大人になるということ
あまり明るくはないエッセイなので、そこはごめんなさい!
どうでもいい昔話をしようと思う。
でも似たような事は誰でもあって、当人にとっては、大事だったりするのだ。
少なくとも、子供だった頃には。
私はもう大人なので、現実が分かっている。痛いほど分からされてきたけれど、実はこれがそれに気付く最初の一歩だった気がする。
そう、誰にでもあるだろう。
大人になるための、気付きみたいなもの。
それは大抵、皮肉なものが多い。
私は昔から、絵が好きな子供だった。
幼稚園は休み時間によく、クレヨンやクーピー、マーカーを使いこなしていた。やがて小学生になって、それは鉛筆などに代わった。
でもまぁ、写実的ではないというか。
そのまま描くのはかなり苦手だった。
今でも写生とか多分できない。
そんな人間だったけれど、私は絵が好きだった。あと、木とか動物が好きだった。多分小4くらいのノートは、そんな絵ばっかりだった。
だから、絵の具も好きな子供だった。
色鉛筆では出ないような、透明感や滲み、そしてなにより色が作れる事が新鮮だった。図工とかで、絵の具にない色をよく作っていた。
色の三原色とか、子供なので理解してなかった。でも実験とか好きだったし、何よりなんとなく予想して理解できた。
そういう意味では。
絵は上手くないけど。
感覚的には人より優れていたかもしれない。
というか、ぶっちゃけ私は芸術系と国語しかできない。それ以外はナニソレオイシイノ? っていう子供だった。
とはいえ小学生の時は、とりあえず人並み以上にはなんとかなってた。簡単だし。
今考えると、なんとかなっていたから逆にダメだったんだろうなと思う。まぁ、その程度しか才能なかったとも言えるけど。
小5のある日、図工で課題が出た。
それは夕日の絵を描く課題だった。
教科書に載っていて、先生がお手本を見せてくれる。ただローラーでグラデーションを作り、その上に墨と白絵具で絵を描くだけのやつ。
先生の夕日の淡いグラデーションは、とても綺麗だった。
だから、真似することにした。
というか、まぁそういう指示だったし。
私は色彩感覚だけはあったから簡単だった。
ローラーで色を重ねるだけなので、とっても簡単。誰にでもできる。それを太陽に見えるように、少し円形に塗れば完成。
あとは影絵みたいなものだから、日頃絵を描いてる私は簡単だった。
だって塗り潰すだけなのだ。
輪郭さえ取れれば難しくない。
絵が上手い必要さえない。
私は夕方よく縄跳びをしてたから、そんな感じの絵とマイブームの木を描いた。夕方はカラスがよく飛んでるから、黒いしそれも描いた。
あとなんか動物に羽を生やす謎のマイブームもあったから、白い絵の具でそれと木の幹に線も引いた。
好き勝手何も考えずにやったので、カラスの飛んでる向きもめちゃだし。謎の生物もいるし。
子供ながらに、カオスだと理解していた。
でもまぁグラデーションが上手くいったし。
空想の世界だからいいかと思った。
しばらくすると、その時の課題の絵は廊下に張り出された――上手い子たちだけ。ちなみに、その中に私の絵はなかった。
少し残念だなと思いつつ。
他の子の絵も見るの好きだから見ていた。
どれも個性があった。
けれど先生のグラデーションを真似た絵は、ひとつもなかった。それだけが意外だった。
次の図工の時間、嬉しい知らせがあった。
学年で2人だけ、県から絵が表彰された。
それに選ばれたのだった。
みんなの前で発表されて。
初めて校長先生から賞状をもらって。
下駄箱の横の特別なところに絵が貼り出されて。
正直、その時はとても嬉しかった。
もう1人の子の絵を見るまでは。
その子の絵が、すごかったのだ。
大胆な色使いで、大胆な影絵で。
先生の見本にない、センスある絵だった。
あ、負けたと思った。
だって私のは、ただ真似たりいつもの絵を描いただけだったし。カオスで誰でも描ける絵だったから。
でも賞状は同じものだ。
つまり大人には評価されたらしい。
言われた通りやっただけだったけど。
親も大喜びだ。私は要領の悪い人間なので、子供の時は怒られた思い出の方が多い。けれどその時はなんか大絶賛だった。
なんなら祖父母もこの絵が好きだと言いだして。写真まで撮られて、知らない所の冊子の表紙にまでなって。カレンダーにもし出して。
私は、困惑した。
私の中では、そんなに頑張ってなかったから。みんなで綺麗だ素晴らしいというのが、なんだか怖くなってきて直視しなくなった。
だけど私は絵の具が好きだったし図工が好きで、何より風景の絵を描くのが好きだった。
だから懲りずに。
というか授業なので。
小6の時また別の絵を描いた。
授業内で、地元の風景の写真を撮ってそれを描くものだった。
ちなみに。
要領の悪い私は、授業内で終わらなかった。
とにかくマイペースなので(自分で言うな)、もう全然終わんなかった。半分も終わってない。酷いもんである。
同じ時期にやった小5の時と大違いだ。
だってあれは簡単だったのだ。
ほぼ塗り潰すに等しかったし。
お手本もあったから真似ただけだし。
しかし授業の課題なので、当然終わらせないといけない。というわけで、居残りをする羽目になった。
さて、私は本当に要領が悪い。
オマケにめちゃくちゃこだわる。
だって絵が好きだったから。
よって1週間後には、居残りは私だけになった。ひどいもんだ……。
普通は怒られる。
というか、親には怒られていた。
だけど、図工の先生は違った。
何故か気に入られて、毎回居残りに付き合ってくれた。そして、私を急かさなかった。どうも前回と同じ県のやつに出したかったらしい。
しかしまぁ、私は要領が悪いので!
