第35話「酒もつまみもないけれど」
魔女を前に退屈をさせないと言うには、エルザは若すぎる。あまりにモノを知らないし、これからやっと学んでいけるだけの時間を得たばかりだ。連れ歩く分には面白いが、彼女から何かを得られるとは思わなかった。
一階へ降りてバシリオに適当な料理を頼み、古ぼけた椅子に腰かけてテーブルに頬杖を突く。窓の外に見える草木の生い茂った田舎道を眺めた。
「酒もつまみもないのは些か楽しくないな……」
「バシリオさんに注文しなかったんですか?」
「酒を置かないんだよ。色々あってね」
なにせ酷いものだった。中継地として宿泊客がやってくるリバーフォールでは、庶民や商人だけでなく、ときどき貴族も訪れた。もちろん最初こそバシリオも酒は置いていたし、彼自身も飲むくらい好きだったが、そのせいで客と取っ組み合いになったのが切っ掛けで自省の意味も込めて酒を置かなくなった。
聞けば元々はとある貴族が、酷く酔っぱらって声を荒げ、彼を罵った事から喧嘩が始まってしまったのだ。言い争いから取っ組み合いに発展して、どう考えても相手の方が悪かったのだが、爵位を持つ人間に庶民がいくら正論を叩きつけようと、簡単に捻じ伏せられてしまうのが現実だ。
そうしてバシリオは、その客から宿泊の代金を受け取る事もできなかったどころか服の修繕費を要求される羽目になり、高い授業料だったと思って諦めて支払った。でなければ宿が潰されてしまいかねなかったから。
「……ひどい話ですね。貴族って普通はそういうものなんでしょうか」
「お前の方が知ってるだろう。そういう輩が基本なのさ」
先に出された水で口を潤しながら、レオンティーナは饒舌になった。
「奴らはいつだって弱者から搾取して生きている。それを理解していて、どう接するかを決めるのも奴らだからタチが悪い。偉そうにふんぞり返って用意された椅子に座ってやるのが正しい貴族の在り方だとね」
貴族と繋がりを持つものの貴族が嫌いなレオンティーナは、彼らを馬鹿にするときは特に気分良さそうに話す。魔女を恐れながら、魔女を崇拝する愚かな人間。自分たちの都合良い生き方だけを選ぼうとする卑怯者たちだと嗤って。
そうでない貴族がいる事は百も承知。彼女が特に繋がりを持つのは、そういった人物であると判断したときだけ。今回で言えばランロットのバーレケン子爵家が、かつては興味も持たなかったが、ヨハネスの性格の変わりぶりに手を貸してもいいと思うくらいには周囲に関係を示すようになった。
「おいおい、また古い話してるじゃねえか」
うんざりだと言いたげな苦い顔つきで料理を運んできたバシリオが、大きなため息を吐く。最も思い出したくない、嫌な記憶だ。
「ありゃ本当にツイてなかった。皇都にいるオーブリー男爵って知ってるか? 香水とかいう洒落たもんをよその国から輸入してきて、結構な財を築いてるらしいが、そんな奴に手を出しちまったのが運の尽きってヤツでねえ」
エルザも聞いた事があるオーブリー男爵は、庶民を見下す貴族たちの中では、まだマシな方だが、酒癖が悪いとうわさがあって本人も自覚しているのかパーティでも酒はあまり飲まないようにしている。だが、庶民の宿であればそれも関係ない。いくら飲んで騒いで相手が迷惑を被ろうが、捻じ伏せるだけの権力があった。
「ま、俺も良い教訓になったもんだぜ。おかげで酒を仕入れるのをやめたんだが、その分ランロットまで足を延ばす必要もなくなったんで時間にも余裕が出来た。……にしても、二十年前の話なんかしやがって、お前は!」
気に入らない視線にレオンティーナはからから笑う。
「俺にとっては先週くらいに思える話さ。別に困らないだろう」
「そりゃそうだが。じゃあ他に必要なもんがありゃ言えよ」
「ああ、ありがとう。酒があると嬉しい」
「俺も飲みたいくらいだよ。アネルマの婆さんに貰ってくるか?」
「あとで会いに行くよ。エルザが散歩をしたがってるから」
ちらっとバシリオが不思議そうにエルザを見る。
「……ふうん? 田舎すぎてなんもねえぞ?」
「私は皇都から出た事がなかったので、ゆっくり歩いてみたくて」
「あぁ、都会っ子か。そりゃ田舎の風景は新鮮だわな」
どうせすぐに飽きるだろうけど、とバシリオは笑ってカウンターへ戻っていった。実際その通りなのだ。レオンティーナも「年寄りが庭先でコーヒーを飲んでいる姿が観光の目玉だな」と冗談を飛ばす。それを聞いても、エルザは楽しみだとウキウキした様子でポテトサラダをもぐもぐと食べて頬を緩ませた。
「ま、お前が楽しいのなら俺も満足だよ」
「ふふふ。すごく楽しみです!」
「口にものを入れたまま喋るのは行儀が悪いぞ」
言われると、ハッとして顔を赤くしながらごくっと呑み込んだ。
「えへへ……、すみません。つい興奮してしまって」
「喉に詰まらせたら大変だから、ゆっくり食べなさい」
ステーキを切り分けながら、くすくすとレオンティーナが笑う。
「食べ終わったら、ゆっくり歩こう。きっと良い思い出になる」




