11
そういえば以前、乙女ゲームに関するエッセイへの感想その他で「全部の乙女ゲーを知ってるのか」みたいな的外れなことをいわれたのだけれど、そんな訳ないやろ。
この発言がもう乙女ゲーを見下しているよね。本気だとしたら。一個人がすべて把握できるくらいの量だと思ってるんじゃん。
そもそもわたしが最初から違和感を覚えているのは、なろう乙女ゲー小説のなかで度々「大ヒット乙女ゲー」が出てくるけどさほど面白くもなそうだしシステムは謎すぎるしそもそもゲームとして成り立ってんの? それが売れるの? っていう部分です。
「女子に人気の絵師と声優つけときゃ売れるもんだろ」っていう認識でいないか。
で、その上でばかにしてると思うんだよね。だって「ゲームの世界だと思って浮かれてやらかしたやつをゲームを知らない主人公が成敗する」が多すぎる。
「そのゲームを好きな主人公がやらかしたやつを粛正」でもいいのに、「わたしは乙女ゲームとか興味ないのに……」主人公多すぎ。しらんがな。で、おそらくその世界は乙女ゲーですらないぞと思う。
もしかして、パレドゥレーヌが乙女ゲーの標準だと思っているひと?
売れてるし移植もされたけれどあれは戦略シミュレーションゲームより。
そもそも出荷本数ではアンジェシリーズには勝てないのでは(シリーズまとめんな! っていうのなら、アンジェリークだけでもかなりの出荷数だと思いますよ)。
大体、アンジェだって漫画化された時にはかなり設定がかわっている。ゲーム的に自然なことでも漫画にしたら不自然になるからだろうけれど、それってつくっているひとも、漫画化された作品を読んでいる読者も、「ゲームだからの表現あって現実的ではない」とわかっているからこそゆるされることでしょう。セーブ&ロードできないなんてアンジェじゃない! なんてばかなことはいわない。
恋愛シミュレーションゲームに対する偏見というか、そういうのをやらない女子がまともでかわった女子がやっているからヒットしたといってもたいしたことないみたいな認識でいるんだろうな。それにしちゃあもの凄い人数動員したイベントとかやってましたけどね。
どうもなろう乙女ゲーの設定はRPGっぽいんだよな。FFⅦとかFFⅩとかテイルズオブデスティニーとかがちらついて仕方ない。
あとショタにすっごく重たい設定つけるのすきよねなろう乙女ゲー書いてるひとたちって。どうして? すっごい不思議。やっぱりパレドゥレーヌがなろう的な標準なの? だったら女性の攻略対象も増やせよ。
ほんっっっっっっっっっっっっっっっとーに不満なんだけど、女性の攻略対象はどうして居ないの? そこだけ教えてくれ。わたしが読んだなろう乙女ゲー小説の九割九分は女性の攻略対象が居ないことになってる。不思議でならない。アンジェも乙女ゲー二作目のアルバレアの乙女も「それなりに」ヒットしてるけど、女性の攻略対象居る。
全員にちやほやされるゲームだと思ってるんだろうな。どんだけうまくプレイしたら全員攻略できると思ってるんだろう。コントローラーぶん投げたくなる時のほうがおおいんだよ。アンジェの公園デートなんて圧迫面接みたいなことやってくるんだから。
女性はどろどろした恋愛ものが好きとか不倫ものが好きみたいな考えがあるんだろうね。興味ないわ。
お前が女の標準だと思うな! 主語を大きくするな! っていうひとがわきそうだけどそもそも主語がでかいのはそっちやろ。「女は嫉妬深い」「女は不倫ものが好き」「女はどろどろした昼ドラみたいなのが好き」
へーそうなんだー不思議だねーだったらどうしてテレビ局は昼ドラを放送しなくなったのかなー視聴率とれてスポンサーからどんどこ金がはいってくるだろうに自分からドル箱を捨てるなんてかわってるー。
で、「転生ヒロイン(恋愛脳)」はどうなの? 正しい表記なの?
大体「ゲームではここでこういえば好きになってもらえるから~」みたいなのを恋愛脳っていうの? はあ?
あ、遙かなる時空の中でへどうぞ。戦闘の時に主人公が応援するやつ、同じ言葉でも反応違うんですよ。
アンジェもプレイごとに性格傾向がかわるので、どこからどう見ても・設定的にも絶対アウトドア派のかたが「外出きらい」だったりします。
そもそも「ゲームではこうだったから~」を恋愛脳だっていわれたら、ゲーム世界に転生して無双する系の主人公も恋愛脳ですね。
ああ、なんとか無双って多分真・三國無双とか戦国無双とかからとってるんだろうにね。嘆かわしいことです。ルビーパーティで検索して震えてください。
――
化粧しない系のヒロインが人気なのは別に日本だけではないんだよね。
庶民派ヒロインというか、ドレスとか宝石をもらっても戸惑っちゃう、こんなのこわい! みたいなヒロイン。
汗をかくのを気にせずに子どもと遊び、日に焼けるのを気にせずにその辺を走りまわり、優しくて家庭的で、天真爛漫、でも学があってヒーローとの会話が成立して賢くて、いざとなれば強い。
ハイジやないかそれ?
