、この国でモリーや他の人たちとも協力したり、良い商品を見つけたり新商品を売り出したりもしなければならない。
そうするとガクッと純利益は落ちるだろうけど(原価なんかも入ってくるし)、ワクワクすることは確かだ。新しい挑戦はいつでも興奮する。
「モリーさん、いいルーができてるといいなあ……」
俺はそんなことを考えつつ馬を走らせていた。
考えてみれば、馬を移動に使うってのも初めての経験だった。犬猫以外のペット、いや家族ができたのも初めてだし、知らず知らずのうちに初めての経験が沢山増えていることにも気づいた。
自分が店長となって商品を売るのも初めてだが、これは営業でやっていることとたいして変わらないので、思ったよりこなせそうだ。
馬の操作もコツがつかめたのか時間が短縮されたらしい。朝から出発して一度の休憩で、夜も早い時間にはサッペンスに到着した。町の広場にある時計台を見るとまだ八時を過ぎたところだった。
(八時か……遅すぎるってほどでもないし、モリーの店に寄ってみようかな)
俺は少し考えると馬車を停車場に回す。
移動に朝晩なんて関係ないので、停車場は夜でも管理人が常駐している。預けて馬に水とエサを頼むと、トランクを下ろしてジローと一緒に店に歩いて行った。
店は閉店していたが、店の奥にはまだ明かりがついている。
俺はベルを軽く鳴らして声をかけた。
「夜分遅くに失礼します。オンダです~」
少し待つと、店内に明かりが灯り、奥からモリーが出てきて扉を開ける。
「あらいらっしゃい、今着いたの? 私ったら手紙で急かせてしまったかしらね」
「いえいえ、私もカレールーの様子が気になっていたものですから。こちらこそ到着早々のご訪問ですみません」
「私も息子も夜更かしだし、夕食もこれからなのよ。ちょうどよかったわ、積もる話もあるから一緒に食べましょう。ジローもお腹空いたんじゃないの? 魚を焼くわ」
『ポッポッ』
遠慮というものを知らないジローが、ぽてぽてと店の中を抜けて自宅の方に向かう姿に、
「こらジロー! すみませんモリーさん」
とたしなめつつも、夕方干し肉を与えたっきりだしそりゃ空腹か、と思い直す。
俺も正直夕食はどこかレストラン開いてればいいんだが、と思っていたので、ここはご迷惑だがご馳走になろう。恥ずかしい話だがお尻も痛いし疲れたし、お礼は明日にでもゆっくり考えよう。
店を抜けた奥は、モリーと息子のジェイミーの住居スペースだ。
「オンダさん、お久しぶりです。今日はビーフシチュー沢山ありますので遠慮せずどうぞ」
「ありがとうございます。今夜はお世話になります」
シチューの鍋をかき混ぜていたジェイミーが笑顔で出迎えた。良かったトマトベースでなくて。
モリーも柔らかい印象の美人なだけあって、息子のジェイミーもイケメンだ。
映画やドラマにでも出ててもおかしくなさそうなサラサラ金髪の整った顔立ちのモテそう男子なのだが、かなり内気な子らしい。前回はちょっとした世間話ぐらいしかしなかったが、一度顔合わせしたせいか、少し慣れてくれたような感じがして嬉しかった。
彼の顔で俺の営業スキルがあれば完璧なんだけどなあ。ないものねだりである。
「ジェイミー、シチューとパンの用意は私がやるから、ジローのために冷蔵庫の魚を出して焼いてくれる?」
「分かった。ジロー、ちょっと待っててね」
『ポッ』
「あの、私も何かお手伝いできることがあれば──」
俺がモリーに話しかけると、「いいのよ座ってて」と断られた。
「長時間の移動で疲れてるでしょう? すぐ支度もできるから。……そうだわ、お風呂も沸いてるから先に入っていらっしゃいよ。ゲストルームもあるから今夜はうちに泊まればいいわ。どうせ相談しなくちゃならないことも色々あるから」
「何から何までご面倒をおかけします」
お礼をいい、ありがたく風呂を使わせてもらった。
この国の風呂は日本の方式と似ていて、主にタイルのような艶のある石材で浴槽が作られている。
アパートも一戸建てもガスで加熱するボイラーのタンクが設置されており、そこで温められた湯が出るので便利だ。
沸かし直しができないのが残念だが、海外ではシャワーだけが多いものだと思っていたので、アマンダの家で浴槽があるのに感激した。俺は風呂でゆっくり疲れを取るのが好きなのだ。
だが人様の家でゆっくりなんていってられないので、素早く髪を洗い、体の汚れも落とした。
二、三日分の着替えはトランクに入っているので、出てからラフなシャツとチノパンに着替える。
汗臭い状態からサッパリすると、疲れもだいぶ取れた気になるのが不思議なものだ。
「オンダ、食事の支度できたわよー」
「あっ、すぐ行きます」
俺は慌てて荷物を片付け、リビングに向かった。
「……でね、五種類ぐらい試作品ができたのだけど、オンダにも味見して欲しいのよ」
「五種類もですか?」
話をしつつ食事をすませた後、お茶を飲みながらモリーが本題のカレールーに入った。
「母さん、けっこう深夜までラボで色々と実験してたんですよ。おかげでしばらく母さんの作業服からカレーの匂いが取れなくて」
クスクス笑いながらジェイミーが報告する。
彼も動物好きなようで、腹が満たされて寝転んでいるジローをそっと撫でている。
「発売するまでは、周囲にあんまり香りもばらまけないから苦労したのよ」
ラボというのは、モリーソースやその他オリジナル商品を作る際に使用している、石造りの建物で、高い煙突がついている。店の裏手にあるが、店と同じぐらいの大きさだ。
細かい炭が敷かれた消臭フィルターのようなものを通った匂いなどが、しっかり煙突から排出されるようになっているそうで、店の規模のわりには立派な施設だと思う。
「モリーソースも出来るまで何度も失敗してね。ものすごい臭いが周囲に充満してえらいことになったりしたのよ。あちこち謝りまくったわ。あんな思いはもう嫌だったから、改装したの」
発酵工程があると、まあ色々あるもんな。
「お手数おかけして、感謝しかありません。……ただ、味見は明日でもいいですか? ちょっとお腹いっぱいでして」
ほろほろの牛肉が美味くてシチューを食べ過ぎた。
「もちろん構わないわ。それにオンダ目がショボショボとして眠そうだし。ジローもね。今夜は疲れただろうから早めにお休みなさい」
「すみません。お言葉に甘えます」
風呂と食事のコンボは危険だった。必死で耐えていたが、実はもう眠くて眠くてしょうがなかったのだ。俺も三十そこそこで疲れが取れないお年頃なんだろうか。
俺とジローはゲストルームに向かうとベッドにもぐりこみ、ものの数分で眠りに落ちていた。




