第七話 「借り」
ちびり、と少しだけコーラを口に含み、飲み込んだ。炭酸が、喉のあたりでシュワシュワしている。
ふー、と息をつき、手鏡で自分の顔を見てみる。
目は真っ赤だし、髪はぼさぼさ。
髪だけでも整えようかと思ったが、誰に見せるわけでもないのでやめておく。
テレビもつけてないし、ユーチューブも流していない。時計が、一秒毎に規則正しく刻む音だけが、リビングには聞こえていた。
スマホをちらりと見てみる。グループラインは全てミュートにしているというのに、通知が数十件も来ていた。いつもなら、慌てて確認する所だけど、なんだか今日はそんな気力もない。
また、ちびりと少しだけコーラを飲んだ。
「私……間違ってたのかな……」
答えは無い。聞こえるのは、時計が刻む規則正しい音だけだった。
◇◇◇
ぐびり、と水を飲む。ごくり、と喉を通し、体内へと取り込んだ。
頬に手を触れると、まだ熱を持っていることが分かった。実際、頬も少し痛む。
ペットボトルを頬につけて冷やそうとはしてみたが、ペットボトル自体ぬるかったので、特に意味はなかった。
さっき陰山さんは下に降りていったようで、この部屋には何の音もしない。集中できないから、陰山さんの泣き声を聞こえないようにする、という最初の目標だけは達成できたようだ。
しかし、それが達成できたというのに、何かをしよう、という気力はなかった。さっきからゲームや漫画に触れては、結局やらずに床に置く、という作業を繰り返してる。実につまらない作業だ。
ぐびり、と再び水を喉に流し込む。
「やっぱり、俺なんかじゃ意味なかったのかな……」
と、ぼそりと呟いた時、まるでその返事をするかののうに、スマホが震え出した。
電話のようだ。
俺にかけてくるような奴は、中野か陽川くらいだろうから、そのどちらかだろう。大体、他に俺の電話番号を登録してるのは母親くらいなものだ。
そんなことを考えながらスマホを覗くと……
「知らない番号?」
名前ではなく、番号が画面に映っている。
間違い電話か?
多分そうだろう。というか、それ以外にはないだろう。初対面の人と話すとかハードルが高すぎる。よし、出ないでおこう。
そう決めて無視していても、いつまで経ってもバイブは止まらない。いや、止まりはするのだけれど、止まったら十秒と経たずにかけ直される。
痺れを切らし、文句の一つでも言ってやろうと通話ボタンを押して耳を当てると、
『出るの遅い。下、来い、早く』
ツーっ、ツーっ、ツーっ……。
「切られた……」
言いたいことだけ言われて、こっちが何か言う間もなく、切られた。
「今の、陰山さんだよな……?」
一瞬聞いただけでは確信はなかったが、下に来い、と言うなんて陰山さんくらいしかいないだろう。
無視する方法もあるが、後が怖い。ただでさえ怒鳴り合って後が怖いのに、その上罪を重ねたら、何をされるか分かったもんじゃない。
俺は重い腰を上げて、ドアへと向かった。そのまま階段を降りて行き、リビングの前のドアの所で立ち止まる。
下に来い、というのは、自分と話し合え、という意味だろうか。それとも、廊下で立ってろという意味だろうか。
さすがに廊下はないよな……と思いつつ、陰山さんを呼び出すためにドアをノックした。
何でこの家のれっきとした住人である俺が、リビングに入れない上に、人を呼び出すのにノックなんてしないといけないんだよ。ま、仕方ないけど。
「入って」
「…………入るのか?」
「入って」
言葉を変えずにそう繰り返され、ようやく意味を理解した。どうやら、俺がリコーダー窃盗の容疑をかけられていた時以来の、リビング入室許可らしい。
数ヶ月振りに、リビングに入った。前に入った時には三年振りだったので、前ほどの感慨はない。
それにしても、どういう風の吹き回しで俺をリビングに入れようと思ったのだろうか。それも、ついさっきまで俺をビンタしまくる程に怒り狂っていたというのに。
「早く、座って」
椅子に座っている陰山さんは、さっき見た格好と全く変わっていない。髪もぼさぼさのままだし、目もまだ赤い。
陰山さんは俺の方を見ずに、コップの中のコーラを何が楽しいのかひたすら見つめていた。
まあ、さすがに俺だって、さっきまで怒鳴り合ってたんだから、中々に気まずい。
