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第6話「もう泣かない」

「レオン、これからどこへ行くんですか?」


「中央広場だよ。たまに出店があるんだ、美味いぞ」


 連れられて行った先ではレオンティーナの言ったとおりにいくつか出店が並んでいる。香ばしいハーブの匂いにつられてみると、チキンの串焼きがこんがりに焼けていて、思わずよだれが出そうになった。


「欲しいのか?」


「うっ……。ちょ、ちょっと興味が」


「食べた事もないだろう」


「はい。……我侭言ってもいいですか?」


「もちろん。そのために連れてきた」


 ただし夕食が入る程度に済ませておけと忠告されて、エルザは少し恥ずかしそうに頬を仄かに赤らめた。


「それにしても、自分がこんなにゆっくり歩いて回れるとは思ってもみませんでした。伯爵家にいた頃は散歩のひとつ自由ではなかったので」


「あの広い庭園を歩く事も許されていなかったのか?」


 伯爵家には立派な前庭がある。客人を迎えるときに華やかな方が気分も良いはずだからと手入れも欠かされる事なく、レオンティーナもかつて何度か目にしたが、確かによく出来た庭であったと讃える。


 しかし、そんな場所もエルザには縁遠いものだった。近いのに手が届かない。ゆったりティータイムを過ごす事さえ彼女には許されなかった。


「私は妹と違って不器用でしたから。編み物も出来ない、ただ座っているだけの飾り物。パーティでも華のある妹とは違って、私は佇んでいるだけ」


「ふうん、可哀想に。まあ比較し始めるとキリがない」


 チキンを噛んで串から外して、しっかり味わう。口の中に広がって染みていく油と肉の程よい弾力に、幸福感が満ちた。


「うん、悪くない。最近はジャンクフードともご無沙汰だったから」


「私はこういうのは初めてです。とても美味しい」


「だろうな。栄養バランスを捨てたメシは美味い。身体には悪いが」


 噴水の縁に腰掛けて、ゆったりした時間を過ごす。


 ときにはぼんやりするだけの休憩も必要だ。


「俺が一人で旅をしていた頃は、食べ歩くのが楽しみで仕方なかった。町ごとの特色もあったし、いつもどこかしらで腹の減る匂いに呼ばれてた」


「……わかります。私も、今はどこを歩いても魅力的に感じます」


 旅の醍醐味。見た事のない景色を、食べた事のない料理を、歩いた事のない場所を、出会った事のない人々との関わりを。多くの事柄を愉しんで幸福感を得る。そんな日常がエルザには羨ましかった。


 裕福だからといって全てが手に入るわけではない。彼女はむしろ裕福であったがゆえに不幸になった。窓から眺める景色が、道を行く人々が、どれほど羨ましく映ったであろうか。思わず目に涙が浮かぶ。


「おいおい、嬉し泣きか?」


「すみません、泣くつもりはなかったのに」


 涙を指で拭うのを見て、レオンティーナがポケットから出した銅貨を軽く振ってハンカチに変えて差し出す。


「使いたまえ。せっかくの美人が台無しだ」


「ありがとうございますう……ぐすっ」


「やれやれ、泣かれるのは苦手だ。何をしていいか分からん」


「すみません。私、すぐ泣いてしまって、本当に情けない」


「いや、情けないとは思わんが……」


 余計なひと言だったか、と反省して頭を掻く。


 責めるつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった。


「レオンは泣いた事がありますか?」


「あるよ。もう二百年くらい前だがね」


 串焼きを食べ終え、小さい紙袋の中に押し込む。


「いつか機会があれば話してあげよう。だが、今はそれよりも観光を愉しむのが先だ。せっかくの時間を涙で濡らすのは勿体ないだろう?」


 差し出された手を取り、ふふっ、と小さくエルザは微笑む。


「その通りですね。ぜひ連れて行ってください、レオン」


「当然そのつもりだとも、レディ」


 町の散策を再開する。レオンティーナが知るかぎりの愉しいと思える場所を連れ回す。小さなおもちゃ屋。埃の被った骨董屋。銀細工のアクセサリーショップに、古本を集めた個人の店まで様々な色の世界を彼女に見せた。


 煌びやかな世界にはない風情あるセピアが心を癒す。


「……愉しい。愉しいです、レオン。とても愉しい」


「ならば良かった。そうだ、これをお前にやろう」


 差し出されたのは銀で出来た小さい髪留めだ。百合の花があしらわれた髪留めを前髪にパチンとして、彼女は「どうですか?」と嬉しそうに尋ねた。


「とても似合ってるよ」


「嬉しい! 贈り物なんて初めてだから……」


「なら貴重な一回目は俺のものか」


 それはいいと手を叩く。


「さて、気も豊かになった頃合いだし、そろそろ宿に戻るとしよう。すっかり日が暮れてしまったから、ゆっくり酒でも飲みたい気分だ」


「私もです。レオンのおかげで、お腹が空いてきました」


 冗談も言えるほど元気になったのかとレオンティーナが大笑いして、それから彼女の頭を優しく撫でた。思っていたよりも彼女の手は大きく、そして温かい。


「良い子だ。悲しい事も辛い事も生きていればたくさんある。耐えればいい事があるとは言わない。だが耐えなければ起こり得ない奇跡もある事は忘れるな。もう目を瞑って闇の中で声を殺して泣く事もないだろう」


 もうエルザの瞳に涙はなかった。俯きはしたが、その表情は喜びに満ち溢れた明るいものだ。憂いよりも期待。熱望。そういった未来を信じた顔だった。


「────ありがとう。私、もう泣かないわ」


「それでいい。では食事にしよう。明日も元気に歩くためにな」

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