第36話 VSうみへび座_人斬り協奏曲
「っ!情報より形態変化が速い。流石にβまんまじゃないか…」
意図的な変化が起きたということは、ユノ側の強引な干渉か予め決められていたヒュドラの形態変化に合わせたものと思われる。それを聞いたアイシャは、すぐに姫へと連絡する。
「姫、全体にチャット連絡。第二形態の可能性有り。プランBへ移行」
「了解」
戦闘中のシオン達に連絡が来たのは、そのすぐ後であった。突然、通信役をしていたノイが声を荒げた。
「やばっ!アルテシアさんから緊急連絡、『第二形態移行の可能性、近接アタッカーチームは全員一度撤退』だって!」
「特に変化が起きたようには見えないけどね…」
月下の言うようにうみへび座の動きに大きな変化は見えない。未だに足下を払う行動しこせず、死角に入り込んだプレイヤーに向かってヘイトが移る様子もない。彼女が考えていたことは、他の参加プレイヤー達も同様に思っていたようで、アイシャの撤退という判断にすぐさま賛同する者は少なかった。
「まだ、いけそうなのに上は何考えてんだ?」
「あれじゃね?手柄横取りとか」
「もしかして、俺たちに削らせて自分が楽するための共同戦線だったのか?」
そんな根も葉もない憶測が飛び交い、近接アタッカーチームは、どこも動こうとしなかった。
「私たちはどうする?」
「一応アイシャさんのことだし、考えはあるんだと思う。本当に横取りなら近くにいるアオイさんが個人チャットで連絡してくるはずだし」
「それもそうね…皆さん!近接アタッカーチームは一度撤退して!」
月下が、他のチームに呼びかけると、3人の会話を聞いていたところもあったのか、一つまた一つと戦線から撤退し始める。
それに対して、命令を無視してちまちまと攻撃するチームもいた。
「後ちょっとくらい大丈夫だろ」
「すぐに凶暴化するわけねぇしな」
彼らは、モンスターが変化するならもっとプレイヤーにわかりやすい予兆があると自身の経験から信じていた。長年伊達にゲームをやっているわけではない。何かの動きが見えるまではここに居よう、そう考えていた。
彼等が違和感に気づいたのは、数秒後のことである。一人のプレイヤーが急に目の前がポリゴン状になって消えた。何事かと目を奪われたのも束の間、気づくと強風が彼に襲いかかる。
「えっ…」
彼は、その後言葉を紡ぐことなく殺された。幸い、この状況を見ていたプレイヤーがすぐに事の重大さに気づき声を上げた。
「魔法だ…あのヒュドラ、魔法で攻撃を…」
「違う…何かが猛スピードで駆け回りながら攻撃してる…」
沼地に着いたアイシャがそう判断したのは、やられたプレイヤー達は皆膝下部分が残りそれ以外が先にポリゴン化して消えているのを見てしまったからだ。
「何かがいる…結構大きい…ヒントでもいいから何か…うみへび座の特徴は………あ…最悪」
「理解した…ヒュドラの名前をヤマタノオロチにしたわけが…」
アイシャがラプラスの方を向くと、彼は喜怒哀楽が苦手だというのに、見抜けなかった自身への苛立ちからか一目でわかるほど眉間にシワが寄っていた。
「最悪…単純な言葉騙し…うざい…」
「ヤマタノオロチ…ほんと面白くない…グレイは言ってないしユノが足したのかしら」
グレイが送ってきたうみへび座ことレーネ湖のヒュドラことヤマタノオロチの情報は、大きく分けて三つ。一つ、形態変化は4段階、7割、5割、1割がトリガー。二つ援軍として何かが来る。三つ首は斬り落とせるが再生速度が速く対処には炎魔法が有効である。というものであった。
その中には、隠し首の情報はない。このことから、ユノはβテストのうみへび座へ施した改良は予想外なモノになったと考えられる。
先のことを考えて悩むアイシャの下に血相を変えたアイシャが走ってきた。
「おい、藍那!何が起きている?」
