伯爵家の料理人
カツーンというスプーンが床に落ちる音が調理室に響き渡る。
すると周りで朝食の準備をしていた料理人達がスプーンを落とした料理人の方を一斉に見つめた。
しかし、料理人達から見つめられている料理長のジルは、周りの目を気にすることなく先程スプーンで掬って口に含んだスープの入った皿を掴み皿の縁に口をつけ一気にスープを煽った。そして皿に入ったスープを飲み干すと皿を落とし半狂乱になりながら近くにあった包丁を手に取り自身の胸に突き立てようとした。
その様子を見た周りの料理人達は、自分達の上司である料理長の謎の行動に驚いてただ見ているだけだったが、急に包丁を手に取り自身の胸に突き立てようとしたのを見て、調理を一時中断し大慌てで止めにかかる。
「おい、料理長から包丁を取り上げろ!」
「料理長!あ、暴れないでください!」
「副料理長大変です!料理が焦げています!」
「そんなことより料理長の命の方が大事だ!安心しろ、私が後で旦那様に謝罪をする!」
こうして料理人達が包丁を手に自殺を図ろうとしているジルを何とか抑え込むと、騒ぎ聞いて現伯爵家の当主であるルーク・ライムが家令と駆けつけた。
—————
「おいお前達!朝早くから何をしている!………って、お前達、これはどう言う状況だ!」
現場に駆けつけた私、ルーク・ライムが見たのは、猿轡をされロープでぐるぐる巻きにされた料理長のジル。そして満身創痍といった様子で床に倒れている副料理長を初めとした料理人達と荒れ果てた調理場だった。
そして、何が起こったのかを取り敢えず聞こうと思い、倒れていた副調理長の元に駆け寄って起き上がらせると、副料理長は立ち上がって深々と頭を下げ、私が状況を説明するように促すとゆっくりと説明を始めた。
「旦那様、申し訳ございません…実は料理長が自分で作った賄いのスープを味見した直後に、近くにあった包丁を握りしめ自身の胸に突き立てようとしたのを止めようとした結果、このようになりました」
「な、何!包丁で胸を…怪我人はいないのか」
「はい、怪我人は居ないのですが…ジルは何かあったのかあのようにしておかなければ自分で舌を噛み切って自殺を図りかねません」
副料理長からの説明で怪我人がいるのではと思った私は、副料理長から怪我人は居ないことを聞いてひとまず安心し、今後のことについて考る。
「そうか、なら朝食はいいから昼食に向けて片付けをしてくれ、使用人達には私から説明をしておこう」
私がそう言うと、副料理長は再び深々と頭を下げて床に倒れている料理人達を起き上がらせて片付けを始める。それを確認すると、私は一度ジルを見た後家令に目を向ける。
「さて、ジルから話を聞かねばなるまい…セブルス、衛兵を呼んでジルを担いで私の執務室に連れて来てくれ」
「かしこまりました」
こうして、ひとまずこの騒動に決着をつけ私は自身の執務室に向かった。
執務室に着くと、メイド長を呼んで先程あったことを説明して朝食は我慢して欲しいと使用人達に伝えるようにと指示を出し、メイド長が部屋を出て行った後、自分で紅茶を入れてジルが連れてこられるまで待った。
そして、一杯目の紅茶を飲み終えて二杯目を入れようとした時、執務室の扉が叩かれ先程よりは落ち着いた様子のジルを連れた衛兵が部屋に入ってきた。
衛兵達がジルを椅子に座らせ部屋の外に出たのを確認した私は、二杯目の紅茶をカップに注ぎながらジルに話しかけた。
「ジル、一体何があったんだ?」
「……………申し訳ございません」
「いや、私は謝罪ではなく何故包丁を突き立てようとしたのかが聞きたいのだが」
「……………申し訳ございません」
しかし、ジルは私が何を言っても謝罪の言葉を述べるだけで会話にならない。そのため私はジルが落ち着くまでの間、一度ジルから目を離して部屋の窓に視線を移して初めてジルが屋敷に来た時の事を思い出した。
ジルが我がライム伯爵家にやってきたのは、私が両親が事故で亡くなったことで家を継ぐことになった二十六の時。
今の妻、当時婚約者だったオーラ子爵令嬢と結婚し、自分の地盤を固め、前伯爵である父が亡くなったことで揺らいでいた領地経営が安定してきた頃。歳の離れた妹、当時八歳のソフィアが孤児院から連れてきたのがジルだった。
「お兄様、私の専属料理人をつれてきました」
