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騙されないわ、エクエリスト。

「そんな言葉でごまかそうなどと、私を何だと思っているのですか。今度こそ騙されません」

「ごまかそうなどとは滅相もない。私は事実を申し上げているだけだ」

「事実と真実は時として混同されることがありますが、此度がそのよい例でしょうね」


 上半身を起こし、ベッドに居座る青い髪の青年を、アリーシェ・ル・リア・フォン・エルマーシュは凍てつく青い(アイスブルー)瞳で冷ややかに見下ろす。

 言葉の言い回しは違えど、何度訪問し、何度このやり取りを繰り返しただろうか。


「私はあの場に居合わせただけだ」

「あなたには殺人の嫌疑がかかっていることをよくわきまえてください。取り調べが終わるまでは断じてあなたを釈放するわけにはいきません」

「そうか、ここは退屈だが、退屈しすぎるというわけではないから結構だ」

「大公殿下」


 大公殿下と呼ばれた青年は面白そうにレオルディア皇国憲兵副総監を見返した。


「そのようにお怒りになるとエルマーシュ侯爵家の美貌が台無しになる」

「そのようなものは職務に関係ありません」

「宝の持ち腐れとはまさにこのことだな」

「随分と容姿にこだわるのですね」


 苦笑した大公殿下は、


「では憲兵隊副総監殿、新たな展開があるまでは、しばしご退出願おうか」


 吐息を吐いた憲兵副総監は一瞥をくれたのち、銀に近い水色の髪をなびかせながら部屋を出て行った。


「どうでしたか、副総監」


 室外に控えていた妹のヴァリエ・ル・シャリエ・フォン・エルマーシュが尋ねた。レオルディア皇国憲兵隊副総監補佐をしている。

 職務中であるから、姉妹であっても馴れ馴れしく御姉様とは言わない。


「あきれてものも言えません」


 歩き出しながら、アリーシェは吐き捨てた。

 レオルディア皇国の皇室に連なる一門であるエクエリスト大公殿下、シュヴァル・リュニアス・フォン・エクエリストが自身の後見人である叔父、リンオスロー公爵を殺害した咎で拘束された―憲兵副総監自らが部下を率いて邸内に突入し、寝間着姿の大公殿下の身柄を確保した―のはつい一昨日である。

 

「エクエリスト大公殿下が本当に叔父上を殺害したのでしょうか」

「違うなら違うとはっきりと言えばいいものを。何度聞いても答えは同じです」

「虚勢を張っているとお思いですか」

「いいえ、あれはあの方の本質です。それだけは間違いないと思います」


 アリーシェの足が止まる。

 何かを求めるようにさまよい、ついで一点に固定された視線の先には上半身のみの彫像が置かれていた。作者も対象者も不明。

 投げやりという表現で片付けるのには少々色が異なる態度だった。

 一応否定はするものの、仮に自分が清廉潔白であれば、貴族たるもの、もっと力を入れて主張するはずなのだとこれまでの経験則からわかっていた。


「一度憲兵隊本部に戻ります。再度資料を検討してみなければ。あなたは大公殿下の身辺に注意してください。大公殿下単独の犯行の可能性、背後に誰かがいる可能性、どちらもあります。口封じをされるなど貴族間の揉め事では日常茶飯事ですから」

「承知しました」


 うなずいたアリーシェはその場を離れた。

 内玄関にて敬礼をささげる部下たちに答礼を返し、玄関を出ると眩しい恒星ソールの光が出迎えた。

 目を細め、慣れない光をやり過ごそうと、少し伸びをして振り向いた。豪奢な建物は、憲兵隊が収容し、使っている貴族の別邸である。

 その3階が大公殿下が拘留されている部屋となっている。


「騙されないわ、エクエリスト」


 幸いにして、そのつぶやきを聞き取れる範囲には誰もいなかった。

 殺人の嫌疑がかけられている者である以上、敬称をつけてはいられない。その思いが口から出てしまったようだった。




 1日後、執務机に向かっているアリーシェのもとに、大公殿下の容体があまりよくないことが医師からヴァリエを通じて伝えられた。問いただした際に「風邪をひいている」と言われ、医師をつけたのだったが、あまりよくないらしい。


