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大魔女レオンティーナの愉快で滑稽な旅路  作者: 智慧砂猫


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第51話「消えてなくなれ」

 アダンの体がひと回り大きくなる。路地裏では少々乗るのに狭かったが、そんな事を気にしている時間的余裕はない。「頭を踏むぞ」と先に伝えると彼はまったく気にする素振りも見せずに鼻をふすっと鳴らす。


『しっかり角に捕まっておくように。……では跳ぼう、群衆の中を駆けるほど広くもあるまい。屋根を伝って行けば早いだろう』


 軽い跳躍。ふわりと空を駆ける。騒ぎの中で群衆は、その異質でありながら神秘的とも思える姿を見て、いくらかの沈黙を通り過ぎさせた。


 月を背にした大きな鹿が、その背に女を乗せている。神官を思わせる美しい服を冒涜的に変える山羊の頭骨を模った首飾りが、宙を小さく揺れた。


 それを誰かが指差して言った。


「魔女だ! 魔女に違いない!」


 長い髪が乱れて舞う。アダンの足が屋根に飛び乗った。舞い降りた羽のように軽く、その外見からは想像もできないほど優しい着地だった。


『ご主人、ステフとニコライが嗅ぎつけたようだ。少し揺れるぞ』


 次々と屋根から屋根を渡って、騒ぎを起こす頼れる猛獣たちを追う。複雑に入り組んだ道も彼らは軽々と入り込んでいくが、アダンは正確に距離を詰めていく。


『あの場所だ、飛び込む! 体を縮めるから降りる準備を!』


 港町の中では少し幅広の路地裏にアダンが突っ込んだ。体が小さくなっていくと同時に、レオンティーナは彼の背中を蹴って飛び降りた。


「上出来だ、アダン。もう休んでくれ」


 彼女のひと言に頷いて影の中に溶けるように消える。


 鼻を衝く血の臭いがして、表情が険しくなった。


「……よく牙の研がれた野良犬だな。ステフとニコライを退けるとは、たかが雇われ騎士の団長様だと高を括っていた俺が間違っていたらしい」


 彼の手には血に汚れた剣が握られている。傍にはステフとニコライが既に事切れた後で、襲い掛かったが反撃を受けて死んでしまったのだと分かった。


「獣まで飼い慣らすとは、大魔女と呼ばれるだけはあるようだ」


 剣の切っ先は、彼の背後にいるエルザに伸びていた。


「加減が利かなかった。だがご安心を、こちらのお嬢さんには傷ひとつ付けていませんよ。もちろん、まだ、ではありますけどね」


「それで? わざわざすぐに殺さずこんな場所まで逃げた理由は?」


 コルネリウスの表情が冷たくなった。


「魔女狩り。かつてはそう呼ばれた時代があるのをご存知ですか?」


「説く相手を間違っているとは思わんかね」


「でしたら言葉は短く。あなたを殺すと言ったら首を差し出すかな」


「理由が聞きたいものだね。お前の考えがまるで読めないよ」


 小馬鹿にして鼻で笑う。わざとらしく肩を竦めた。


「あなたのせいで私の面目は丸潰れだ。公爵家からは無能の烙印を押され、魔女には関わってくれるなとまで言われた。これまでひとつたりとて仕事を全うしなかった事はない、この私がだ。あなたを侮っていたよ、レオンティーナ・ウィザーマン。たかが魔女とは名ばかりの女だと見くびっていた」


 剣を握る手に力がこめられた。


「名誉挽回の機会を求めたが、気付けば私以外の誰もが興味を失っていた。いや、あれはまるで忘れているとでも言うべきか……。私でさえ、ときどき忘れそうになる。いったいどんな魔法なのかは知らないが、あなたさえ殺してしまえば何を恐れる事もない。全ては元に戻ると考えた。間違っているかな、魔女殿?」


 返されてレオンティーナは首を横に振った。可笑しそうに。


「別に間違っちゃいない。確かに俺の首を獲れば魔法は解けるだろう。不死身の体とはいえ、首がなければ体は動かないし魔力も操れない。────だが、お前に俺の首は獲れないよ」