いきなりそう言って歳上の少年、当時十四歳のジルを引っ張って屋敷に帰ってきたソフィアを見た私は紅茶を吹き出した。
「ご、ゴホッゴホッ、ゴホッ、そ、ソフィア…いきなりどうしたんだ」
その時の私は、控えめに言って天使より可愛い妹が、いきなりどこの誰とも知らん若造を連れてきて驚いたが、まずはどういう理由で連れてきたのか聞くために心を落ち着かせてソフィアに尋ねた。するとソフィアは一度首を傾げ、ジルの方を向いて何かを確認した後、もう一度私の方を向いて言った。
「ジルは食の神の加護を持っているので美味しいクッキーを作ってくれます。だから連れてきました」
「ブボッ」
ソフィアの話を聞いた私は、心を落ち着けようとして再び口にした紅茶を吹き出し、驚きのあまり言葉を失った。
『神の加護』
それは気まぐれな神々が気に入った人間に与えるもので、一柱につきたった一人加護を与えてくださる。また、加護は先天的または後天的に授けられる不思議な力であり、ライム伯爵家が仕える王家が治めるこの国は大陸で一、二を争う大国であるが、存在が確認されている加護持ちは両手で余るほどしかいない。そんな加護持ちの人間が目の前にいると知って驚かないわけが無いのだ…
因みに加護持ちは簡単に見分けることが出来る。それは自分または他人が、私、またはこの人物はなになにの神の加護を持っている!と言えばいい。それでもしそれが嘘であれば即刻神から天罰が与えられる。
しかし、「それでは自分が本当に加護を持っているか確認できないではないか!」と、言う人もいるかもしれないが安心して欲しい。神から加護を与えられる時は、夢に神が現れ加護を与えられることを教えてくださるのだ。
それゆえ、目の前でソフィアが連れてきたの少年が、食の神の加護を持っていることが分かった。
また、食の神の加護は加護の中でも希少なもので、過去に食の神の加護を与えられた人間は片手で余るほどだ。そんな加護を持った人間が我が家で働いてくれるというのならば普通の人間であれば両手を上げて三日三晩喜ぶことだろう。
しかし、我が家は伯爵家といえど貴族、この少年がなにかの理由で潜り込まされたスパイである可能性もあるため、加護を持っているからと言って無条件で我が家に迎える訳にはいかなかった。そのため一度私はジルを観察してから問いかける。
「少年、ジルと言ったか」
「は、はい…」
「一つ質問をしても良いだろうか?」
「はっははは、はい、大丈夫です」
私が質問をしようとするとジル少年が怯えた様子で返事をしたので、怖い顔でもしていたかと思い、一拍置いて笑顔を作って質問を始めた。
「何故、君は我が家で働こうと思ったんだ?」
「それは、ソフィア様が孤児院で炊き出しなどをする時に手伝いをして欲しいと言われて…それに、伯爵家で料理の腕を鍛えていずれは独立してもいいと言われたので」
そう私の質問を返したジルは、ジッと私の目を見つめて逸らさなかった。そんなジルの様子を見た私はジルが善人であると理解した。そしてなれない敬語を使っているジルを見て、歳が離れた弟の相手をしているようで少し楽しくなった私は、一つ面白いことを思い付いた。
「成程………ではひとつ、君に頼みたい事があるのだが」
「な、なんでしょうか」
「そろそろおやつの時間だ。私と私の妻、そしてソフィアの分の菓子を作ってくれ。食材と調理場は、私から料理長に話を通しておくから心配するな」
そう言って私が微笑みかけると、ジル少年は嬉しそうに顔を緩めた。
「は、はい!」
そして元気よく返事をしたジルを見た私は後ろに控えていたセブルスに目配せをしてジルを調理場に案内させる。
「ジル様、こちらでございます」
「あ、分かりました」
セブルスに案内され後ろをついて行くジルは扉の前にたどり着くとぺこりとお辞儀をしてから部屋を出ていった。そんなジルの様子を見て、我が家の料理人としてジルを雇うことに決めた私はソフィアの方をむく。
「ソフィア、感じのいい青年だな」
するとソフィアは顔を赤くしてこくりと頷いて………
「………はい」
とだけ言ったきり、赤くした顔を両手で隠しながら食堂の方へ小走りで向かって行った。
