第15話「友人の紹介を」
こんこんこん、と扉が叩かれる。
「失礼します。こちらに魔女様がいらっしゃると聞いたのですが」
顔を覗かせたのは美しい金色の髪を腰まで伸ばした翡翠の色を持つ瞳の女性。凛々しい顔立ちが、レオンティーナを見て笑顔を映す。
「まあ! 本当に来てくれたのね、レオンティーナ!」
「おお、やはりお前だったか。久しぶりだな、シャナ」
ソファに腰掛けるレオンティーナに思わず抱き着いたシャナが、子供のように緩い笑顔で「結婚祝いに来てくれたのね」と喜びに満ちた。
「お二人はお知り合いなんですか?」
「ム、せっかくだから俺から紹介しておこうか」
隣にシャナを座らせて、手で指す。
「こいつはシャナ・ブランシュ。この町じゃちょっと有名な気の強い女でね。酒場で働いていたんだが、まさかヨハネスと結婚するとは」
高嶺の花とも言われるほどシャナは人気があり、誰にも靡かなかった。生涯を独身で過ごしても良いと本人が言うほどだったので、プロポーズをして砕け散った男たちの数の多さたるや、両手ではまるで足りないとレオンティーナは笑う。
「だって、想像していたよりずっと諦めが悪くて。ほら、あの人って貴族でしょ。いつも私たち庶民を見下してた人と付き合うなんて無理って思ってたんだけど、想像より真面目な人だったから、ちょっと惹かれちゃって」
くすっと笑う表情は少し照れていて、幸せに満ちている。
「良い事じゃないか。ヨハネスもすっかり人が変わったみたいで驚いたよ。……さて、ひとまず紹介に戻っても良いかな?」
「あ……はは、ごめん。どうぞ、彼女の事を教えて」
相変わらず勢いのある娘だとくすくす笑いながら────。
「こちらはエルザ・ローズ。俺と旅をする事になった。ちょっと臆病ではあるが、色々と事情のある奴でね。優しい子だから仲良くしてやってくれ」
見れば分かるとでも言いたげにシャナはひとつ頷いた。
「よろしくね、エルザ。自分の家だと思ってゆっくりしていって」
「ありがとうございます、シャナ様」
「呼び捨てで良いわ。そんなふうに呼ばれるの、慣れてないのよ」
子爵家に嫁いだばかりで庶民の感覚は抜けていない。いや、どちらかと言えば抜くつもりもない。ヨハネスの前では他の貴族たちに恥じない振舞いを心掛けるが、プライベートな空間までは持ち込みたくなかった。
もちろんヨハネスもそれを良しとしている。彼女が庶民であったからこそ変わるきっかけになったのだ。初心を忘れない、そうあるために。
「ではシャナ。これからよろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ。友達が増えて嬉しいわ」
はあ~っ、とソファにもたれてシャナは疲れた顔をする。
「でもレオンティーナが旅をするって事は、そう簡単には会えないのよね……。子爵家に嫁いだ以上はこれまでみたいに気軽に遊べないでしょうから残念だわ。ヨハネスは良い人だけど、他の貴族との付き合いなんて遠慮したいくらい」
子爵家はこれから庶民派として慕われるだろう。それは分かる。収入の少ない酒場の住人とも言える男たちの信頼を勝ち得たのだから。
ヨハネスが人々から愛される男であればあるほどシャナも信じられたし、彼の事を愛する事ができる。だが、他の貴族は別だ。誰一人として庶民派と呼ばれるような人間などいない。仲良くできようものか、とがっくり肩を落とす。
「きっと馬鹿にされるわ。私は庶民出身だし、ヨハネスも『きっと苦労を掛けてしまうと思う』ってハッキリ言ったもの」
「それでも結婚したんだろう? 良いじゃないか、愛さえあれば」
くっくっ、と笑って甘ったるい紅茶で口を潤す。
「まあ、とはいえ愛なんぞで買える信頼は関係ない人間には無価値でしかない。興味のない人間には高価な宝石が道端の石ころと大差なく思うのと変わらん。これからの苦労を思うと、……くくっ、いやはや、哀れでならない」
冗談じゃないとジト目を向けられて、なおさらに笑いが出そうになった。だが真剣に友人の事を想っているところもあり、レオンティーナは「悪かったよ」とシャナの肩を叩きながら────。
「困ったら俺の名前を出せばいい。いくら貴族共が地位をひけらかして自慢話に興じたところで、触れてはならないものに触れるほど馬鹿でもない。もしそれで足りなければ、こいつを見せてやればいい」
指を鳴らすと、いつの間にかシャナの膝の上に黒猫が寝ている。
「まあ。この子はなに、レオンティーナ?」
「私も気になります。もしかして使い魔というアレですか?」
興味津々な二人にレオンティーナはゆっくり深く頷く。
「使い魔というより長年の付き合いがある友人だ。少々意地の悪い猫ではあるが、俺が認めた相手には敬意を払ってくれる良い奴だよ、安心したまえ」
そっと手を伸ばすと、ぱちっと黒猫が目を見開いて爪を立てずに叩き落す。それから毛繕いを始めて大あくびをした後に、主人を見つめて────。
『なんだ、あんたか。手癖で叩いちまって悪いね、長く寝ていたもんで飼い主の臭いも忘れちまってたよ。あまりに酒臭いからすぐ気付いたけどね』
叩かれた手をさすりながら、レオンティーナはニコニコ笑って返す。
「主人に対する口の利き方をそろそろ覚えたまえよ、ジャック。毛皮のマフラーにでもなりたいのなら、いつでも腕のいい職人を紹介してあげよう」