恩田、店つきの一軒家を借りる。
しかしアパートを探し始めたはいいが、ペット可の物件が少ない。あっても防音など造りがしっかりしているせいか、かなりお高い。
変わったペットを連れ歩いている人も割といるのになんでだだろう、と不思議だったのだが、どうもペット関係はトラブルが絶えないらしい。
鳴き声問題に匂い、室内の破損やペット同士のケンカなど理由は様々で、大家としても無駄な揉め事は増やしたくないのだとのこと。特に夏場が困るのだと言われて納得した。
これから夏になると、エアコンなどないから窓を開けっぱなしだろうし、匂いも広がる。
隣の部屋のペットの鳴き声にイラつくことも多いだろうし、暑さでケンカになりがちだよなあ。
「ジローはうるさくないんだけどな。水浴びしていつも清潔だし臭くもないし」
『ポゥ……』
ただ今後の生活も考えると、住民と無駄に摩擦を抱えるのもよろしくない。でもワンルームぐらいの狭い部屋に十二万とか十五万ガルとか、ぶっちゃけ払うのは厳しい。
倉庫の荷物を取りに行った際に、すでに恒例になっているジルとのお茶会の際に、ついそんな愚痴をこぼしてしまった。
「ハハッ、確かにペットが飼えるアパートは高いし、物件も少ないね」
何度か話すうちに、ジルともだいぶ気心が知れてきた。
というかもともと偏屈でもなんでもなく、昔のように人付き合いしていると、研究や調査の時間が割かれるので、わざと無愛想にするようになったことが分かったし、本来は好奇心旺盛で頭のいい女性である。
彼女には内緒だが、ちょっと俺の母親に似たところもあって、個人的には親しみを感じていた。
「ですよねえ。まあ大家さんにも事情はあると思うので文句も言えないですけど」
「ホラールもサッペンスほど大きな町じゃないけど、それでも五、六万ぐらいは人がいるしね。昆虫とか小動物なんかが苦手な人だっているし」
可愛いんだけどねえ昆虫も、と壁の標本を見ながらジルは呟くが、俺も昆虫や爬虫類は少々苦手なので黙っていた。
「自分が住むところ以外に、お店を借りる家賃とかも考えないといけないですからね。あんまり高すぎるのは手が出ないと言いますか」
俺が紅茶を飲みつつジローにおやつの干し肉を与えていると、少し考えるような表情になったジルが、俺に尋ねてくる。
「オンダは、店と住まいが別々でないとダメなのかい?」
「え? いやそんなことはないですけど、それこそ広くなってもっと高くなるじゃないですか」
原価ゼロのトランクの中身が、いつ打ち止め状態になるかも分からないのだ。
これからサッペンスや別の町で新商品の開発や取引先が増えるにしても、先の話だ。
まだ大きな場所を借りるのは時期尚早だ。
「だけど、一軒家ならペット問題は解決するじゃないか」
「それはそうなんですけどね」
「──実はさ、私の持っている物件で店舗付きの戸建てがいくつかあるんだけどね」
「……え? そんなに物件を持ってるんですか?」
ジルは実家が資産家で、夫婦であちこち飛び回るような学者生活が続けられたのも、実家の援助があったからだそうだ。
ご両親が亡くなった後は、彼らが持っていた不動産の家賃収入で暮らしているとは聞いていた。
だが屋敷こそ大きいが通いのメイドが一人いるだけで、室内の家具も品はいいが使いやすさ重視といった様子で、特に豪華という印象もない。食事もごく普通、いや質素な時もある。
知識欲はあるが、アクセサリーだの服だのに興味があるようには思えなかったし、「お金には困ってない」と言ってはいたが、メイドの給料と一人の生活には困らない程度の、ほどほどの賃貸収入だと思っていた。
土産のバウムクーヘンやビーフジャーキーも、とてもお金持ちとは思えないほど喜んでいたので、実はもう少し倉庫の賃料を上げてもらった方がいいのでは、と陰ながら少し心配していたのだ。
「両親の趣味がお金を稼ぐことだったからねえ。ま、稼ぐのが楽しいだけでケチじゃなかったから、私も助けられたんだけど。いやそれはいいんだよ」
この屋敷から十分も離れてない場所に、ちょっと古いが店舗付き住宅があるという。
一階が店舗で、店の中から階段で上がった二階が住居になっているそうで、風呂トイレ付きで、キッチンとリビング、部屋も二つあるそうだ。
「大通りから一本奥に入ったところだけど、雑貨屋も近くにあるし、人通りもそれなりにある」
ただ半年ほど前から借り手がなかなか見つからず、今は空き家になっているそうだ。
「どうしてですか?」
「厨房がついてないから、飲食関係には使えないんだよ」
前にやっていたのも本屋だったり洋服屋だったので、厨房がなくても問題なかったが、レストランやカフェ、菓子店など食べ物を扱いたい人からすれば、魅力がない物件らしい。
「そこまで広い店でもないし、気長に待とうかと思ってたんだけど、あそこなら一軒家で隣家の間隔が空いてるし、ジローがいても問題ないよ。ちょっと見てみるかい?」