 彼女の視線はコルネリウスにはなく、エルザへ向いている。何を話していたのかは知らなくとも、短い間に人として成長した娘の覚悟が灯った瞳に、絶対的な信頼を寄せる。絶望の果てに勇気を抱いた姿に応えてやろう、と。


「さて、ここまで来ると怒りを通り越して呆れたものだ。この首が獲りたくば来てみろ。お前に出来るのならば、だがね」


「さっきみたいに猛獣を(けしか)けてみるか? あまり私を見くびらない方が良いな、魔女殿。伊達に修羅場を潜ってきてはいない!」


 エルザは後回しでいい。逃げ出そうとも、魔女がいなければ追って捕まえるのは難しい事ではない。大きな猪も機敏な狼も瞬く間に剣で切り殺した。いまさら何が出てきても臆する事などあるものか。────蛮勇とは、まさにそれだ。


『ワシにゃあ掠り傷だのお、人間の小僧』


 レオンティーナを守るように影の中からヌッと大きな体を壁にして剣をその身に食い込ませながら現れた大きな熊。ぎらりと瞳を光らせ、剛腕で退かせた。爪は壁を簡単に抉り、コルネリウスの鎧に傷をつける。


「なっ、なんだ……!? 今度は熊とは常識外れにもほどが……!」


「魔女なのだから当然だろう?」


 突然、空から黒い影が降ってコルネリウスの頭に飛び掛かって咬みつく。必死に振り払うと、黒い影はぴょんっと飛び跳ねてエルザの足にしがみついた。


『嬢ちゃんはこのボブ様が守ってやるぜ!』


 きゃっきゃっと歯をむき出しにして笑う猿が腕を掲げた。


「くっ……! この……! たかが獣如きに私が……!」


 その場にいてはレオンティーナの邪魔になるとボブに言われて、エルザがいったん路地裏から逃げ出そうとする。こうなっては先に狙うべきはこちらだとばかりにコルネリウスは魔女から標的を変えた。


「待て、エリザベ────!」


 その名前を口にしようとした瞬間、口が縫い付けられたかのように閉じて動かせなくなる。レオンティーナがフッと嘲って近付いていく。


「やめておけ、それ以上は引き返せなくなるぞ」


 とんと背中を叩かれると、閉ざされた口がぱっと開いて息を吸い込む。彼は振り返って遠慮なく剣を振るったが、大きな角がそれを阻んだ。彼女の傍には牡牛がいて、今にも突進してきそうな敵意を放った。


「そ、そんな……なんなんだ、なぜそこまであの小娘に拘る!?」


「ふむ。そうだな、別にそこまで拘っているわけでもないが……」


 エルザは大切だ。契約も交わした。ゆえに守らねばならないのも事実。かといって反故にしたところでレオンティーナに損はない。傍に置いておきたいと思う一方で、いなくなってしまえば気楽なものだろうとさえ感じもする。


 しかし、そんな複雑な感情とは別に、目の前の男に抱くものがあった。


「俺に咬みついてくる野良犬に優しくしてやる理由もない」


 いつの間にか彼女の周囲にはあらゆる動物たちが集まっている。黄色い小鳥から、獰猛な猪や狼までまた現れた。今度は一匹、二匹を相手にするのでは済まず、立ち上がって剣でも振ろうものなら牡牛や熊にまで襲われて八つ裂きにされるのは目に見えている。そのうえニコライと目を合わせてしまった事で足が竦んだ。


「俺はお前に痛い目に遭うくらいで済ませてやろうとしたんだ。また堂々と現れて厄介事を持ち込んで来ると思ってね。だがそうではなかった」


 冷たい金の瞳が見下ろす。


「久々に邪魔をされてはらわたが煮えくり返る気分だったよ。────それも今日までだ。今日でお前は、この世界から完全に消え去るのだから」


 立ちあがる事が出来ない彼の額に、レオンティーナの指先がつんと触れた。


「何もかも忘れて彷徨い歩け。死体のように過ごせ。お前の主人も、仲間も、友人も、家族も。そしてお前自身も、お前が誰だったかなど思い出せないだろう。未来永劫、死を迎えた後でさえも」

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