もしかしたらハーレクインでもなろうでも、人気になるのはハイジなのでは?
小さい頃にネグレクトされていたという重たい過去もあるし、やらかすおばさんも居るし、頼れるおんじも居るし、階級が低いのにお嬢さまに気にいられるし、ペーターも居るし、前時代的な大袈裟表現多用するロッテンマイヤーさんも居るし、ちゃんと読み書きできるし、夢遊病という弱さもあるし、ちょっと浮世離れしてるところもあるしひとに優しいし。
ハイジってパスティーシュが複数書かれていて、ペーターと結婚したりペーターがクララと結婚したりしているらしい。恋愛ものに変換できると多くのひとが思ってるってことだよね。
これは狙い目ですよ、なろう恋愛小説の書き手さん!
――
どうしてだろうか、年に一回くらい猛烈にプルムイプルムイをやりたくなる。
モッテルさんが可愛いし、ホップ・ザンスとステップ・ザンスも可愛いし、イー・ジャンとチビデ・ゴザールが後からついてくるのも可愛いし、可愛いとこだらけ。
そもそもムーが可愛いよね。驚いて跳びあがるモーションとか笑い声とか。
女神さまの劇でネー・ジャンがでてたのはもしかしてホーリィ役では? という考察をしてみたり。色がそっくりだし。
プルムイプルムイ知ってるひととカスタード派? バニラ派? っていう話をしてみたい。
絵柄的に90年代っぽさがあるというか、あの年代の絵柄好き。
――
性被害を訴えると「顔を出せ」「名をなのれ」
でも「本当に性被害があったのならはずかしくて出てこれない筈」
意味わからん。
――
今の時代に信仰を保つって大変なんじゃないの。
信じることを否定はしない。それは内心の自由だしひとの勝手なので。
信仰はあったかもしれないが宗教法人にお金を落とすことはなかった(五円程度のお賽銭とかは除く)家庭で育ったし、母が宗教まったくしんじないひとなので(しかし脅されるとこわがり、逃走する)、信念を持って宗教を信じているひとを理解できない。
理解できないだけで排除しようとは思わんが、信仰の違いでひとが死ぬようなのはばかばかしいしまきこまれたくない。
謎に金をむしりとろうとしてくる新興宗教に限った話ではなくて、聖書とか仏典とか、無理がないかと思ってしまう。
聖書に書いてあることを全部まもろうとしたら大変だし。規定が厳しすぎるやろ。今の時代にその辺で簡単に手にはいる服はあらかたレギュレーション違反では。
――
乙女ゲー小説なのに乙女ゲーをしていない転生者がひとり勝ちとはこれいかに?
だったら乙女ゲーである必要なくないか。
別エッセイに「乙女ゲーだと公式で誰とくっつくか決まっていないという部分が強みでは」的な感想を戴いたけれど、漫画版や小説版だと結局ひとりを選んでくっつくことが多いし(ライバルにもちゃんと相手男性が居る)、そもそも公式が「これがトゥルーエンド」を決めていて、それってある特定のキャラとくっつくEDだったっていうことはあるんだよね。
公式が「これが公式カップル」と決めていないとしても、イベントやスチルで明らかに優遇されていて、パッケージでもでかでかと描かれていて、グッズやなんかもほかキャラより多くて、現実のイベントでもでじろが相当あって、ユーザー間でもほぼ公式扱いされていて……という、まあそうよねそのひとよね、というキャラは居る。
エリーのアトリエやリリーのアトリエという恋愛が主題じゃない作品(別に恋愛しなくてもクリアできる)でさえ、ゲームイベントやスチル面での特定のキャラ優遇(リリーでは特定のキャラを攻略しないとつくれないアイテムまであり、恋愛したくないユーザーがそれを批判していた)、漫画版や小説版ではひとりのキャラとくっつく(っぽい)、をやっている。
恋愛が主題の作品なら多くのユーザーが気にするのはその部分で、「公式での彼氏は誰か」は大変な問題なのだ。だから公式も一応の答えを出す。わたしのようにそれで意気消沈する人間も居る(公式との解釈違い、というだけで、公式がカップルを決めるなとは思っていない)。
そんなわけで、ゲーム内でいわれる場合もあるし、イベントやスチルで「あっ(察し)」の場合もあるし、イベントや制作チームインタビューなんかで公式が言及する場合もあるし、漫画版や小説版でくっつく場合もあるし、まあ大体主人公はこのひととくっつくよねえとユーザーが考える場面は多々あるのだ。
「誰とくっつくかわからない」はらはら感わくわく感なら、「未完結の恋愛小説」「連載中の恋愛漫画」でも成り立つのだから、ゲームである必要性がそこまであるとは思えない。
その部分に「乙女ゲーをやっている女=バカで非現実的な恋愛のことしか考えていないお花畑、乙女ゲーをやっていない女=まともで理性的でゲームと現実の区別がついている」という図式が垣間見える。
だからほんとに不思議なんだよな。恋愛の関わらないゲーム世界に転生もしくは転移したら、主人公はゲーム知識で無双する。そこに恋愛がのっかると途端に「ゲーム知識で無双? ここはゲームじゃないのよ!」主人公が勝つ。
俺TUEEEEEなゲーム知識で無双する作品を評価しておいて、乙女ゲーでゲーム知識無双しようとしたらやりこめられる話を評価するのって、矛盾じゃない?
