第十五話 「嵐の前でも騒がしい」
水曜日。
合唱コンクール当日だ。
学生のどれだけがこのイベントを楽しみにしているのかと聞かれれば、ほぼゼロであろうこのイベント。でも、朝から浮ついた空気が漂っていた。
ちなみに、今日も途中までは通常授業だ。五時間目終了から小一時間程して始まる。
いっそのこと今日を合唱コンクールだけにしてしまえば、それを楽しみに思う人も増えるんじゃないのか?ま、でもそういう人は合唱コンクールが楽しみなわけじゃないだろうけど。
ちなみに、合唱コンクール前に何があろうと、俺にはあまり関係のないことのはずだった。どうせ俺は口パクしかしないし、好きなイベントになることは無いはずだった。
しかし、今年は少し違う。
別に、好きになったわけでも、楽しみなわけでもない。どちらかと言えば、来て欲しくなかった。でも、永遠に来られないというのは困る。
そんな色々な感情がごちゃ混ぜになったまま迎えた合唱コンクール当日。
ちなみに、俺は朝から気分が重かった。
今日やることを考えたら、自然とため息が溢れでるほどに。
不安要素が多すぎるのだ。
まず、陰山さんが他クラス他学年ながら作戦を実行できるか。そして、名前も覚えていない陽川の友人の黒髪の少女が、ちゃんと役目を果たせるか。
そして、俺が最後の最後になって逃げ出さないか。
俺は、昨日の夜に陰山さんには計画を全部話した。そして頼み事をし、それが可能かどうか、可能ならばそれをどう実行するのかを尋ねた。
しかし、返ってきたのは『なんとかするから黙って見てて。あ、あとお金ちょうだい』というお金の催促だけだった。
要するに、俺は陰山さんがどうやって俺からしたら不可能に思えるものを実行するのか、俺は知らない。
そして、黒髪の少女の作戦の成功は、ほとんど陽川の気分次第となっている。
その上、俺は土壇場で躊躇うチキンときた。
この状況下で不安じゃない方がおかしいだろ。
「はぁー」
「今日はため息が多いわね。こっちまで気が滅入る」
「ん?あー、そうだな」
昼休み。既に昼食は食べ終わり、俺は俺の机にやって来た中野と会話中だった。いや、五割以上が沈黙なんだけどね。
「そんなに今日の仕事が嫌?えと、誰もいなくなった校舎の見回り……よね?別に、幽霊なんて出ないから怖がる必要はないわよ」
「いやいや。そんなのを怖がってるわけじゃないけど」
「それに、元々の無線の仕事よりは楽でしょ?人とも話さなくて済むし」
こいつは俺の生態をよく知ってるな。同じぼっち同士だからだろうか。
しかし、俺がこうも憂鬱なのは、決して仕事のせいではない。
とはいえ、どれだけ嫌でもここまで来てしまえばもう後戻りは出来ないのだ。
それに、俺はあの陽川の友人の黒髪の子に、この作戦は絶対に陽川のためになる、と啖呵を切ってしまったのだ。
こうなれば、あとはやれるだけのことをやるしかなかろう。そんなこと言っても、この作戦の大部分は俺ではなく、他の人がやるんだけど……。
「本当に、気分が悪そうね。そこまで何が嫌なの?」
「言ってしまえば、全てが嫌だ」
「黒人君、あなたテロでも起こすつもりじゃないでしょうね?」
きっとこれを中野は冗談のつもりで言ったのだろう。普通、テロなんて起こす奴はそこら辺にいないしな。
でも、今は笑えない。
これから俺がやるのは一種のテロみたいなものだ。
何も言わない俺を不審に思ったのか、中野はもっと何か言おうとしてきた……が、それは無理矢理止められる。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムだ。
合唱コンクール前の最後の授業、五時間目が始まろうとしているのだ。
「何かあったなら言ってね。別に、その仕事代わってあげてもいいから」
中野は、俺のことを本気で気遣ってくれているようだった。俺には、それがとても嬉しくて、それ以上にとても申し訳なかった。
それに、この仕事は代わることができない。俺がやるしかないのだ。
俺は、騒がしいクラスの中、ぽつんと空いた穴――陽川白乃の席を見て、再び覚悟を決めた。
これは、俺にしかできない。だから、やるしかない。
◇◇◇
「よし、あと十分程くらいで教室を出て体育館に向かうぞー。体育館履きを準備しとけー」
五時間目は終わり、あと少しで合唱コンクールも始まろうとしている。そのため、全員テンションが高く、クラス中は騒がしかった。
しかしそんな中、俺は焦りに焦っていた。
なぜなら、陰山さんがまだ来ていないからだ。
陰山さんに頼んだことは、今でないと実行不可能なはず。この体育館に向かうまでの僅かな時間、これだけが陰山さんが動ける時間なのだ。
それなのに、一向に陰山さんは現れようとしなかった。
もしかして、陰山さんは途中で諦めたのだろうか。確かに、俺からしてもあれは不可能に思えた。だけど、やると言ったのだから陰山さんはやると思っていた。
しかし、結果としてこうなった。ならば、バレるリスクを冒してでも俺がやるか?