実をいうとこの頃のソフィアは両親が亡くなってからというもの、全く元気がなかった。しかし、ジルを連れてくる少し前からソフィアが嬉しそうにしていて不思議に思っていた私は状況から推理して理解し、こう思った。
『あ、あの………あのクソガキャ~~~~~』
と。
まあそんなことがあったりしたが、その後に出されたパンケーキで胃袋をガッツリと掴まれてしまった私と妻は両手を上げてジルを歓迎した。そしてジルは我が家の料理人として働くようになりメキメキと料理の腕を磨き、昨年我が家に長年仕えてくれていた料理長が年齢のため辞することとなったのをきっかけに、我が家の料理人達から投票で新たな料理長を選ぶことになると満場一致でジルは二十三という若さで料理長となった。
料理長となったジルは初めの頃は前々からいた副料理長に遠慮していたが、話し合いをして納得したらしく、話し合い以降は料理長として自覚が出来たらしく、見たことがない新料理を沢山開発し、料理長になってたった一年で大陸一の料理人と言われるようになった。その為、我が家で夜会や茶会が開かれる折には大陸中の名家から招待を願う嘆願状が我が家へ送られてくる。
またそれにプラスして国王陛下や他国の王族からジルの引き抜きを願う手紙も送られてくる。
一度、どのような内容か気になった私は、ジルに許可を貰って国王陛下とお隣の同盟国である我が国と同程度の国力を持つ帝国の皇室から送られてきた二通の手紙に目を通させてもらった。そして書かれてある内容に度肝を抜かれた。何故なら手紙に書かれている給金の条件が破格であったからだ。
その条件が、一般的な王宮や皇室の総料理長に支払われている給金である年、金貨百二十枚枚(金貨十枚が一般人の年俸)をゆうに越す、年金貨千二百枚という破格の条件であったからだ。
その金額を見た私は年、金貨六十枚しか払えていないのが申し訳なくなり、ジルに遠慮する必要はないと言ったが、ジルは自分はこの家の料理長である前にあくまでソフィアの専属料理人であるからと言って一度も首を縦に振ることは無かった。
そんなジルが、ソフィアに何も言わずに自殺を図ろうとするなどただごとではないだろう。と、思っていると執務室の扉が開かれ、今年の春に王立貴族学園を卒業して少し大人っぽくなった(胸はない)長いブロンドの髪を一つにまとめサファイアのように綺麗な瞳に涙を溜めた可愛い可愛い私の妹ソフィアが執務室に入ってきた。
「ジル!何があったの!」
「お、お嬢様………」
執務室に入ってきたソフィアは兄である私に構うことなく、ソフィアが部屋に入ってきたことで立ち上がったジルの胸元に飛びついた。
「お、おい、ソフィ「セブルスに聞いたわ!なんで死のうとしたの!」ア…」
「も、申し訳ございません…お嬢様」
「申し訳ございませんじゃなくて死のうとした理由を聞いたの!」
ソフィアに声をかけたのに完全に無視をされてしまった私は少しショックを受けたが、ソフィアならばジルから理由を聞き出せるかもと思い、全力で気配を消して空気になるように徹した。
「……………じ、実は」
「実は………」
「しょ、食材の味が分からなくなってしまい…最高の状態で料理をお嬢様にお出しすることが出来なくなったので………それを知られるくらいならば死んでしまった方がいいと思いまして……………」
味が分からなくなった。そうジルが言った瞬間、私はこれが夢ではないかと思い自分の頬を抓った。しかし、現実は非情だった。私が頬を抓っても目の前の光景は変わること無く、逆に現実を突きつけられた。
ジルは完璧主義者で、人に出す料理はまず自分で食べて納得がいかなかったら、どんなに量が多くても誰にも口をつけさせることなく一人で平らげていた。そんなジルが味が分からなくなったとなれば自分で包丁を胸につき立てようとしたのにも納得が行く。
そして私は、ジルのために何かできないかと考えようとした瞬間…
バチンッ
という何かを叩くような音が執務室に響いた。
音に驚いた私はジル達の方を見てみると、ソフィアがジルを叩いていた。それを見た私はソフィアを止めようとしたが次のソフィアの言葉を聞いて動きを止めた。
「ジルのバカ!なんで味が分からなくなったからって死のうとするのよ!治るかもしれないでしょ!それに味がしなくなったら私に相談くらいしてくれてもいいじゃない!バカ!ばかばかばか………ばかぁ………………」