「風邪は長引いており、ここ最近は、しょっちゅう医師を変えていらっしゃったようです」

「今大公殿下に死なれては困りますから、それなりの治癒術師や名医を手配しましょう」


 アリーシェは現場からの報告書に目を通す傍ら、一瞬顔を上げて、ヴァリエにそう言った。自身もつい先ほど現場に出て委細に調べ上げ、ついで被害者のリンオスロー公爵家やエクエリスト公爵家について調べ上げている最中だった。

 それぞれの家人に対する監視の目は、当人たちに気づかれない程度に行き届いている。


「監視の目を怠らないようにします」


 と、ヴァリエは退出し、アリーシェは事件関係の書類とのにらみ合いに戻った。


「両公爵家も随分と寂しいものになったものだ」

「エクエリスト公爵家は、大公殿下を除けば弟君が一人。あとは先代大公殿下の晩年の御子である女児のみ。リンオスロー公爵家は殺害された公爵を除けば、妻とまだ12歳の女児のみというわけですか」

「ここ十数年で一族が随分と減ってしまっているようですし」

「廃絶か、あるいは新たな養子縁組をすることになるのかな」


 部下たちの間で遠慮のない会話が交わされている。それを聞くともなしに聞いていたアリーシェの眉が跳ね上がった。同時に書類の山の中から一枚の書類をつかんでいた。




 部屋の前に立ったアリーシェは目を閉じ、胸を上下させて呼吸を整えた。即断即決、冷徹な憲兵隊副総監としては珍しいことだった。

 ノックに応じる声を確認して、中に入った。窓が開けられ新鮮な空気が入り込んできているが、遠巻きに監視の目は行き届いているから逃げようはない。

 いや、この人は逃げないのだとアリーシェは思った。


「お加減はいかがですか、大公殿下。何か不自由はありませんか」

「いたって満足している。強いて言えば新たな本がないことか」

「それは嘘です。あなたの顔色が、何よりも雄弁に事実を物語っています。一体医師は何をしているのですか」

「何もしていない」

「何も?」

「ああ、何も」

「大公殿下」


 アリーシェは目立たないように唇をかみながら一歩近づいた。

 医師は「何もしていない」のではない。「何もできなかった」が正しい表現だった。


「いかに死病に侵されているとはいえ、冥界にまでご自身の秘め事を持ち込むのはよろしくありません。殺人犯の弟君を庇いだてなさるのはおやめください」


 吹き込んでいた風がやんだ。大公殿下は憲兵副総監を4秒ほど見つめた後、乾いた笑い声を立てた。


「エルマーシュ侯爵家は将来稀代の憲兵総監を輩出することになりそうだ」

「お認めになるのですね」


 大公殿下は否定しなかった。かすかに返した頷きがすべてだった。


「意外でした」

「意外?素直に認めた理由を聞きたいのであれば、こう言おう。貴重な時を無駄にしたくないのだ、と。貴方を相手に隠し事をしても意味がないことは承知している。それに私の前で言うからには相応の証拠固めは終わっていると思うが」

「おっしゃるとおりです」


 証拠隠滅をしたといっても、素人である。捜査の道筋がわかってしまえば、徹底的な現場検証および周辺の背後関係を調べ上げれば、いかに隠し立てをしようともわかってしまう。

 大公殿下が苦痛を伴う死病に侵されていることも、往診医師を洗い上げればすぐにわかった。


「一つ質問があるが、なぜ弟は叔父上を殺したと思う?」

「私の想像ですが、弟君には好きな女性がいらっしゃったのではないでしょうか。それを家のためとリンオスロー公爵が弟君に別の女性、つまりは公爵の娘御との婚約を強引に迫ったことが原因ではないでしょうか」

