ベアトリスへ
昨日のマルゴットとアンナの長い昔話の最後に
「戻られたのは、なぜなのですか」
(帰る必要があったからですよ)
それを聞くとマルゴットは、用意していた箱を指さします。
「これをおもちください」
それを見てアンナは
(マールにはわかっていたんですね)
「わたしは大聖女ですよ」と微笑むようにわらいます。
そのあと急に難しい顔になり
(これが必要と言うことは......)
「あなたが去られた後はつかうことはありませんでした」
「でも、もしかしてと思って残しておきました」
「あなたと私との思い出でしたから」
さて今日からは、ベアトリス聖女とキラ聖女に東地区が行なった方法を伝える日です。
北部アルク大公邸で待つベアトリス様には、昨日昇格したトリー聖女とベル聖女、
南部メーセン宰相邸で待つキラ様には、ノル聖女とサンディ聖女と
手分けして当たることになりました。
アンナは今日も離宮のマルゴット様のところに行きます。
2人の聖女はベアトリス聖女に会うために馬車にのり、アルク大公邸に向かいます。
また、今日の付き添いは護衛騎士の服を着たケルンが同乗しています。
「アルク邸へ行くのって気後れするわ そうでしょトリー」
と一緒にいくベルはどうも気がのりません。
「はい」とは答えましたが、言われたトリーも今までの見習いの服装ではなく、
初めての聖女服での仕事が着慣れないのか、どうも居心地悪そうな様子で、馬車に座っています。
しかし、見習い聖女の簡単なガウンから、正式の聖女服を着たトリーを初めて目の前にして、
同乗しているケルンはもう言葉がでません。
普通なら、軽い冗談くらい言うのですが、その聖女服を着るトリーに見とれるばかりで、声もでないのです。完全に位負けしています。
それを横目で見ていたベルは、(ははーん、そういうことね)と何か察したようです。
聖女の能力にはこころを見通す力があります。
ニコニコした顔をしてなにかをたくらみ始めたようです。
そういうなか、馬車はアルク大公邸に到着すると執事が玄関で到着を待っていました。
「よくお越しくださいました。先ほどよりベアトリス様がお待ちしております」
その声に導かれるように3人は馬車から降り
応接室に通されるとベアトリスが待ちかねた声で
「よくお越しくださいました。お待ちしておりました」
トリーは聖女としては昨日なったばかりです。ここは先輩聖女であるベルが先生として
引っ張らなきゃという事で、まずベルが話し始めます。
「では早速ですがご連絡しておりました様に、静かな部屋をご用意ください。そこで三人だけでの話となります。護衛騎士のケルンはここで待っていてください」
競技会という修羅場をくぐってきて、ベルの言葉には自信と自覚が出てきています。
ベアトリスの後ろには
前回ケルンと弓の試合をした騎士が控えていました。
「この騎士、名前はモードと申しますが同席をとの連絡がありましたので、控えさせております」
とベアトリス、続けて
「大公殿下も、ケルンさんの弓の技量に感銘をうけており、騎士団への推薦を行ないたいと言っております」
ここで聖女となったトリーから、
「色々とお手配ありがとうございます。アンナ様よりお伝えしたい事があり、詳しくはケルンが承っておりますのでモード騎士様と当方のケルンで、お話ください」
と申し出ました。
そういう事でここで、二人の騎士と三人の聖女は、別室に分かれることになりました。
三人の聖女は、執事に導かれて長い廊下を歩いていくと、その先には庭に面した
はなれの小さな部屋に案内されました。
「それでは、もし必要な事がありましたら、これでお呼び下さい」といって、案内した執事は壁のベルを指し示しました。そういって、三人を残して執事は一礼してこの部屋を退出していきます。
残された三人の聖女は、丸い小さなテーブル周りに座り、執事が出て行ったところでベルが話し始めました。
「ベアトリス様には出来ておられますから、言うまでのことはありませんが、まず心構えとしてこのように言われています」
「故意に生き物を殺さないように」
「与えられていないものを自分のものとしないように」