そこに「乙女ゲームはRPGなどから一段(or数段or十数段or数十段)劣るもの」という無意識の差別はないですか。
――
リリーのアトリエのネタバレ含みます。
究極のエンディングで出てくるサリー、白すぎない?
はじめてリリーをやった時には南からの留学生の存在を知らなかったから、ほかのエンディングでもモブキャラ出てくるし、そこまで重要なキャラと思ってなかった。
去年くらいかな? 存在を知って手にいれて、なんか見たことあるってなって、究極のエンディングに出てくると知った。で、データがぶっ壊れた後に宮廷魔導士エンディングを見たやつしかデータがないけど、もう何周もしていてやりかたはわかっているし、慣れれば実は一番簡単なエンディングなので、今年の四月頃かな? 最初からやってみた。
それであの感想です。サリー、なんか、白くね?
肌の色が白い気がする。少なくとも南からの留学生下巻の表紙よりは白いと思う。ミューとかロマージュはもっとがっつり黒かったのに。下手したらユーリカよりも白くないですか。
不思議。
――
わたしは古い時代のオタクらしい。
最近の街中でコスプレしてはしゃぐひと達にたえられない。
直に説教かまそうとは思わないけれど(そんなひまはない)、眉をひそめてしまう。
わたしがオタク界隈に足を踏みいれた頃には、「コスプレはイベント会場か家か撮影スタジオでだけするもの」だった。
イベント会場までコスプレして移動するのも絶対だめ。イベント会場のトイレできがえましょう、だし、長物禁止だし。
コスプレで電車やバスなど利用しようものなら、公共交通機関にそんな格好でのるなんてと批判され、やらかしたひとはイベント出禁なんて普通にあった。
それが今では、その辺をコスプレで歩いているひとが居る。
好きな格好をするのまではかまわないけれど、それで目立つことで作品アンチを増やす可能性は考えていないんだろうか。弁えていない=オタクはやばいという印象を与える可能性は考えていないんだろうか。
その格好で街中をうろうろすることで、作品にメリットがありますか?
二次創作を公式に送りつけちゃう系のひとに似たものを感じる。
わたしは二次創作好きなので、ちまちまやっているけれど、公式に見付からないように自分ひとりで楽しむ(そもそも手許にあるノートなどに書き付けるだけでひきだしに封印している)か、どこかに投稿するとしてもロックをかけるか、どちらかにしている。でも昔から、自分の妄想と公式を混同して、むちゃくちゃなものを送りつけるひとは居たらしい。
最近知ったのだけれど、ある界隈がさらしの攻撃にあったそうだ。二次創作をしている人間にとっては一番こわいことである。
しかしさらしをしたひとは、もしかしたら大声で騒ぐオタク(Xやpixivで二次創作に免疫のない普通のファンにも目に触れるような形で作品投稿してしまうひと)に迷惑していたのかもしれない。自分の好きな作品はこんなものではないという憤りで、断罪したくてやったことかもしれない。
そりゃ、作品タグをつけてあるから開いたら、求めていないR18とかリョナだった、というのは、その二次創作作者に殺意がわいても仕方ない。
かといってさらしを実行に移すのは問題だが、「やらかす」オタクが居ることも事実である。
これ以上肩身のせまい思いをしたくないので、棲み分けだけはきっちりしてほしい。
――
腐向けを女性向けと表現しないでほしいというエッセイを以前書いたけれど、未だに誤解がある。
そもそもまったくBLに免疫のない女性は居るし、一次創作ならともかく二次創作のBL死すべしの女性は少なくない。
そのエッセイで「女性って百合が好きじゃないですか?」というような感想をもらったけれど、わたしが現実で知っている限りの話でよければ、BLは大好きだけれどGLは大きらい、とか、そもそもBLでもGLでも絶対にゆるせない、というひとばかりだった。
同性のキャラをくっつかせる二次創作、というものには、そういうひと達からの強烈な反発をくらう可能性がある。
だからこそ、棲み分けが大切なのだ。