俺が無言でぼさーっと立っているのを見兼ねたのか、再び陰山さんが、「早く座って」と促した。
座れと言われたので椅子を引こうとした時、ふと前にリビングに入った時のことを思い出した。
そうだ、あの時は椅子に座ろうとして、『お前が座るのは床で十分だよ』みたいなことを言われたのだった。
またそう言われるのは御免なので、言われる前から床に正座をする。
「え、なんで床に正座?いや、したいなら構わないんだけど……」
「いや、したくはないけど、前させられたし……」
「前は前、今は今」
何を言っているんだろう、この人は。
取り敢えず、許可されたようだから椅子を引いて座った。あ、この椅子に座るのは三年振りだな。
「あの……あんた、さっき言ってたよね。紫音と中野先輩がどうって」
それが気になったのか。まあ、そうでもなければ、あそこまで怒っていた状態で、俺をリビングに入れようなんて思わないよな。
「ああ、今日会ったからな」
「……何か。何か、言ってた……?」
「ああ、言ってた。二人ともな」
「なんて?」
「二人とも同じようなこと言ってたぞ。俺に、お前のことを頼むって。俺に頼んだ所でって感じなのに」
「そう……」
「……」
しばらくの間無言が場を支配した。さっき怒鳴り合ってたこともあり、いたたまれない雰囲気になりかけていた所を、先に沈黙を破ったのは陰山さんの方だった。
「……ねぇ、私の話、聞いてくれる?」
「……本当は、聞きたくない。多分聞いていて面白い話じゃないだろうし、それを聞いて面倒事に巻き込まれるのも嫌だ」
「……そう」
「でも、さっきあんなに偉そうなことを言ったんだ。なのに聞かないなんて、それは間違ってるはずだ。だから、聞きたくはないけど、聞く」
「さっきって言ったけど、今も十分偉そうよ。何様のつもり?」
「いいから。早く話せよ」
「だから何様のつもり……。ま、いいや。ここに引っ越してきたの、いつか覚えてる?」
「中二の時だったな。二学期くらい」
「そ。それで、私は中一だった。元々地元の小学校って土台がある上に、既に二学期で、グループなんかも出来上がってて。そんな時に最初に私の友達になったのが紫音なのよ」
あ、そんな所から話し始めるのね。友達と仲良くなった経緯とか、あんまり聞いてて楽しくないんだけど。
なんて俺が思ってるのを知ってか知らずか、陰山さんは話を続ける。
「まあ、それで高校も同じで、今年はクラスも一緒だったから、同じ岩崎藍花っていう子のグループにいたんだよ。でも、紫音はそのリーダー格の子に嫌われちゃったみたいで、今はハブられてるの」
終わったらしい。なんかすぐ終わったな。
「まとめると、中学からの親友が自分の所属してるグループ内で嫌われましたっていう話か。」
「なんか、あんたに言われると内容が薄っぺらくなった気がするけど」
「で?」
「?」
「で、それでお前は何をしたんだよ。お前も、何かしたんだろ?」
「紫音を無視しないと私もハブられるから……ほ、本当は……!」
「本当はやりたくなかったけど仕方なく、とか言うのか?」
図星をさされたのか、陰山さんはビクッと体を震わせた。
「ふざけんなよ!?お前、あれだけ俺のことを裏切っただの何だの罵っておいて、自分は仕方がないっていうのか?どんだけ自己中なんだよ!」
「ち、違っ!私はっ!」
「違くないだろ。グループからハブられるのは怖い、でも村山を真正面からハブることも出来ない。そんなどっち付かずで優柔不断な態度を取っておきながら、自分が一番の被害者ぶってんのかよ!村山の方が、ずっと可哀想じゃねぇかよ!」
出るわ出るわ。
さっきの怒鳴り合い含め、今まで思ってなかったことさえ、勝手に口から飛び出していく。意識さえしてなかった今までの陰山さんへの恨みや怒り、そんなものを勝手にのせて、舌はべらべらと回っていく。
怒ると滑舌がよくなるというが、本当みたいだ。いつもなら噛まずにこんな長いセリフ吐けないだろうに。
「わかってる!わかってるよ!私が、一番酷いことしてることくらい。
グループを取るならば紫音を捨てるべき、紫音を取るならばグループを捨てるべき……そんなことは分かってるよ……」
陰山さんの声は段々と萎んでいき、最後の方なんて、かすれていて聞き取りづらかった。