「不倫など道徳に外れた関係を持たないように」
「次は案外と難しいものでわたしでも出来ているとは思いませんが
そうならないようにはと思っております」
「嘘をつかないように」
「中身の無い言葉を話さないように」
「乱暴な言葉を使わないように」
「他人を仲違いさせるようなことを言わないように」
「つぎは自分でもついついやってしまう事です」
「激しい欲をいだかないように」
「激しい怒りをいだかないように」
「道理を無視した誤った考えを持たないように」
「良いことだと思いますし、こうあるべきと思います」とベアトリスはその通りと同意します。
「聖女の誓いと同じ物ですね」とも言います。
それを聞いていた先日聖女となったトリーも 同意するようにうなずきます。
ベルは続けて話します。
「いまから行うことは、これが無いと最後は自らを滅ぼし兼ねないからとアンナは言っています」
そのことばにベアトリスの顔に緊張が走りました。
ベルは続けて話します。
「まず気をつけてほしいのです」
「気をつけると言いますと???」不思議そうにベアトリスはそう言います。
ここでトリーが話をつなぎました。
「私が二週間程度で聖女にまでなれたのも、アンナ様から一番最初にこう言われたからなのです」
「さきほど言われた10の事に常に気がついているようにという事ですね」
とすかさずベアトリスは話しますが、それを遮るかのように
「はじめわたしもそう思いました。間違ってはいないのです。しかし」
とトリーは話すのです。
「しかしといいますと?」
怪訝そうにベアトリスは問うのです。
その問いにベルは
「それ以上の意味が含まれているのです」
「これ以上話してもわからないと思いますので、今からわたしが行う事で説明致します」
とその核心に向かって説明を始めました。
そういって、ベルは右の手を机の上に置いてあるカップの方に右手を伸ばして、そのカップを手に取りました。
「これが気をつけるという一例です」
「よくわかりませんが?ただ目の前のカップを取られただけでしょう」
とベアトリスは首をかしげながら、よくわからない、なにをしているのかという顔でベルを眺めるのです。
ベルは続けて話します。
「わたしは今このカップを取りましたが、その動作をずっと観ています。言ってみれば、右の手が膝から上がっている、右の手を伸ばしている。手の指がカップに当たっている、指を曲げてカップをつかんでいる。このようにです」
このベルの説明にエッと驚いたような顔をベアトリスするのです。
「ではベアトリス様やってみて下さい」とベルは指示しますので、ベアトリスは何かを言いながら自分の前のカップにゆっくりと手を伸ばしてつかみました。
そして一言、
「この動作をしゃべりながら行うのは大変ですわ」
その疑問の言葉に、ベルはその問いを予想したかのように
「なれていない初めの時は、自分の動作をハッキリさせる為に言葉を加えることは、必要かともおもいます」
「なれてくれば、この動作を観ているというか、感じていると言う事で十分と思います」
「非常に簡単な事ですね。だれでも出来そうですが?」
「そうでしょうか?簡単な事ですが、実は大変なはずなのです」
「そうですか?」まだベアトリスにはまだ納得いきません。
「体の動きをずっと観察しているということですが、このようにじっと座っているときはどうするのですか?」という質問をします。
「いまこのようにじっと座っているときも、実はいつも動いている部分があります」
とベルは答えるのです。
「動いている部分ですか?」
「そうです。呼吸はずっとされていますでしょう。鼻を通ってくる空気が感じられますでしょ。入ってくる息、出て行く息が連なりながら続いていることに気がつかれるでしょう」
「これも説明するより実際に行ってみましょう」
「まず姿勢です。背中を曲げないようにして、目は閉じましょうか、鼻先に番兵がいると思い、そこを出て行く息、入ってくる息が通り過ぎるのを番兵が観ているかのように感じて下さい」
「では一緒に始めて見ましょう」
三人は椅子に座ったままそのことを始めました。
ベルはベアトリスの姿を眺めています。