でも、バレてしまえば全てが水の泡だ。
なら、ここはやはり陰山さんを待ち続けるべきか?
俺はそんな答えの出ない自問自答を繰り返し、唸りながらドアを凝視していた。
本当に来ないとしたらどうするか、そんな最悪な想像ばかりが脳裏に過ぎる。
そうしている内に、一分また一分と時間は過ぎ去り、既にクラスのみんなは教室を出る準備をし始めている。
これでは間に合わないんじゃないか?
よし、と俺は立ち上がる。
もう自分でやるしかないだろう。
しかし、覚悟を決めたところで、『どうやってやればいいんだ?』という疑問にぶち当たり、結局、やり方が分からずに俺はまた座る。
もうこれは詰んだかもしれない。俺には何も思い付かない。こんな計画は最初から無理があったのかもしれない……
と、そう俺が諦めようとした時、ドアはガラガラと開けられた。
そこに立っていたのは、果たして陰山赤音だった。
俺は、もう来ないと考えていた陰山さんの登場に驚き、前のめりになる。
というか、さっきから後ろの人が俺を不審者を見る目で見ているんだけど。いや、実際に挙動不審ではあるけどね。
しかし、陰山さんが来ないという最悪な展開は回避できたが、まだ陰山さんに策があるとは限らない。
だから、安心しきることはできない。
「お、赤音ちゃんじゃん!」
「陰山ちゃん、久しぶりー」
「何しに来たの?」
という感じで、陰山さんは歓迎される。兄妹の格差がありすぎるだろ。俺が入っても、見てから直ぐに目を逸らすっていうのに。
それに、最後の言葉とか、相手が俺であれば『何しに来たんだよ、帰れよ』って意味なのに、陰山さんだと『どうしたの?手伝おっか?』に聞こえるのだから、日本語難しい。
「あー、ちょっと。中野先輩に会いに」
と言って、陰山さんは少し遠回りをしながら、中野の席に向かった。
その時、目に入ったのは陰山さんの持つ、真新しい緑色の袋だった。
それは体育館履き入れだ。この学校には体育館で履く用の靴があり、さらにそれを入れる袋もあるのだ。その袋を、今陰山さんは持っていた。
普通ならば、それがどうした、体育館に行くんだから当たり前だろってだけの話だが、今は違う。
陰山さんに頼んだことを考えたら、多分あれには意味がある、とそう思わずにはいられなかった。
俺がそんなことを考えている間に、陰山さんは中野の席に向かう。遠回りをして――そう、なぜか陽川の席の横を通って。
そして、陽川の席の横を通った瞬間、陰山さんは盛大にこけた。
あまりのこけっぷりに、少し驚きながらも周りは「大丈夫?」と、次々に言葉をかける。
それに、「大丈夫だよー」とか返しながら、陰山さんは立ち上がった。
そして、陰山さんは転んだ拍子に落としてしまった体育館履き入れを拾った。しかし、その緑色の袋は、さっき陰山さんが持っていた物よりも色が褪せているように思えた。
ああ、なるほど。
納得がいった。体育館履き入れを持っている時点でそれを使うとは考えていたが、ああして転んで入れ替えるとは思わなかった。
俺が頼んだのは、体育館履き入れの中身の入れ替えだといのに、陰山さんはそれ以上のことを実行してみせたのだ。
あれ?それにしても、あの体育館履き入れは誰のなのだろうか。
陰山さんのだとしたら、陰山さんが体育館に入れなくなるし……。
と、そこで昨日の会話を思い出す。
昨日、作戦に必要だからと言われて奪われた、俺の三千円。
「あ!はぁー」
大きな声を出した後、ため息をついた俺に、後ろの席の人は少し距離を取ってきた。いや、不審者じゃありませんから!
でも、この作戦にお金がかかるとは、とんだ誤算だな。
とはいえ、これでギリギリではあるが第一関門突破だ。
「おーい、お前ら、体育館行けー。あ、陰山は残れよー、仕事あるからな」
という先生の声がかかる。
そう、まだこれで終わりではない。むしろ、ようやく始まったのだ。
俺のこれからを大きく変えることとなる、合唱コンクールが。
この話で十万字突破です!
いやー、長かった。
あと二話で、この作戦の全貌が分かります。
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