「ほぼ当たっている」


 大公殿下は嘆息した。ついで、かすかな咳の音が聞こえてきた。


「さらに言えば、叔父上は死期が近い私を排して弟にエクエリスト大公家を継がせ、その後ろ盾になろうと思っているようでね」


 リンオスロー公爵家は体面を保っているが、皇室から遠ざけられた元皇室一門である。それなりに政権掌握への野望は持っている。


「弟は家を捨て、平民出身の女性と恋に落ちた。それはいい。彼自身の人生だ。誰にも邪魔はさせられない」

「だからといって、人を殺すなど目的を達成する手段としては身勝手すぎます」

「話し合いはしたのだ」


 大公殿下は暗い顔になった。結果については敢えてアリーシェが聞くまでもなかった。


「だが、叔父上は聞く耳を持たないお人だからな。私とて立場が同じであれば同じことをしたと思う」

「身勝手で短絡的です。自らの目的のためには他者を犠牲にしてもよいと弟君は思われたのですか」


 これまで決してベッドの上に見せることのなかった大公殿下の右手が、糾弾者を両断するがごとく横に振られた。

 アリーシェは一歩下がった。死病特有の右手の痣を見ただけではなく、不意に入ってはいけない庭園の奥に足を踏み入れたような感覚に陥ったのだ。


「憲兵副総監、貴方に問う。レオルディア皇国の秩序と体制維持のために逮捕し刑に処した人間は両手の指が何本あれば数えられるか?」

「秩序と体制維持のためには必要なことです。それが最大多数の最大幸福につながります。一個人の身勝手な動機と一緒にしないでいただきたいです」

「だから身勝手でないと貴方は言うか。それならば、今のレオルディア皇国の体制についての批判に真摯に耳を傾けてから言ってほしい。今まであなたはそうしたことはおありか?」

「批判があることは承知しています。100の人間がいれば100通りの意見があることも理解しています」

「私はあなたに聞いているのだ」


 アリーシェは黙り込んだ。大公殿下に気圧されたのではない。自分自身の深淵から聞こえてくる、これまでアリーシェが耳目を閉ざしてきた内なる声がそうさせたのである。


「憲兵副総監として、レオルディア皇国の現体制の維持に努力することが私にできる精一杯のことです。そこに私情を挟んではいけません。現体制を排除すべきと誰が見ても明らかになった場合、動くのは6聖将騎士団です」