そうすると次第に息をする姿勢に動きが出るようになり、そして最後に目を開けて嘆息するのです。
「出来ませんね、追い切れません」
「何でこんなことをするのかという疑問や、もっと他の事がいろいろ心に浮かんできます」
「そのうちこれじゃあ行けないなど、次々と起こってくるのです」
ベアトリスは、難しいと言うベルの言葉がようやく理解出来たようです。
「そうです、これなんです。じつは簡単では無いんです」そう述べると
「これについて息を観ているとき、このように別の想いが出てきたら、それに気づいて想いから、息を観ている事に戻って下さい あ、考えているなと気がついてです」
「これが気がつくという事なんです」
「息を観る、邪魔が入ったと気づくとまた息に戻るを続けて下さい」
「邪魔が入っても良いんです。気にかけずにただ戻る事だけです」
「ではもう一度やってみましょう」
三人は再度座りながら、無言で言われたことを繰り返していきます。
しばらく時間がたち、ベルは手を叩き、
「では終わって下さい」
ベアトリスは早速
「難しい物ですね、静かに座っているときはわかりました。では動いている時などはどうすべきですか?」
それを聞いてベルからうながされるようにして、聖女となったトリーが話し始めます。
「歩いているときは、足の動き、足の裏に当たる地面を感じることを続けるんです。そう言われました」
「ではこの庭に出て試してみましょう」
ベルはそう言うと、ベアトリスを導きながら、三人の聖女は庭に出てきました。
そこで、ここでも姿勢を立て、目線を前方やや下に置きながら歩くようにベルは指導します。
三人がゆっくりと庭園を歩いてる姿が遠くから見ることができ、それを遠くから見ていた使用人達は、「お嬢様は何をされているのだろう?」
ただゆっくりと行ったり来たりの歩きを、ずっとしているだけの行動に、近づかないようにと命じられているので 話しかけることも出来ないのですが、その歩く姿を不思議に思ったようです。
それが終わり、三人が部屋に戻ると、ベルは最後の話を始めました。
「ここから核心になってくるのですが、問題なのは、邪魔をしているこの想いなのですが、実はこれをしているのはベアトリス様ではありません」
「え!!!そんな馬鹿な。この想いが私で無いならこの想いは何なんですか?」
「私たちの身体に、自分の本当の心に 想いを勝手に流し込んで来る機能が備わっているのです」
「この想いが本当の私であるという誤解が全ての始まりなのです」
「信じられません」
「そう思います。わたしも今もってそうです」
「しかしアンナからこう言われました」
「静かに呼吸を観ているとき邪魔な想いが表れます。それを静かにじっと観て下さい。なにもせずに、どうなるか」
「これも一緒にやってみましょう」
そう言われてベアトリスは目を閉じて、始めました。
しばらくして目をあけ
「想いは消えていきます。流れ去るように消えていきます。起こっても、起こっても、それをただ観ていると過ぎ去っていきます」
「そうなるはずです。アンナはこう言っています」
「想いは起こる、されど永遠にそこに留まり続けることは出来ない。全ては流れ去る物だから」
「起こる想いに、本当の私が力を与えなければ、そうなってしまうように出来ています」
そう言われました。
そして、またこうも言われました。
「その沸き起こる想いを、優しい目で観て下さい」と
「あたかも ちいさな子供を優しい目で見守る母親の様な視線で観てほしい」そう言っています。
「これもやってみましょう」
そう言ってベアトリスはまた呼吸をみはじめました。
しばらくしてそれを観ていたベルから
「どうなりましたか」という声がかかります。
「想いは消えていきます。それも前よりも早く、3倍くらい早く消えていきます」
「何も無いやさしい大きな海のような物の中に全て溶け込んでいくかのように、ゆったりとして、そして何かやさしい」
ベアトリスは気がつきます。それこそが聖女のあるべき物であることに気がつくのです。
続けてベルは話します。
「その何もないものは、今という瞬間に常にあります」
