第36話「大事にしてやって」
分厚いステーキを丁寧に切り分け、ひと口ずつ放り込んで味わう。相変わらずの美味さだと思いながら、手を伸ばす先にあるグラスに入っているのが水ではなくぶどう酒だったのなら最高なのに、とがっかりする。
とはいえ、最近はよく飲んでいたので、それほどの欲求は湧かなかった。素朴ではあるが水の味も納得がいく。たまには悪くない、と。
ほどなく食事を終えて満足したら、食器は重ねてテーブルの隅に寄せておく。椅子から立って満足そうにレオンティーナはエルザに手を差し出す。
「行こうか」
手を取って立ちあがったエルザが静かに頷いた。
村は静かなものだ。ときどきすれ違う村人に挨拶をしながら、まず最初に向かったのが村で一番の大きな家を持つアネルマという老婆のところだ。
庭に面した大きな窓を全開して、ロッキングチェアに腰掛けた神経質そうな細身の老婆が、レオンティーナを見つけると嬉しそうに笑った。
「あらあら、こりゃあレオンティーナ。村に来てるとは聞いたけど、うちに訪ねて来るなんて。酒の無心にでも来たかい?」
「俺をそうやって侮辱できるのもお前くらいだよ、アネルマ」
言いながらも笑い合う姿は、仲の良さが窺える。
「というより、年老いたくせに酒の飲む量は変わらないようだ。随分と死に急いでいるんじゃないのか?」
「他にやる事もないのよ。アタシも足腰悪くなっちまってサ」
手に握った酒瓶は三分の二を飲んだ後だ。朝起きて、ふらふらと棚から取り出した酒瓶片手に椅子に座って一日の殆どを過ごす。貴族ではないが資産家であるアネルマは、定期的にランロットの商館から食料や酒を運んでもらっていた。
「それで。あんたの隣にいるのは誰だい、可愛いわね」
「エルザ・ローズ。俺の旅に同行してくれている友人だよ」
「ふうん、お友達かい。どれ、こっちへ来てみな」
言われるがままに傍へ寄ってみると、アネルマがじろじろと見てから。
「こりゃイイ子だねえ。エステルも中々だったけど、こっちの方があんたには向いてそうじゃないかね? 大人しそうだが、芯のある雰囲気だ」
うんうんと納得して頻りに頷く。アネルマは人を見る目があるので、きっとこれからも大変な事はあるだろうが、と前置きしてから言った。
「魔女との繋がりは大事にしなね、エルザちゃん。こいつは性悪に見えるが、本当は優しいんだ。図々しい事さえしなきゃあ、大切に扱ってくれる」
「……はい。私もそう思います、とてもお優しい方だと」
最初は怖かった。山羊の頭骨を模った首飾りからは彼女が聖職者でない、どちらかと言えば異端のような存在であると理解できたし、初めて出会ったときの妖艶で近寄りがたい雰囲気は、やはり彼女が恐ろしい魔女なのだと思わされた。
時間を共にすればするほど、その印象は深い海の中へ沈んでいくように消えていった。今の彼女の印象は恐ろしい大魔女などではなく、レオンティーナ・ウィザーマンという自由気侭な一人の女性だ。
「先に言っておくが、おいそれと俺の印象を勝手に良いものと広めるんじゃないぞ。また面倒な連中共が目を付けて頼み事をしにきたり、鬱陶しい聖職者連中が俺に口煩く説教を垂れようとしてくるんだから」
教会の人々は誰も魔女に対して否定的ではない。ただ、彼女が誰かの願いを叶える事を生業にしているときだけ良い顔をしなかった。それは神からの賜りものであり、人々に無償で与えるべき奇跡なのだと言って。
「まあまあ、この村じゃ良いじゃないのサ。みんなあんたの事が好きなのよ、レオンティーナ。ここには恩のある奴しか暮らしてないからねえ」
「売った覚えはない。俺も泊まるのに熊に出られたら面倒だろ」
村ではときどき、なんの躊躇も警戒もない若い熊が現れる事があるが、老獪な長生きの熊は近寄らない。リバーフォールはカムイの縄張りだ。熊の中でも体格が倍近い大きさのあるカムイに喧嘩を売ればどうなるか、本能で理解できる。
いくら若い無謀な熊だったとしても、年老いて感性が磨かれると自然と近寄らなくなるので対処も難しくなく、年寄りばかりのリバーフォールに限ってはレオンティーナを女神のようにさえ思う者もいた。
だが、彼女はただ自分が宿に泊まっていたときに熊が現れた事もあり、せっかく旅行のついでに買った馬が餌になっては堪らないと手を打っただけだ。
「でもアタシらにはありがたかったのサ。あんたのおかげで誰も怪我しないし、安い仕上がりの罠でも若い熊共には十分使えるからね。後は……そうねえ、玄関にある荷物を中に入れてもらえれば嬉しいんだけど」
レオンティーナは玄関先にあるいくつかの木箱を見てムッとする。
「俺たちを使おうと言うなら報酬は頂こうか」
「棚に上質な酒を仕入れてあるよ。後で飲もうと思ったけどくれてやる」
「乗った。ではすぐに取り掛かろう、まずは荷物を軽くしないと」
手に魔導書を持って木箱のところへ向かう。エルザも後を追おうとして、アネルマに「あんたはちょっとお待ちよ」と呼び止められた。
老婆心ながらに言いたい事があったのだ。
「どうかされましたか、アネルマさん」
「うん、まあ、大した話じゃないんだけどねえ」
ぎいぎい、とロッキングチェアが揺れる。
「本当にレオンティーナを大事にしてやって。あいつは、ああで結構な寂しがり屋なんだ。友達も随分減っちまって、アタシらも老い先短い。アタシの旦那が死んだときも寂しそうに独りで泣いてくれた奴だ、あんたが傍にいてやってね」