ソフィアの声は次第にしりすぼみになっていき、最後はすすり泣き始めた。
そして普段は大人しいソフィアが泣いているのを見た私は、取り敢えずこの状況をどうにか出来そうなジルの方を向いてソフィアを泣き止ませるようにと、ジルに念を送る。
「す、すみませんお嬢様、私がバカでした。ですからどうか泣き止んでください」
「うっ、ひっ、ひぅ、じ、じうがもうしなないっていあないと………にゃ、にゃきやあにゃい………」
「わ、分かりました!も、もう自殺しようなんてしません!だから早く泣き止んでください」
「………わ、分かった」
そう言うとソフィアは一度ジルから離れてポケットからハンカチを取り出し涙を拭って再びジルに向きあった。
泣き腫らしたソフィアの顔を見て、これはこれでアリだなと少し思考が脱線しかけたがソフィアが泣き止んだことで私は一安心して、これからどうなるのかと思い再び二人を再度見つめる。
「「……………」」
しかし二人は黙って見つめ合うだけで何も起こらない。そしてとうとう私の痺れが切れそうになった頃、ソフィアが口を開いた。
「味を感じるようになるまで、ジルは私がお世話する」
「お、お嬢様!」
「ほら、こっち。お兄様には後で言うから」
「お、お嬢様、ちょっと、ちょっと待ってください!」
パタン
「……………あれ?」
いきなり口を開いたソフィアは、小さい頃のような口調でジルを世話すると言うと、ジルの腕を掴んで引っ張っていった。
そう私が口を挟む前に…
—————
その日からというもの、ジルは療養休暇を取りソフィアは毎日のようにジルの家に通った。ジルの家の周辺の住民は、まさかソフィアが伯爵令嬢だとは思っていなかったらしく、特に危害が加えられるような素振りは見えない。
しかし、それでも心配だった私は、こっそりソフィアに護衛をつけたり時には私自ら護衛と称して後をつけた。そして、時たまものの陰から二人を観察する。
私が観察している時に見たのは…
「ジル、美味しい?」
「すいませんお嬢様………まだ、
味が分かりません」
「別に気にしなくていい。気長に頑張ろう」
「………はい」
こんな話をしながらソフィアがジルにアーンをしたり…。
「お嬢様、その袋お持ちしますよ」
「むっ、お嬢様じゃない。ソフィー」
「で、ですがお嬢…「ソフィー!」…そ、ソフィー」
「そう、それでいい」
買い物をしながら恋人のような会話をしたり…。
時にはソフィアがジルの家に泊まって…
「そ、ソフィー!僕と同じベットで寝るのは流石に!」
「気にしない気にしない」
と、ソフィアに引っ張られてひとつのベットで仲良く二人で寝たりしていたものだった。
私は勿論、ことある事にその場に飛び出してやろうとしたが、その度に一緒に来ていた衛兵達に止められて失敗に終わった。そして最終的に対応しきれなくなった衛兵から妻に告げ口され、三時間ほど説教されたことで私は、大人しく二人を見守ることに徹するようになった。
そして、そんな生活を続けること三年。とうとう、わざわざ毎日ジルの家に行くのが面倒くさくなったソフィアはジルの家で暮らすようになった。
初めてソフィアからジルの家で暮らすと聞いた時は反対したが、何度も何度も私を説得しに来たソフィアの熱意に折れて、許可をした。正直に言えばまだモヤモヤはとれないが、ソフィアがジルを連れてきた日から、ソフィアの気持ちを知っていた私はとうとうソフィアも私の元から旅立つのかと、少し寂しい気持ちになった。
だがしかし、未だジルの味覚が戻ることは無い。
この三年の間、私も何とかジルの味覚を元に戻すために情報をかき集めて、薬などをジルに飲ませてみたが一切効き目はなかった。そしてもう殆どあてがなくなり、可能性があるものがあと一つだけとなった時私は執務室で絶望していた。
その理由は、残された可能性というのが治癒の女神の加護を持った人間に癒してもらうしか無くなったからだ。
治癒の女神の加護は加護の中でも希少で、食の神の加護と同じく片手で余るほどしかいない。そして現代に治癒の女神の加護を持った人間の報告はない。もし、いたとしても我が家の力で見つけることができるか分からない。
そのため、最早ジルの味覚を取り戻すことはほぼ不可能となった。
そしてとうとう私は………
