黒い森
「ゴトッ」と音を立てて、ゆっくりと馬車は動き出します。
「いよいよですね。大丈夫でしょうか?」とトリーは不安そうです。
「心配はいらないわ、予定通りに進みますよ」アンナは励まします。
「ええ、でも魔物や賊に襲われたら・・」トリーの不安は増していきます。
「そのための護衛です。任せていればいいんですよ」アンナは平然としています。
「そうですね、わたしもしっかりしないといけませんよね」トリーも気を取り直しました。
「トリーは、いつも通りで良いですよ」
サンディ、ベル、ノル達も前日までと違って緊張気味で、言葉も少なく馬車の中で座っています。
ケルンは弓を手に持ってまわりを見回しながら警戒を続けています。
しばらくすると、前を行く馬車の音が変わります。
道が悪くなり、ガタンガタンと大きく揺れるようになりました。
アンナは外を見て、険しい顔になります。
(これは思ったより厳しいかも、魔物はともかく、もしこの辺りを根城にする者たちがいると厄介ですね)
森はだんだんと深くなり、薄暗い道を2台の馬車は進んで行きます。
「ガタッ」「ズドーン」
馬車が大きく跳ねます
「きゃっ!」とベルが声を上げます。
「だいじょうぶよベル」とアンナは声を掛けます。
「はい」その声は元気なく小声です。
「ゆれるから気をつけて下さいね」トリーはしっかりしなければと思っています。
「はい」
「ドン」また、馬車は大きく跳ねます。
「きゃー」今度はサンディです。
「落ち着いてサンディ」とアンナ
「は、はい」
アンナは考えをまとめます。
(3聖女はまだ若いから、こういうのは慣れてないわね)
見た目はアンナと同じ年齢なのですが
王国の騎士団が、交通の安全のために定期的にパトロールをしているのですが、全ての場所を警備することは難しいのです。
以前よりは安全になってきてはいるのですが、やはりその様な者が暗躍しているとの噂はたえませんでした。
その時
<ピカッ>
突然の稲光と共に、雷鳴が轟きます。雨が来そうです。
「ひゃっ」ノルがその光と音に驚きます。
「静かにノル」とトリー
「は、はい」
トリーは年長でもあり、静かに座ってもう揺らぎません。
(トリーはだいぶん出来るようになってきましたね)とアンナは思っています。
(3人にも伝える時期がきているようですね)
(襲われるなら、絶好のタイミングね)
アンナは、そう考えると少し笑いがこみ上げてきました。
トリーは、そんなアンナの表情を見ていました。
(お嬢様、何を考えていらっしゃるのかしら?)その笑いにトリーは不思議がります。
少し微笑みながら
「トリー、大丈夫ですよ。安心してついて来て下さい。あなたには期待していますから」
「お嬢様、私は何をすればよろしいのですか?」
「もう少し立てばわかりますよ」
そうしていると前の馬車の方でクロノ司祭の声が聞こえます。
「前方の様子が何かおかしい」「襲撃があるかもしれません」
(やはりきましたか)
アンナは落ち着き払っています。
その前方の薄暗い闇の中、稲光の光の最中に、異様なうなり声が聞こえてきました。
「ぐるるるるるるる・・・・・・」
馬車の周りにもうなり声が聞こえ、闇の中で光る目が見え隠れしています。
「ガアアー」獣の吠え声です。
この魔物達は群れで行動し、獲物を追い詰めると、連携を取り攻撃してきます。
このあたりを縄張りとしていて、旅人などを襲っているのです。
護衛の人達は馬車の前で剣を構えて、魔物が近づかないように陣形を取り構えています。
後ろの馬車の天井の荷台の上にはケルンが弓を構えて、近づく魔物に矢を放とうと身構えています。
襲撃が始まりました。
魔物のスピードが非常に速く、連携を取って襲ってきていますので、護衛の人達も追い払うのが
やっとの状態です。
ケルンも護衛の人達が前にいますので、下手に矢を撃つこともできず、その矢も魔物のスピードが速いので、うまく当たりません。
クロノ司祭も長い棒をふるって戦っていますが、いかんせん戦いの経験はありません。
今回の同行者商人のルーツは、馬車の中で頭を抱えてただガタガタ震えており全く役に立ちません。