「過去の後悔の想いでもなく、未来の不安などの想いでもなく、あたかも今という安全地帯の様なものがあるのです」
「それはなにもないのですが、何もないものが有るとでもいうような変な言い方になるのですけど」
「からだがある限りこの想いからは、逃れられませんが、そこにできるだけ留まってほしいとも言っていました」
「今日はこれで終わりにしたいと思います。明日またお目にかかりますが、そのときまで寝るときを除いて、ずっとそれを行なってください」
「最後にですが」とそう言って、ベルはこの小さな部屋のカーテンを閉め始めました。
トリーも手伝ってカーテンを閉じていきます。何をしているんだろうと座ってベアトリスは思いました。薄暗くなった室内の中に3人の聖女が座っています。
「ベアトリス様、目を閉じてください。」ベルがそのように言います。言われたように目を閉じたベアトリスに向かって、
「なにがみえますか?」
ベアトリスはハッキリと答えます。
「光るものがあります」
その返答に、ベルもトリーもおどろいた表情で、顔を見合わせています。想定外の答えなのです。
続けて
「キラキラ光る強い光がその奥に見えます」
先ほど言われた呼吸に気がついてくと、更にハッキリしてきます。
その答えを聞くと、ベルとトリーはカーテンを開け始めました。
目を開けたベアトリスは、不思議そうな表情で
「光が見えたらおかしいのでしょうか?」
「おかしくはありません。わたし達もそうです」
ベルはそう言ってトリーを向くと、トリーも頷いています。
「おどろいているのは、すぐに見えていることです」
「わたしは小さい頃に、いつの時でしょうか光っていることに気がつきました」
「ただ誰もがそう言う物だろうと思っておりました。そうでは無いのですか?」
「私たちは、アンナ様に言われて見えるまでに、時間がかかりました。普通は真っ暗になるだけです」
これを最後として、今日のベアトリスへの指導は終わりました。話の終わった護衛騎士のケルンを伴ってベルとトリーはアルク大公邸を後にしました。
さてその夜です。宿舎となっているメラノ侯爵邸の一室に、アルク大公邸から帰ったベルとトリー、メーセン宰相邸から帰ったノルとサンディ、マルゴット離宮から帰ったアンナ5名が一室に集まり、今日の状況を話しています。
この会の冒頭にアンナより
「ベアトリス様、キラ様の状態はどうでしたか?」
「ベアトリス様はすぐ理解されました」とベル、「キラ様も飲み込みが非常に早いです」とノルは言います。
「やはりそうですか、ところで最後に試して欲しいと思っていた事はどうですか?」
「おどろきました。ベアトリス様は見えています」とベルが
ノルも同様に「キラ様もおなじです。小さい頃からそうだった」と言っています。
「ベアトリス様もおなじ答えでした」とトリーも報告します。
「やはり思った通りです」
「どういうことなんですか?」サンディは問います。
「あのお二人は、元々そうであったのです。でも使い切れていなかったのだと思います」
「教える人もありませんし、気がついていくという事がわからないと、闇の中に紛れ込んでしまうはずです」
「でもお二人が優勝候補だったのは、このためです」
「みんながこれが出来るようになって、ベアトリス様やキラ様とおなじ水準になったでしょ。いいえ今なら超えているはずです」
「しかしマルゴット様は、さらなる高みにおられます」
「まだ上があるんですか?」
そのベルの問いにアンナは頷きます。
「もうそこまで出来ておられるようなら、明日の夜に全員大聖堂に集まっていただきます。わたしも参ります」
「ベアトリス様キラ様にはあす夜、聖女の服装にて大聖堂においでいただくように連絡ください」
「私たち聖女だけで、最後の事をしたいと考えています」
「クロノ司祭様を通じて、大聖堂の一室を借りる様に手配しておきます」
そしてその後、明日二人に伝えることが話されています。
その様子については、「5人の聖女様というか 5人の魔女様が何か秘密集会をしています」とデント執事はメラノ侯爵に報告したようです。
この集まりは聖女達だけで行なわれていたので、このような報告になったようです。




