お別れの時間
紫陽花の咲く季節の頃、僕は急に体調が悪くなりました。頭の中と胃の辺りが気持ち悪くて、起き上がれなくなりました。
僕は窓の外でしとしと降っている雨模様を観ながら、楓ちゃんはどうしているだろうって思っていました。僕が居なくなって、楓ちゃんを悪く言う奴等が、また彼女の近くに来たりしていないだろうかって。
気分が悪くなってる間、僕は黙って眠って居るしかありませんでした。
窓の外で季節が変わって行くのだけが、何となく分かりました。
僕が病気だった間に、楓ちゃんはもっと明るくなりました。もう、あの頃は高校生くらいだったでしょうか。
楓ちゃんは、学校の帰りに制服のまま遊び歩いていて、学校から帰る時は化粧をしていました。
僕が望んでいたような「静かな生活」を、逆に疎むような生き方を選んで、楓ちゃんは外の世界の刺激を求めました。化粧の他に、うるさい音楽と、ギラギラしたアクセサリーを集めるのが趣味に成りました。
「別の学校」に通っていると言う、楓ちゃんが「センパイ」と呼んでいる人から、ある日、高校生が吸っちゃいけない物を勧められました。
煙草と言う、コンビニにも売ってる、あれです。
楓ちゃんは「怖がってる」事が分からないように、「いやー、遠慮します。口から臭いしたら、親にばれちゃうし」って言って、断りました。
いつから気持ちが変わったのかは分からないけど、楓ちゃんは僕に「手紙」をくれるようになりました。
「あんたがもし、まだ私を守りたいとか思っててくれてるんだったら、変な手紙を寄越すんじゃなくて、ちゃんと名前を名乗って、男らしく、私の前に出て来てよ、陸」って。
その手紙を読んで行くと、先日「センパイ」から煙草を勧められた件と、その他にも、世の中に居る「やばい奴」の事が、ぽつぽつと書かれていました。
病気から立ち直ってた僕は、その手紙に返事を書きました。
「まさか、僕だってバレてるとは思わなかった」って書いてから、「名前を名乗らなかったのは、ごめんね。でも、僕も、君には嫌われてると思ったからさ」って。
何とも、なよなよした草食系男子な手紙だなと、自分でも思いました。
文字を書いてる自分の手を観ると、小さな頃から鍛えて来た拳にはタコがあって、鍛えられなかった期間はあるけど、伸ばす腕は筋肉質に引き締まっています。ずっと昔から、何人ぶっ飛ばして来たか、分かんないな、と思いました。
「確かに、僕はストーカーみたいな奴だったかもしれないけど、一応、心の中は騎士道を歩んでるつもりだったんだ。楓ちゃん…三河さんが、嫌な言葉を聞かずに、普通に生きて行けるようにってね」
それから、僕と楓ちゃんの文通が始まりました。
楓ちゃんは、好きな人が居ました。残念な事ですが、僕ではありません。七日って言う、変わった苗字の人で、楓ちゃんより二つ年上でした。
高校一年生の時、同じ学校の三年生だった本当の先輩なんです。部活動で知り合ったって楓ちゃんは書いていました。その人は今、企業に勤めて働いていて、夜遅くまで遊んでる楓ちゃんを見つけては声をかけてくれる人でした。
「七日先輩は、恋人が居るの。貯金が貯まったら、その人と結婚するんだって。私、初恋でいきなりハートブレイクだわ」と、楓ちゃんは手紙に書いていました。
「初恋が失恋か。それじゃ、僕と同じだ」と、僕は返事を書きました。「僕も、小学校二年生の時に、君にフラれた」って。
其れだけだと、唯の嫌味に成っちゃうから、「だけど、大人になってからの恋愛感覚って言うのが、子供の時の気持ちとは違うって言うのは、分かってるつもりだよ。七日さんとカップルに成れなくても、七日さんの幸せを願うって言う『愛情』の表し方もあるんじゃない?」って続けました。
「陸は理想論者だな」って、楓ちゃんは返事をくれました。「心の中でグチャグチャしちゃうものとか、全然考えて無いでしょ? 若い人間って言うのは、中々キモチとカラダのコントロールが利かないんだ」
その後に書かれていた事は、僕と楓ちゃんだけの秘密です。元々、楓ちゃんとの間柄も、僕と楓ちゃんだけの秘密のはずだったんですもん。
僕がこの事をあなたに話さなきゃならなくなったのは、あなたが何者か分かったからです。
小学校二年生のあの日、僕はあなたを死神だって思いました。死神が、楓ちゃんから命を吸い取ってるんだって。
それが誤解だって言う事が分かって、僕が僕として居る事がおかしいって事も分かって、だから、一度、「運命」って言うものの示す通りに進んでみようと思ったんです。
楓ちゃんの所には、お別れの手紙を置いてきました。
そんなに大したものでもないです。
「しばらく、遠くに行かなきゃならない。手紙は書けなくなるけど、心配しないで。そうだな…。もし、僕に助けてほしいって思ったら、心の中で『助けて、陸』って呼んでみて。速攻で助けに行くから」なんて、書いておきました。




