第32話「田舎暮らしは好きじゃないが」
馬車はやがて森を進み、雨の降った後の悪路を馬が駆け、蹄と車輪が泥をはねた。服の裾が汚れるのを嫌そうにしながら我慢して進んだ先には、手製の木彫り看板が『この先、リバーフォール』と書かれて、ぼろっちく佇んでいる。
「もうそろそろ着くから、毛布は丸めて端にでも置いておけ」
「はい。それにしても随分と深い森の中にあるんですね」
草木の並ぶ道を進む光景が続く。とても他の町の中継地があるとは思えないような場所にリバーフォールはあるが、きちんと村の先に道が続いているのだとレオンティーナは言った。過去に何度も彼女が通った道だ。
「俺も不思議に思ったことがあるよ。こんな場所に村を作ろうなんて言い出した奴と、それに賛同した奴らは何が良かったのかとね」
いくら泊まってみても、疑問が解消される事はなかった。今暮らしている人々は『昔からここにいるから』という理由で離れないだけで、村ができあがった頃の事を知る人間は、もうどこにもいない。
「いつも来るたびに思うんだが、こういう田舎は何が良いのか俺には分からない。昼間はともかく、夜になると灯りに誘われてうんざりするほど虫が寄って来るし、どこかから獣の足音だの鳴き声だのが聞こえてきて不快だ。たまに家畜を狙って現れるから、タイミングが悪いと村人の怒号や家畜の悲鳴で起こされる。まったく疲れが取れないなんて事もあって、俺もあまり好きな場所ではない。自然の景色や澄んだ空気は良いものだと褒めてやる事はできるんだが」
生活するにはあまりに不便だと彼女は不愉快そうに眉間にしわを寄せた。
「自然と共に暮らすのを否定するわけじゃないが俺には無理だね。酒がなければ退屈だし、つまみがなければ口寂しい。町の暮らしの方が向いてる」
「でも邸宅は森の中腹くらいにありましたよね?」
エルザに尋ねられてレオンティーナが首を横に振る。
「俺が面倒な事は全てエステルに任せていたし、あの森は小さい。それに皇都からもランロットからも近いから、暇だと思えば遊びに出かけられた。……いつでも行けると思うと、なぜだか途端に出不精になるがね!」
最初はどこへでも行きたかった。行きたがった。だが十年経って存分に楽しみ、百年経って興味が失せ、飽きたら次の場所へ移るのを繰り返してきた。
魔女というしがらみにつき纏われ、信仰心を胸に宿す人々からは後ろ指をさされながら生きて、退屈したりしなかったりする日々。それで満足だった。
レオンティーナ・ウィザーマンの価値など、その程度で十分。毎日のように美味しい料理を食べて、毎日のように浴びるほど上質な酒を呑んで。よく出来た従者を傍に置いて穏やかに過ごす。
趣味の読書は、ときどき新しい本を買うくらいで、多くの場合は魔導書を眺めた。何度読み返してもぼろぼろになる事のない不思議な本。書かれている事の全てを魔女になった瞬間から理解して、そのうえで新しい魔法も考えた。
とはいっても日常的な生活に役立つものばかりだ。誰かのために役立てたいとか、世の中に貢献すべきだとは微塵も思った事がない。過去の魔女がどうであったかにも興味はないし、知ろうともしなかった。
そうやって過ごしているうち、あまり外に出る必要がなくなってきて、面倒な事はとりあえずエステルに押し付けておけばいい、と毎日を遊んで過ごした。契約をしていなければ、あと十年はいても良かったと彼女は笑う。
「まあ、なんにしても森の暮らしが不便なのは事実だ。家畜を飼ってる連中に至っては眠ってるときさえ気が休まらなさそうだと思わないか?」
「私もそう思います。ちょっと楽しそうだなって感じなくもないですけど」
ありえない、とレオンティーナが天を仰ぐ。とはいえ。
「……うん、お前のしてきた苦労に比べればよほど楽かもな」
気が休まるどころか永遠に休む事になりそうだったなどと黒い冗談を胸に秘めつつ、馬車はリバーフォールへ到着する。ぽつりぽつりとある家々は年季が入っていて、宿は村をもう少し進んだ先にある。
見慣れてはいるが久しぶりの顔に、村人たちは嬉しそうな顔をして口々に「レオンティーナ、いらっしゃい」とか「よく来たね、旅行かい?」と声を掛けた。その度に彼女は律儀に馬車を停めては言葉を交わす。
「歳を食ってはいるが、案外元気なものだな」
話してばかりに疲れて愚痴をこぼすと、老人たちは顔を見合わせてから「そりゃそうだ」と大笑いをしてみせる。誰が百まで生きるかと毎日のように話すくらいには、全員が元気だと彼らは楽し気に言う。
すると、レオンティーナも負けず「俺より長生きしてくれる奴がいると良いんだが」と冗談を飛ばしてさらに笑いを誘った。ランロットの酒場であった男たちよりずっと長い付き合いなので、彼らとはとても仲が良かった。
「ところで、宿に泊まりたいんだがバシリオは元気にしてるか?」
「あのジジイは俺たちより元気だもんで。今日は客もいねえで暇してたぞ」
「そうか、ありがとう。では会いに行ってくるよ」
老人たちと別れて馬車は再びゆっくり歩きだす。
「楽しそうでしたね、レオン」
そう言われて彼女は少しだけ誇らしげに────。
「良い歳の取り方をした、良い友人たちだからな」