その戦いの中、少しずつ怪我をする人達が出始めてきています。
この状況をみてアンナは、ついに決意します。
「トリー、聖女の方々の助けが必要です」
「ハイ」
「聖女みんなで目を閉じ、わたしに祈りを捧げてください。お願いします」
「そしてわたしが止めるまで、何があってもそれだけを続けてください」「お願いします」
その声には拒否することなどできない力がこもっていました。
右前席にはサンディ、左前席にはベル、右後席にはノル、後席中央にはアンナ、そして左後席にはトリーが座っています。
ゆっくりとアンナはその席を立ち、馬車の右の扉を前にして真ん中にひざまづきます。
そしてその手には、なんと一本の矢が握られているのです。
アンナはその矢を両手で水平に持ち頭上におしいただきます。
そして その口より言葉が流れてきます。
「 मलम् अपसारयित्वा शुद्धं कुर्वन्तु 」
「 ईश्वरशक्त्या मां रक्ष सुखी कुरु 」
聞いたことも無い不思議な言葉です。
トリー達は祈りを中央のアンナに捧げます。
その4聖女が目を閉じて祈りを捧げると、その前に光輝があらわれるのがトリー達には見えました。
驚いて目を開けるとそこにはアンナしかいません。(なに!?)
びっくりしましたが、祈りをつづけるため目を閉じると、その光はさらに増光を始めるのです。
アンナはそれがわかるかのように、その矢を持ち馬車の天井にいるケルンに声をかけます。
「私をあなたの所に引き上げてください」
アンナは扉を開け左手をあげてケルンに声を掛けます。
ケルンは扉から上に伸ばされたアンナの左手を持ち、扉の窓を足場に一気に馬車の屋根に引き上げます。その右手には矢が握られているのです。
馬車の屋根の上には、ケルンとアンナ二人が立っています。
この見えない光はさらに増光し、馬車の天井を通り抜け天に立ち上っています。
その光の塔の中心にはアンナが立っているのです。
そしてアンナはケルンにその矢を差し出します。
「私が指し示す方向にこの矢を撃ってください。この魔物の本体がそこにあります」
アンナはケルンの弓に同じような不思議な言葉を掛けました。
アンナはすっと人差し指を前方の闇の中心を指さします。
「ここへ」
ケルンはその方向に、その矢をつがえ弓を思いっきり引きしぼり放ちます。
その矢はキュイイイイーーーーーーンと音を立てて飛び出します。
その音に前方の護衛の人達は驚いて一瞬たたずみます。
その矢は馬車の前方の黒い闇の中に吸い込まれていきます。
そしてその闇のなかから
「ぎゃーーーーーー」と撃たれた様な声が聞こえてきました。
その声と共に、馬車の周りで襲おうと動いて物達は、ピタリとその動きを止め、その闇の中に逃げ出して行くではありませんか
それと共に空を覆っていた雲が少しずつ切れはじめ、おおっていた闇を切り裂くように光が差し込んできます。
その光は馬車の上の2人 ケルンとアンナを照らすのです。
そして遠くから森の鳥の声も聞こえはじめてきました。
「おわりました」
ケルンはそう言うアンナの前に跪きます。もうそうするしかありません。
差し込まれた光の中心で、聖女アンナが神々しく圧倒的存在感で立っているのです。
そして今まで戦っていた人達は、その姿を目に焼き付けるかのように見あげています。
「もう大丈夫です。心配ありません。私を降ろしてください」
「ありがとう、あなたの力が役にたちました」
ケルンは立ち上がりアンナを支えながら下におろします。
「アンナ様」ケルンの言えるのはその言葉だけでした。
アンナは、その声を聞いて微笑みながら、馬車の中に乗り込みました。
「4聖女のみなさんありがとう、助かりました。ご苦労様です」
そう言って、アンナはトリー達の前に座ります。
「皆さん、今見たことは秘密ですよ」
そう言うとアンナは、いつもの笑顔に戻りました。
4人の聖女はいまおこった事に心奪われ誰一人として声がありません。
それを見て
「もう大丈夫です。さあみんな降りて負傷者の人を見ましょう」
とアンナは皆をうながしました。