第12話「惚気話」
参加するだけでいいというのだから、別にレオンティーナは飾り物で構わない。それ以上の事を要求されてもいなければ規制も受けていないし、切り捨てるかどうかを選ぶのはいち貴族である子爵ではなく、貴族全体に根付きながら枠組みの外側にいる彼女の方だ。文句があれば別に帰るだけだし、金を稼ぐだけなら他の誰でも構わない。どんな立場にあれ、魔女に頼りたい人間はいくらでもいる。
だから、もしもエルザを蔑ろにする者があれば、いくら子爵家の依頼を請けてそこにいるのだとしても、彼女は徹底的に相手を叩きのめす。その強く砕けないであろう意志は隣に立つエルザを深い安心へ誘った。
「着いたぞ。案外にも近いものだ」
「本当だ、十分くらい歩きましたか?」
「多分それくらいは歩いたかもな」
子爵家など数えるほどしか訪れていないので、会話を交わして歩いていれば、いつの間にか到着していた。門扉の前でいかにもな立派な服を着た男が衛兵と話している途中でレオンティーナを横目に見つけて、顔を綻ばせた。
「これはこれは、レオンティーナ様!」
「やあ、ヨハネス。元気そうでなにより」
「元気も元気ですとも。まさか今夜のパーティに?」
「そのつもりでね。どうだ、栄養剤にはなりそうかな」
「十分に根を張れそうです。ですが本当に来て頂けるとは」
「ま、そうだろう。お前たちには興味がないから」
正直なところを言えばヨハネスも期待はしていなかった。半ば『来てもらえれば』くらいに考えての招待状。応じてもらえる可能性はかなり低かったので、実際に目の前に現れたのを見たときは胸が躍った。
「こほん……。とにかくこうしてレオンティーナ様に足を運んで頂けたのはなにより光栄な事です。皇帝陛下とどちらがとは言えませんが」
「冗談が好きだよ。ところで連れも構わないかな、新しく雇った侍女でね」
エルザが紹介を受けてスカートの裾を持ち上げて深く頭を下げた。ヨハネスは『どこかの貴族の娘だろうか』と不思議そうに胸に手を当ててお辞儀を返す。
魔女が雇う侍女はこれまで貧しい出身の者ばかりだったので作法らしい作法を学んでおらず、魔女がその都度に教えていくのが当たり前だ。少なくとも、彼女の前にレオンティーナが連れてきたエステルという侍女はそうであったので、ヨハネスには珍しさでいっぱいだった。
「お名前だけお伺いしてもよろしいですか、レディ?」
「エルザ。エルザ・ローズと申します、子爵様」
「ありがとうございます。ではご案内しますので、どうぞ」
手入れの行き届いた前庭。庭師たちが真面目な顔をして働いている姿を見るに、毎日欠かさず、ヨハネスの期待に沿った仕事ぶりなのだろうと察せた。
「パーティはもう少し時間が空きますので、しばらく紅茶でも飲んでゆっくりしていてください。今日はどうされます、泊って行かれますか?」
「いや、『大鷲の水飲み場』に泊まってるんだ」
「あの大衆向けの酒場ですか。私もたまに顔を出しますよ」
「それは珍しいな。お前、庶民の遊びは嫌いじゃなかったか」
痛い所を突かれて、気まずそうに笑った。
「実は最近、結婚いたしまして。その相手が庶民の方でしてね」
ひと目惚れだった。商会との談話があり、その帰り道に馬車の中から見た女性があまりにも美しかったので『庶民であろうとも構うものか、子爵家としての振舞いさえ身に付けてもらえれば済む話だ』と結婚を申し込んだが玉砕。相手は簡単に靡いてくれる事はなく、幾度となくしつこくつき纏っているうちに『庶民の気持ちも分からない貴方に付き合う理由はありません』と言われて、また玉砕。
悩みに悩んで、庶民とは何か。庶民の暮らしとは如何なものか。そのために通ったのが人気だと言われている『大鷲の水飲み場』である。
「正直、最初は恥を知らずに堂々と入って、偉そうにふんぞり返ったものです。後ろ指を指されてコソコソ話すのを『庶民のくせに』と内心で腹を立てた事もありました。ですが、そうではなかった。我々が日頃当たり前のように使う馬車の車輪も、木を伐る者がいて、鉄を加工する者がいて、その裏にはもっと大勢の人々が関わっている。その仕事の全てが彼らで始まり、彼らで終わるのです。私には到底できもしない事を彼らはやっていたと思うと気が変わりましてね」
馬鹿馬鹿しい。庶民など自分とは立場が違う。そんな考えが高潔には、彼にはとても考えられなかった。彼らが汗水流して働き、酒場で飲んで騒ぐ毎日。愚痴をこぼしても、腹を立てても、牙を剥いたりもせず、ただ生きていくのに必要な事だと変わらない日々を生きていく。
ああ、自分は何を偉そうに。他の貴族たちの間に強い繋がりさえ持っていれば、自分が持つ権利を最大限活かして豊かに暮らしていける。そんな馬鹿な事を考えていたのが恥ずかしくなった。どうりで振り向いてもらえるはずなんかないのだと、そのときになってようやく分かった。
心を入れ替えたとしても、それを理解してもらえるまでには時間がかかる。人々の認識に触れて『自分は今までの自分ではない』と説明だけで納得してもらえるわけもなく、少しずつ行動に示そう。
その願いが、祈りが通じたのか、彼の態度の変化にようやく女性も話に耳を傾けるようになり、二年の時を経て、ついに結婚までに至ったのだ。
「最初は何度も鼻で笑われましたし、馬鹿にもされましたよ。貴族の道楽だなんて。でも足しげく通っているうちに少しずつ打ち解けました。私も忙しいので毎日は顔を出せないのが残念なくらいです」
「……ああ。お前の意識が変わりつつあるのは認めるが」
最後まで話を聞いて、レオンティーナはふんと呆れた息を吐く。
「話は中に入ってからでいいんじゃないか?」
玄関先までやってきて延々と話を聞かされるので、流石に疲れた顔をする。
「あ……。はは、すみません。では応接室へお連れしますので」