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事件が起きたのは、一時間目の歴史の授業だった。
ドカッという、鈍い音でセイコウは目を覚ました。別に居眠りするつもりはなかったが、窓から差し込む陽光が気持ち良く、教師の授業が頭に入ってなかったので、気がついたら寝ていた。「二十年前、怪物との戦争でニッポンは崩壊寸前に陥りました」という内容を、いとも容易く念仏の様にしてしまうのだから、教師とは、面白いことをいかに退屈に説明するのかを競う職業なのではないかと疑いたくなる。
顔を上げ、音の方へ目をやる。人が殴られた音だった。体格が良く、日に焼けたスポーツマン然とした男子が、華奢で色白の男子を何度も殴りつけている。どちらの名前も覚えていなかった。スポーツマンの方は、話したことはなかったが、大企業の役員の息子だったと記憶している。一方で色白の方とは何度か話した事があった。
以前、携帯端末に入れたゲームアプリをプレイしていると、「そのゲーム。君もやるの」と話しかけられ、「暇潰しにやけど、意外と面白い」と返し、「良かったら。僕と一緒にプレイしない」といった具合だ。その後も、片手で数えられる回数ではあったが、共にアプリをプレイした。そんな彼が、今やダンゴムシの様にうずくまり、何度も踏みつけられている。共に遊んだことのある人物が、一方的に殴られているのは良い気分ではなかった。衝動的に立ち上がりそうになるのを必死に抑える。
修学旅行! 頭の中で唱える。そもそも進学したのは、危険な仕事をしてまで学費を稼いだのは、修学旅行に参加するためなのだと、目的を見失うなと自分に言い聞かせた。教師が仲裁に入ることを期待したが、無駄だった。青ざめた顔で、呟くように、「やめなさい」と繰り返している。あれでは退屈な授業と同じだ。誰の心にも響かない。他のクラスメイトはニュースで他国の戦争を見るように他人事だ。対岸の火事とは、まさにこの事だろう。
「学校では絶対に目立つな」
ネオ・オオサカ高校に入学する前、つまりは一年半ほど前に保護者に言われたことを思い出す。ダイスケという、異様に腹に肉がついた肥満体型で、ラーメン屋を営んでいる男だ。いつも、<今日だけ信じろ>と書かれた白いシャツを着ていたが、タバコのヤニで黄ばんでいた。セイコウはその日、郊外に現れた怪物を駆除する、という仕事を終えて帰宅したばかりだった。空腹で疲れもあったので、労いの言葉もなくぶっきらぼうにアドバイスめいたことを言われ、苛立つ。
「教師の皆様の立場になって考えろ。お前が面倒を起こす問題児だと判断すれば、わざわざキョートに連れて行こうとは思わねえよ」
その時も、ダイスケはタバコを吸い、寸胴の湯の中で踊る麺を見つめていた。
「集団には基準になる人間がいる。そいつが、『カラスが白いね』と言えば白くなる。逆に、『いや、カラスは普通黒いですよ』なんて言おうもんなら一発でアウト。大人しく、『そうですね。この世のカラスは一匹残らず全部白いです』とでも言っておけ。お前の性格上難しいだろうけどな」
この場において基準になる人間というのが、あのぼんぼんだろう。父親が学校に多額の寄付をしているらしく、それ故、教師も強く出る事が出来ないのだと予想できた。なぜ色白の彼を殴り出したのかは分からないが、もしかすると、ぼんぼんに対して、「カラスは黒いよ」と言ってしまったのかもしれない。
ぼんぼんが蹴りを繰り出す度、セイコウは胃の中に泥を詰め込まれた気分になった。不快感という名の泥だ。あの二人に何があったにせよ、親の後盾を利用して一方的に暴力を振るう行為は気に入らない。それ以上に、ぼんぼんが、「絶対に俺が正しいんだ。その証拠に周りのやつは何も言ってこねえだろうが」と考えていそうなのが気に食わなかった。自分もあいつを増長させている一員なのか? 消火できる能力があるのに、対岸の火を眺めているだけか?
「お前は一生俺の奴隷なんだよ」
そんな言葉が聞こえた。興奮からか上擦った声で、早口だったので定かではない。
ぼんぼんが鼻血を出して倒れていた。一瞬遅れて、ぼんぼんをブン殴ったのだと気付いた。




