第22話「怖くない」
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翌日、夕刻までレオンティーナはエルザを連れ回してランロットでの観光を楽しんだ。皇都に近いとはいえ規模の小さな町は往来も少なく、繁盛している店でも並ばずに足を運ぶ事ができた。
「美味しそうなケーキがたくさん買えましたね!」
嬉しそうにエルザが箱を大事に抱えている。
「人気店とは聞いていたから、まだ残っていてよかった。俺とした事が完全に失念していたんで、もしかしたら買えないかもとは覚悟していたんだが」
記憶の片隅にはあったが、長く足を運んでいなかったので、連れ回す順番を間違えたかと自身の記憶力の悪さにがっかりしつつも、ランロットの田舎具合に救われたのを安堵した。
実際、売り切れているのが当たり前だ。たまさか運よく色々とまだ残っていたに過ぎず、きっとエルザの幸運のおかげだろうと彼女は言った。
「食べるのがとても楽しみです。どこかでコーヒーを買いますか?」
「いや、酒場に戻ろう。マーティにも分けてやりたいんだ」
「それはいいですね。とてもお世話になりましたから」
「アイツは忙しくて、差し入れでもしてやらないと機会もない」
酒場は観光客だけでなく町に暮らす人々の憩いの場。その日の疲れを癒せる場所として人気だ。特にマーティの経営する酒場は料理が美味いと評判で、商会とも強い繋がりを持つために上質な食材が入りやすい。
おかげで客足は朝から晩まで絶える事なく、席数を少なくしてはみたものの殆ど効果がなかったのか、多忙を極めている。なので終業時の煙草くらいが楽しみだと言うマーティに、たまには糖分も良いだろうと気を遣った。
「それにしても、すっかり日が暮れてきましたね。楽しい事をしていると時間があっという間に過ぎていくので、なんだか少し寂しい気持ちです」
「お前がそう思えたのなら俺も嬉しいよ。連れ回した甲斐がある」
散々連れ回して『大した事はなかった』と言われようものなら、怒るよりはがっかりしただろう。計画を練っていたわけではないが、レオンティーナは自分なりに勧められそうな場所を手当たり次第に回ったのだから。
「そういえば、皇都とは逆方向ですよね。次はどの町へ行くんですか?」
「リバーフォールという村に立ち寄る。そこに友人が暮らしていてね」
まったく聞いた事のない土地の名。皇都から出た経験が殆どないエルザには、村と聞くだけで新鮮だ。田園風景が広がるのか、はたまた家々がぽつりとある集落的な場所か。どちらにしても期待に胸が高鳴った。
「村と言っても少し独特な立地なんだ。森に囲まれて自然と共に暮らす人たちの暮らす場所で、ランロットからも近い。観光する場所はなくて、次の町までの中継地によく使われてる。おかげで宿代は少し値が張るがね」
十分に金は持っているので問題ないと言いながら、からから笑う。
「おや、これは大魔女殿。ご機嫌麗しゅう」
隣に突然やってきた馬車が停まり、窓から顔を出す男が一人。口ひげを蓄えた白髪の貴族。レオンティーナがさっとエルザを自分の後ろに下がらせた。
「バルデューベル伯爵。俺に何か用でもあるのか」
「いえいえ、ただお見かけしたものですから。これからどちらへ?」
「観光が済んだので酒場へ戻るところだが」
「でしたらお送り致しましょう。ちょうど席も空いていて」
話したい事がありそうに見えても、レオンティーナは取り合わない。
「いや、結構。歩くのが好きでね」
「そう仰らずに。実は大魔女殿と話したい事が……」
「お前はいったい俺のなんなんだ?」
ぎろりと睨まれて言葉が詰まった。ゾッとして背筋が凍りつき、冷や汗が噴き出す。魔女は呪うように彼を見つめながら、山羊の頭骨を模った首飾りを指で摘まんでやんわりとさすって────。
「お前と俺は仲の良い友人か、それともビジネスパートナーか。話をする相手が欲しいのならサロンか、もしくは商会にでも行けばいい。無価値な人間の無価値な提案で俺の貴重な時間を奪ってくれるなよ、心底不愉快だ」
軽くこつんと車輪を蹴ると馬が突然走りだす。御者の制御も利かず、彼らはどこかを目指すかのように急ぐ。何かを言いかけた伯爵の言葉は遠く掠れて消えていき、あっという間に小さな豆粒ほどに見える距離だ。
「はっ、いい気味だ。伯爵の青ざめた顔が浮かんでくるよ」
「……強いですね、レオンは」
「当然。これで分かっただろう? 俺と伯爵、どちらが恐ろしいか」
バルデューベル伯であり、エルザの父親であるレイモンドは彼女を酷く痛めつけてきた者の一人だ。これまではとても恐ろしく、目が合っただけで声を失って全身を震わせながら怯えるしかなかった。
いつも見下してきた眼差しを覚えている。振るわれた手の大きさを知っている。いくつもの罵声が脳裏に刻まれている。だが、それでも。
「なんだか、レオンと一緒にいると私も強くなった気がします。あなたが手を繋いでいてくれたおかげで、お父様の事がちっとも怖くありませんでした」
あれほど恐ろしかったのに、とエルザが嬉しそうな顔をするのを微笑ましく見つめて「そうだろう?」と優しく頭を撫でてから歩きだす。
後ろ手に組んだ姿を追いかけ、エルザが横に並んだ。
「ありがとうございます、レオン」
「なに、そういう契約だ」