「はい、是非!」
今でも山に出かけて昆虫採集をしたりしているので、ジルのフットワークは軽い。
この間のぎっくり腰を経験してから、またなったら怖いからとストレッチも増やしたそうで、今はかなり万全の状態のようだ。
「え、ここですか?」
案内された場所は、確かに大通りではないが、他の店もそれなりにあるし立地的にかなりいい。
店内はリフォーム済で壁のペンキがベージュに塗られており、木の床や壁の作りつけの棚も古びてはいるが、かえってそれがいい味を出している。
まあ半年空いてるのでそれなりに埃はあるが、掃除したらすぐ綺麗になりそうだ。
「前は本屋だったんだよ。だから棚は借主が許可を取って増やしたままなんだけど、オンダのところの商品沢山あるだろうから、棚があった方が便利じゃないかね?」
二階も見せてもらったが、本屋のオーナーが女性だったそうで、マメに掃除もしていたとのこと。
そのまま軽く掃除してすぐ引っ越せそうだし、大きくはないがキッチンもある。六畳ぐらいと八畳ぐらいの部屋もあって、狭い方は商品の一時保管場所にできそうだ。リビングも大きくはないが、ジローの止まり木を置いて、食事用のテーブルセットを置くゆとりは十分ある。
一番いいのは風呂の浴槽が少し広めで、ジローの水浴びに利用できそうなことだ。
寝室に使っていたらしい奥の広い方の部屋には、木製のベッドが作り付けになっている。
マットレスとかシーツ、毛布なんかあればすぐ使えそうだし、大きな開き窓もある。
「ジロー、ちょっと出入りできるかやってみてくれるか?」
『ポゥ』
パタパタと開いた窓から表に飛んで、また輪を描くようにくるりと戻ってきた。ジローのわがままボディーでもまったく問題なさそうだ。周囲には背の高い建物もなく、見晴らしもいい。
個人的にはとても、とても気に入った。
「……でも、お高いんじゃないですか?」
通販番組のサクラみたいな台詞だと思いながらジルに尋ねると、月二十万ガルでいいという。
「いやでもそれは相場よりかなり安いのでは? ジローもお世話になりますし」
事前に周囲の相場を調べていたが、店舗だけでも二十万以下のところなんてなかった。
「ここは古い建物だから、店に厨房を改めて入れることも出来ないし、使い道が限定されてるだろう? だから一度オーナーが代わると次が見つかるまでに時間かかるし、空き家状態にしておく方が正直無駄になっちゃうからね」
予算内というか、店と住まいで月に三十万ぐらいで抑えたいと思っていたので、願ってもない条件だ。看板や商品袋、光熱費など、これから少々お金も必要にはなるが、今の状況ならやっていけそうだ。早くサッペンスでモリーソースの増産やカレールーの商品化などが出来れば、トランクの商品だけに頼らなくても何とかなるだろう。
「ジルさん! 是非ここを貸して下さい! ジローも気に入ったよなここ?」
『ポッポッポ♪』
「ああ、ここからならアマンダの家よりは倉庫も近いだろうからね。──あ、でもここを出る時、ジローが壁やら窓の手すりとか傷つけてたら、元に戻すのは自腹でやっとくれよ」
「もちろんですよ。もうジルさんには頭上がらないですよ私」
ペコペコと頭を下げ、彼女の屋敷に戻って必要な手続きを済ませる。
「──すみません。私、なんとか会話はできるんですが、まだこちらの国の文字は勉強不足でして、書類の文字が分からないんです」
ジルは信頼できると思っているので正直に打ち明ける。まあこれで騙されたら俺がバカだっただけのことである。ある程度のリスクは避けられない。
「ああ、バウムクーヘンとかも袋の裏に変な文字書いてあったね。あれがニホンていうオンダの国の言葉なのかい? 逆に細かい文字が多くてあっちを覚えるのが大変そうだよ」
ジルは喋れるだけ立派だといい、これは契約書で、ここに名前書いて、月の賃料はこうで、と一つ一つ丁寧に教えてくれた。
ダメもとで、もしお時間があれば店の休みの日にでも文字を教えてくれないか、と頼んでみた。
「これから仕事でも書類を作ったり記入したりすると思いますので、最低限よく使う言葉だけでも構わないんですが」
「構わないよ。ただ一つ、こっちからもお願いしたいんだけど」
「はい? なんでしょうか」
「オンダが色々と教えてくれる動物や植物の名前を、あんたの国のニホンゴでどう書くのか教えて欲しいんだ。それであいこってことでどうだい?」
「そんなことでよければ喜んで! なんなら上手くはないですけど絵も描けますよ。言葉で説明するよりは伝わるんじゃないかと思います」
ジルは嬉しそうに俺の手を握った。
「オンダの説明は分かりやすいんだけど、何しろ本物を見てないから想像するしかできないからね。ざっくりとでも絵も描いてもらえたら、ノートにまとめやすいからすごく助かるよ」
がっちりと俺もジルの手を握り返し、交渉が一つまとまった。
あとは急いで店舗や家の清掃を済ませて引っ越しだ!