「クソっ、もうどうしようもないのか………」
執務室で自分の無力さを嘆いていた。するとそんな時、慌てた様子のセブルスが部屋に入ってくるなり大きな声でこう言った。
「失礼します旦那様!ジルの味覚が戻りました!」
「な、何だと!」
—————
セブルスの報告を聞いた私は急いでジルとソフィアが待っているという食堂に向かった。
食堂に着くと既に私の妻とジル、ソフィアが居て、私の妻に向かい合うようにジルとソフィアは二人並んでテーブルに着いていた。
そして食堂に私が入った瞬間、ジルが立ち上がって地面に額に擦り付けた。
「旦那様!申し訳ございません!」
「ど、どうしたんだいきなり。別に休んでいたことに対して私は怒っていないぞ。味覚は元に戻ったんだろう?めでたいじゃないか」
いきなりのジルからの謝罪に困惑した私は別に怒っていないと伝えたがジルは顔を上げようとしない。
そんな状況をどうにかしようと思いテーブルに着いている妻とソフィアの方を見てみると二人とも顔を下に向けて俯いていた。
そして自分でどうにかしようと思い色々見てみるとソフィアのお腹が少し膨らんでいるように見えた。
「ま、まさか………ソフィア、子供ができたのか?」
「…………………………………………………………………………はい」
小さな小さなソフィアの返事を聞いた私は、複雑な感情に支配された。
このどうとも言えない感情をどうにか整理しようとするが全くできない。そして数十分かけて自分なりの解決策を考えた。
「………ジル、立て」
「………はい」
私が突然そう言ったからだろうか、食堂にいた皆が私に注目した。そしてジルが返事をして立ち上がった瞬間、私は勢いよくジルの右頬目掛けて拳を振り上げた。
するとジルは、勢いよく吹っ飛んでいき地面に倒れた。
それを見た妻とソフィアはジルに駆け寄ろうとしたが、私は手で制して近寄らせないようにして、ジルの元に向かいしゃがんでジルの胸ぐらを掴んだ。
「ジル、お前はクビだ。さっさとこの家から出ていけ」
そう言った私は乱暴にジルの胸ぐらを離して食堂の入口に向かった。
そして食堂から出る前に立ち止まって振り返らずにはこう言った。
「ソフィア、お前もこの家から出ていけ。そして二度とこの家の敷居を踏むことは許さん………だからさっさと荷物をまとめてどこかいい家でも探しに行くんだな」
「………お兄様、ありがとうございます」
—————
その夜、ジルとソフィアは荷物を纏めて王都から出ていった。
そしてソフィアとジルが王都を出ようとしている時、とある伯爵はふとあることを思い出した。
「そういえば、食の神と治癒の女神は夫婦だったな」
と。
——————
とある王国の王都の外れの小高い丘には人気の料理店がある。
その料理店で出される料理は、食べると不思議と力が湧いてきて、ちょっとした病気であれば食べるだけで回復した。
そしてそんな料理店を覗いている二柱の神がいた。
「貴方、あの子達…幸せそうね」
「あぁ、幸せそうだな」
二柱の神、神と女神は映像の映る水晶を二人仲良く隣り合いながら見ていた。そして少しの間の沈黙が訪れる。
「そういえば、旦那の方が味覚障害になった時はどうしようかと思ったわね」
「ふん、あのくらいの困難なら乗り越えられると思ったんだ」
突然の女神の発言にムッとした神は厳つい顔に似合わず頬を膨らまして抗議する。
「でも、私が女の子に加護をあげなかったらどうなっていたことやら」
すると、拗ねた様子の神を可愛く思った女神は頬をつつきながら話を続ける。
「ふん、その時はその時で考えたさ」
「ほんとかしら」
「もういい!俺は寝る!」
「あらあら、全く…早くご機嫌をとってあげないと」
女神に頬をつつかれながら弄られ続けた神はとうとう頭にきたようでずんずんと足を踏み鳴らしながらどこかえへ向かう。その様子を見た女神は慣れた様子だが、一応追いかけようと腰をあげる。そして最後に………
「さて、私達の可愛い子を見守るのももういいかしらね。では、可愛い可愛い神の子に永遠の幸があらんことを」
女神が祈り、水晶の映像が消える前に映っていたのは、料理店を切り盛りする夫婦に見守られながら、お忍びでやってきた伯爵夫婦によちよち歩きで料理を運ぶ、小さなブロンド髪の天使のお手伝いさんだった。