「憲兵副総監として、か。そう言い聞かせないとやっていけない職務なのだろうね」


 一転して、柔らかな声になった。いつの間にか顔を伏せていたアリーシェはそのまま顔を上げることはできなかった。


「悪かった。論点のすり替えだった。別にあなたを論破しようなどとは思っていない。どうしても身内のことになると感情的になってしまう。許してほしい」

「いいえ、大公殿下・・・!!」


 思わず、顔を上げて相手の手を取ってしまったアリーシェは慌てて手を離した。そして心の底から動揺し、後悔していた。

 冷たく生気がない手。この人はもう長くないのだとアリーシェは思った。


「申し訳ありません」

「それは私の手を取ったことに対してかな、それとも――」

「両方です。私では殿下をご納得させることはできません。ですから、申し訳ありません、と申し上げざるを得ません」

「職務に精励忠実である、か。それもいいだろう」


 日が少し陰った。雲が恒星ソールの前を通り過ぎたのだろう。重い沈黙が部屋を包んだ。


「貴女は可哀そうな人である、というのは非礼かな」


 不意に投げかけられた言葉に、どのように答えたらよいか、アリーシェには言葉が見つからなかった。

 死期が近く、なおかつ弟も逮捕されるであろうことを知っている大公殿下から、虚勢でもなんでもなく心からの哀れみのまなざしが自分に向けられている。


「私はできることはやった。貴女も自分の名に恥じぬよう、できることをやるといい。どう生き延びるかは弟自身の才覚だ」


 大公殿下は窓の外を見た。アリーシェも窓の外を見た。

 空は晴れ、穏やかな風が窓から吹いてくる。

 どうしてこんな時に晴天なのだろうとアリーシェは思う。

 やるべきことはきまっているが、それにしても、天候ももう少し空気を読んでほしかった。

 自分に代わり、涙を流してほしかったのだ。


 3日後――。


「そばにいられると困るな。貴女のような人と二人きりになってしまったら、どうしたらよいのかわからないのだ。少し眠るだけだ。一人にしてくれないか?」

「今度こそ騙されません。大公殿下」


 アリーシェは複雑な思いを秘めながらきっぱりといった。

 そして手をつと伸ばすと、大公殿下のベッドの敷布から短刀を取り出した。


「ただのペーパーナイフなのだが」

「ただのペーパーナイフであっても、です。お持ちになることはできません」


 あれから弟について、大公殿下が尋ねることはなかった。憲兵本部及び皇国のさる筋からの依頼もあって、アリーシェは日々病室に通い、監視をすることにしたのである。


「死期が近い病人を黙って送り出そうという気はないようだね」

「自裁をされますと憲兵隊としても大変です。職務に忠実に、ですから」

「大したものだ」

「ですから、今後は私がおそばについています」

「なに?」


 大公殿下は憲兵副総監の顔を見た。かすかに顔が赤らんだように見えた。


「公私混同と言われても仕方がないぞ」


 アリーシェはベッドのそばの椅子に腰かけた。


「存分に批判なさっていただいて結構です。私にはそれを論破する才能はありません。ですが、できれば今殿下が思っていらっしゃることは言葉にしないでいただけると幸いです」

「御覧の通り私は死にゆく身だ。御覧の通りあまり良い顔ではないので、見られるのは苦痛なのだが」

「私は気にしません」

「死顔を観察する趣味はよいとはいえんぞ」

「私は気にしません」

「私が気にするんだ」

「大公殿下は容姿のみを気にする女性がお好きなのですか?」


 怒ったような問いかけに大公殿下は苦笑した。


「頑固な人だ。好きにすればいい。それで、何をすればいいのかな?」

「何も。お好きなようになさってください。何かご所望の本等があればお持ちします」


 大公殿下がいくつかのリストを上げると、アリーシェは部屋を出て行った。外で何か声が聞こえるのは部下に指示を出しているからだろう。

 しばし目を閉じる。死が静かに一歩一歩迫ってくる。

 受け入れる準備はできていたが、現世に未練が残るではないか。


 戻ってきたアリーシェに、


「仮に私がこの世に未練を残した場合、貴女の身辺に夜な夜なでるかもしれないぞ」

「その時はその時です。幽霊ごときでおびえていては憲兵副総監は務まりませんので」


 すまし顔で言う姉を見たら、妹は目を丸くしたかもしれない。だが、大公殿下はかすかに笑ったきり何も言わなかった。


「これは私の独り言だが」


 受け取った本の一冊を早速手にしながら大公殿下は、


「私はほんの数日前まで、貴女と会うことになろうとは想像もしていなかった。貴女は最も遠いところにいるべき人だと。だが、今この時、この瞬間貴女はこうしてここにいる。誠に人生とは不思議なものかも知れぬ」


 しばらくの間、本の頁をめくる音、憲兵隊副総監が持参の書類をめくる音だけが部屋を満たした。

 空は晴れ、穏やかな風が窓から吹いてくる。

 アリーシェは今度はそれを恨むことはなかった。


 互いに異なる人生を歩んできた二人が交錯する時間があとどれほど続くかは、当事者であってもわからない。

 しかし、と大公殿下は思う。

 過去も未来もどうでもよい、今この時が重要なのだ、幾ばくも無い貴重な時をどう過ごそうか、今はそれに集中しよう。大公殿下はそう思った。



 レオルディア皇国の皇室に連なる一門であるエクエリスト大公殿下、シュヴァル・リュニアス・フォン・エクエリストがアリーシェ・ル・リア・フォン・エルマーシュに看取られて死去したのはそれから2日後、そしてそれと同じくして彼の弟もリンオスロー公爵殺害の罪で憲兵隊に拘束されたのであった。


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