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大魔女レオンティーナの愉快で滑稽な旅路  作者: 智慧砂猫


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第48話「心を支えるもの」

 下準備はあっという間に進んだ。エルザが上手くできない事も、後にヴィルヘルミナがどうやるのかを簡単に説明しながら手早く済ませていった。


 オーブンの火加減を調節して焼けるのを眺める。良い匂いが部屋にふわりと広がっていくのを感じて、エルザも段々と楽しみになってきた。


「すごいですね、ヴィルヘルミナは」


「ヴィルでいいわよ。友達なんだからさ」


「……はい、ヴィル」


 優しさに仄かな笑みがこぼれた。


「ヴィルは料理も出来て、子爵令嬢ではなくご自身としての夢や希望、それに自信に満ち溢れているのが、すごく羨ましいです。私は……私はいつでも目の前の嫌な事から目を逸らして、全部自分のせいだって逃げてきましたから」


 戦おうとはしなかった。剣を取る勇気はなかった。今、やっと誰かの支えで剣の握り方を知った。だがヴィルヘルミナは違う。最初から勇気を持ち、雨のように降り注ぐ矢とも言える否定的な人々の重圧を払い除けて戦った。自分は屈しないと力強く地に足をつけて吼えた。エルザとは真逆だった。


「あなたのように生きられたら、幸せだなって思うんです」


「……そう? アタシは全部これからだと思うわ」


 ミトンを手に嵌めて、オーブンの様子を窺いながら。


「人ってね、そう簡単に前に進めるものじゃないの。どんなに強い人でも怖い事があって、前に進むのを躊躇うときがあるわ。そして立ち止まってしまうの。その時間ってみんなそれぞれ違って、歩きだしても距離だってバラバラ。三歩進んでやっとの人もいれば、何千歩と歩いてまた長い事立ち止まる人もいる」


 できあがったとオーブンから取り出した魚と野菜をプレートごと濡れ布巾の上に置く。ジュウジュウと音がして、彼女は仕上がりに満足そうに。


「料理だって似たようなものかもね。さっと軽く焼いたり、じっくり煮込んだり。それぞれ調理方法が違って、味わいも食感も違う。だから自分が逃げたなんて思わないでいいわよ。あなたなりに立って歩けたならそれでいいじゃない」


 エルザの事は知らなくとも、その瞳に映るものがあまりに深い悲しみに満ちていたのをヴィルヘルミナは見抜いた。だからレオンティーナが彼女を連れているのだと思ってしまうほどに。


 どんなに窮屈な世界を生きたのかは分からない。ただ、息の仕方ひとつ自分で学ばなければいけないような苦痛が、笑顔の向こう側に深い傷として残っている。なんと哀れな生き方を強いられてきたのだろう、と。


「ま、さっきも言ったけど全部これからよ。あなたがこれまでどんなにつらい経験を重ねてきたかなんて聞かないわ。でもレオンティーナがいるなら絶対に大丈夫。どんな人間にも幸せになる権利があるって、あの人が証明してくれる」


 レオンティーナ・ウィザーマンという人間が積み重ねてきた大きな経験が、エルザを助けてくれる。傷ついた心を癒してくれる。それは決して魔法にかかったからではなく、魔女の生き方に由来する温かさに触れていくからだ。


 普段は酒を飲むのが好きで、どんな事でも自由気侭にしているふうな魔女であっても、本当に困っている人間には手を差し伸べてくれる。希望となってくれる。だからヴィルヘルミナはレオンティーナが好きだった。


 聖人ではない。だが善人だとは言えた。


『いいかね、お嬢さん。お前の人生がたとえ苦悩に満ちようとも、お前自身が味方であれ。忘れるな、お前の人生は他の誰でもないお前のものだと。……ああ、余計な事を言った気はするが、ここはひとつ秘密で頼むよ』


 天真爛漫で我侭なクールグラスの末っ子でも、苦しんで立ち止まった事はある。小さいときに、たまさか見掛けた料理人の姿がかっこよく見えて、それから目指すようになった。だが周囲には馬鹿にされた。鼻で笑って『あれは我々の仕事ではない』と見下したとき、胸が締め付けられるような気分だった。


 あんなにも彼らは美しく尊いのに、なぜ否定するのか。『お前には必要のないものだ』とすべての人間に言われてきた。厨房に行けば専属の料理人に会える。もちろんクールグラス子爵も納得の腕前だ、讃えもした。それでもナイフを握り、鍋を振って汗を掻くのは令嬢の仕事ではないと料理人でさえ──おそらくはヴィルヘルミナが女の子らしくあれるよう気を遣って──やめるよう勧めて来た。


 だからやめるべきなのかと本気で悩んだ。そんなある日に、たまさか屋敷へ訪れたレオンティーナと出会い、彼女は相手が魔女であるなら、ぜひとも相談に乗ってほしいと声を掛けた。


 小さい女の子が真剣な顔をするので、魔女も耳を傾けてくれた。そして『ひとつアドバイスでも。お前がどう受け取るかまでは責任を取らないが』と、小さな頭を優しく撫でてくれた事が、今でも支えになっている。


「だから安心して身を委ねなさい。今は黙って、彼女についていけばいい。そのうちあなたらしい答えを見つけるはずだから」


「……そうかもしれませんね。ありがとうございます、ヴィル」


 前に進むのは難しい。エルザも気丈に振舞ってはいたが、胸の中にある全ての不安が取り除かれたわけではなかった。だから、ヴィルヘルミナの言葉を受け止めると、何かまたひとつスッと消えた気がした。


「よし、良い顔になったわね。じゃあレオンティーナを呼んできてちょうだい。せっかくの料理が冷めてしまわないうちに食べましょ!」

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