やっぱりその期限までにも終わらなかった!
だけど絵を描くのが好きなので、毎日居残りして描いていた。習い事のある日に、母親が学校まで私を迎えにきたこともある。
当然、めちゃくちゃ怒りに来たのだ。
だけど先生は、それも止めた。
これは時間のかかる絵なのだと言っていた。
まぁその帰り道、普通に私は親に怒られたけれど。
でも私は絵が好きだったので!(何度目?)
何ヶ月もかけて絵を描いた!
たぶん2、3ヶ月は描いていたと思う。
それに根気よく付き合ってくれた先生には、とても感謝している。期日を数ヶ月オーバーしてたのにすごいもんだ。社会人なら絞められてる。
そうして出来上がった絵は、地域の展覧会に出してもらった。
それは県の展覧会ではない。
数市単位の展覧会だ。
まぁ、規模はそこそこかもしれない。
だけどそれでも、中学生まで混じる中で最優秀賞を貰った。
私は正直、とても嬉しかった。
だってとっっっっても頑張ったし!
自分の納得いく出来だったから。
先生も、別の学校の先生から褒められたと言っていた。それもまた嬉しかったのだ。そう語る先生が、私より嬉しそうだったから。
しかし、現実は優しくないものだ。
その時だけは家族も喜んでいたような気がするが、小5の時ほどではなかった。まぁ、映えるのは小5の時の絵だったのもある。
それに。
時間がかかったから。
最優秀賞を報告した時に、「でも時間かけすぎだよ」と、ため息を吐いて呆れながら言われたのを覚えている。
それを私が覚えているのは。
根に持っているというよりは。
衝撃だったからだ、小6的には。
だって、褒めるよりそっちが先だったから。
能天気な私は、多分褒めてもらえると思っていた。無邪気だった。
そう、子供だったのだ。
時間をかけちゃダメなのだと知った。
授業内で終わらせないとダメなのだと。
決まりを守らないと意味がないのだと。
持ち帰ってきた絵は、しばらく子供部屋に飾られていたけれど。そのうち「もういらないよね」と、捨てられてしまった。
捨てないでと、言えなかった。
ぐしゃぐしゃにされ、ビリッと破られても。
ゴミ袋に入れられるのを黙って眺めていた。
仕方がない。家の中でそれに価値を感じているのは、私しかいなかったのだから。価値のないものは、捨てられる運命なのだ。
そしていつまでも、小5の絵は残っていた。
私が価値をあまり感じない絵だけが。
費用対効果の高い、あの絵だけが。
私は絵筆を握らなくなり、絵の具に触れなくなった。
けれど、それだけで終わらなかった。
うちにはリビングに有名画家の絵があったのだが、諸事情により売ることになった。その空白を埋めるように、私の小5の絵が飾られた。
しかも、写真で。
額縁に入れられて。
それは私が高校生の時の話である。
正直もうやめてくれと言いたかったけれど、「やっぱりいい絵だ」と。笑顔で褒める家族を前に、一言も言えなかった。
今でもあるその絵を見るたび、投げ捨てたくなる。
だけどそれが大人の。
この社会の、求めるものなのだろう。
費用対効果が高く、時間内で見た目の良い結果を残す事――あの絵は私にこの社会の縮図教え、結論をもたらした。
この世の中は、コスパ重視なんだと。
いい響きですね〜コスパ。
みんな大好きだもんね、コスパ。
結局資本主義は、コスパ社会ですから。
まぁ共産主義とかがいいかって言うと、それもまた別なんだけどね。どれも一長一短ですね。
結局人の作るものに、完璧などないのでしょう。
私的には過去の栄光は過去のものなのですが、感覚の違いって一言では表せないから大変なものです。家族とて他人ですから、全ては分かり合えないですね。
そして私は大人なのに、いまだに色々クソ食らえと思ってるので一生大人になれない気がします(大問題)