「分かってても、出来ないんだよ……。グループを捨てるって言っても、そこからハブられるだけじゃなくて、その中にいる人とも仲が悪くなっちゃうんだよ。
グループの中にも、特別仲がいい人もいる。そのみんなと仲が悪くなるのは嫌。でも、紫音がハブられて一人になってるのも嫌」
ぽつり、ぽつり、と涙がテーブルに落ちては、黒い染みを作る。
どう答えたらいいかが分からない。泣いている陰山さんを見るなんて、本当に何年振りだろうか。多分、あの時以来だ。
さっきまで泣いている声は聞こえていたが、聞くのと見るのとでは大きな違いがある。
友達と拗れた経験、なんて俺にはないに等しい。あの小四の時のことは、それに近いかもしれないが、あれは参考にならない。なにせ、あれは結局関わった全員に爪痕を残した、最悪の結末を迎えたのだから。
そんな俺に聞けることとすれば……
「なぁ、陰山さん、お前はどうしたいんだよ」
「わかんない。わかんないよぉ。どっちが正解でどっちが間違ってるかなんて、わかんない。でもさ、辛いんだよ。どっちを選んでも……」
彼女は大粒の涙を落としながら、肩を震わせて嗚咽を漏らす。
いよいよどうすればいいのか分からない。
「結局一番の被害者は紫音で……、私は加害者にも被害者にも傍観者にもなるのが怖くて、ただただ怖くて辛くて悲しくて……。もう嫌なの!
なんで、紫音は嫌われちゃったのかなぁ?なんで、私には紫音を庇う勇気がなかったのかなぁ?
教えてよ……。私は、どうすればいいの?」
俺こそ教えてもらいたい。
数ヶ月振りに長時間話している妹が、大泣きしてるけど、どうしたらいいのか。知恵袋とかにアップしたら誰か答えてくれるかな?
「ねぇ、助けて!
今まで散々酷いことをしてきて、今更よくこんなことが言えるなっては自分でも思う。でも、他に頼れる人がいない……。
お願い!お願い……どうか、私を助けて……!」
いや、助けてって言われても、俺に何が出来るわけでもない。俺なんかに頼った所でどうにもならないことくらい、こいつも分かってるだろう。
なのに、なんでどいつもこいつも俺に頼るんだよ。
中野も、初対面だってのに村山も、どうして俺なんかにどうにかできるなんて勘違いができるんだ?
大体、本当に虫が良すぎるだろ。
さんざっぱら俺のことをいじめ抜いて、自分がピンチになったら助けてって言うのかよ。俺はアニメや漫画の主人公じゃない、過去は水に流せばいい、なんて単純な思考回路の持ち主じゃない。
こいつ、自分がどれだけ俺を痛めつけてきたのか理解してるのか?
大体、俺にはこいつを助ける筋合いなんて……
「お兄ちゃん!助けてよぉ!」
お兄ちゃん?こういう時に限ってお兄ちゃんかよ。
俺のことをどんだけチョロいと思ってんだ。こんなやつの手助けなんてしてやるかよ。
誰がお前のことなんか……。都合の良い時だけお兄ちゃんだなんて言ったって、俺はお前のことを妹だなんて思っちゃいない……
そう言えば、俺がリコーダー窃盗犯疑惑をかけられた時に、放送部部長の権力で手助けしてくれたのはこいつだった。
合唱コンクールの時に陽川の体育館履きを盗み、陽川を教室に向かわせたのも、電話を通して体育館に俺と陽川の会話を放送したのもこいつだった。
高二になってから色々と面倒なことに巻き込まれたが、結局こいつは解決に手を貸してくれた。
『赤音のこと、頼みましたよ?』
『もし何かあったら、黒人君が助けてあげてよね』
『お兄ちゃん、助けてよぉ!』
これは、許したわけではない。
これまで、俺を散々痛めつけてきたことを、許したわけではない。
ただ、借りを返すだけだ。
ただ、なんだかんだ世話になっている中野と、無罪の被害者の村山のために、するだけだ。
断じて、こいつを思ってやるわけじゃない。
そう、断じてこいつを思ってやるわけじゃない……が、助けてやろう。
どう助ければいいのか、俺なんかで役に立つのか、皆目見当がつかない。
……でも
「任せとけ。俺が何とかしてやる」
かなり長くなってしまいました。前話と合わせると、いつもの文字数でいう三話分あるのかな。
でもまあ、この回で黒人の協力は取り付けられたので、次回から本格的に動き出せるかな、なんて思ってます。