「くだらない子供騙し。ヒュドラの癖に日本で有名な名前を使われたからそう思い込んでしまった。ヤマタノオロチは神話だと首は8つ。でもあくまでアレはヒュドラであり、うみへび座であり、ヤマタなら首の数は…」
そこまで言われてアオイもくだらない子供騙しの内容に察しがつき絶句していた。気にせずアイシャは説明を続ける。
「9つ…ユノ…こんなの日本人しか騙せないでしょ…どんだけ殺意高いのよ」
「誰かが調子乗ってる所をユノに見られたかもな。あいつストーカー癖あるし」
合流したデッドマンがそう言うが、アイシャからすれば殴り飛ばしたいほど傍迷惑なプレイヤーである。
「とにかく、急いで近接アタッカーとタンクチームを引き剥がさないと…情報が錯綜したままじゃ全滅するわよ!」
「今確認した。離脱は半々ってとこ。近接アタッカーは後2チーム。ええと…チームXとNね」
姫が挙げたチームにアオイは心当たりがあった。
「まて、チームNはシオン達だ!」
「あぁもう!姫、シンに連絡!」
「もう送ったわよ!ラプラス、予測は!?」
「検算終了…足りない。チームNは全滅」
「ふざけたことを言うな!!」
ラプラスは、アオイに胸ぐらを掴まれるも表情は一切変えない。嘘を言っているつもりもないのだろう。しかし、アオイにはまだ会って数時間の男が言った言葉を鵜呑みになど出来なかった。
「姉さん、やめて!後はリミアが近い…ラプラス、私とあの子を計算に入れたら?」
「……それでも月下って人は死ぬ…後66秒」
「…最悪よりマシか…リミアに連絡!」
「本気か!?藍那!こんなふざけた予言を信じるのか?」
アオイは、ラプラスの言葉を信じて非情な判断を下したアイシャの肩に手をかけるも彼女はそれを振り払った。
「どれだけ頑張っても不可能はあるの!今の最適解を選ばずに二人死なせるよりマシよ!!」
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沼地では近接アタッカーチームが急いで戦線から離脱しよう走り出していた。
「みんな走って!」
「うみへび座がプレイヤーを沼地の中に引き摺り込んでる!捕まったら死ぬ!」
「よくわからない何かが飛び交っててわかりづらい…ノイ、シオン!後何人!?」
「こっちは…全員おっけー!」
「私の方に三人いる!」
「…わかった、私が引きつける」
月下は、アイテムバックから以前使っていた長剣を取り出すと、うみへび座に向かって投げつける。投げつけられた剣が都合よく一つの首の眼に命中すると、うみへび座は首を大きく振って怯み、別の首で眼に刺さった剣を抜くと、狙いを月下に変える。
「…ここまで上手く引き付けられるとは…どうしよ…」
序盤の戦闘ではアイシャの指示により、うみへび座を上手いこと攻撃できる陸地に引きづり出していたが、第二形態移行に伴って沼地へと戻った後は、武器である首にしか剣では攻撃できない。
「10秒でも稼げれば…」
そう言ったものの自分にはそこまでのことは出来ないと理解していた。それでもやるしかないのだと心に決めた彼女は剣を抜く。
そんな彼女を救おうと少し離れた位置からうみへび座に向けて全速力で走っているプレイヤーが居た。
「偶にはラプラスの予測以上の動きをしないとね…おっと!」
シオン達の救援へ向かおうとするシンの前にはうみへび座の首が三つ待ち構えており、牽制のつもりか口を大きく開いて氷のブレスを吹き付ける。
「それ聞いてないんだけど…面倒くさいなぁ、もう!」
一方、シンとは反対側からシオン達の所へ向かっていたリミアは、不意に気配を感じて足を止める。
「右…いや既に首でぐるりと囲まれてますねー成る程ー『見えない』ですかーこれはシンさんが間に合うのを期待しますかねー」
唐突にリミアの背後からシンと同じように氷のブレスが吹かれるが、彼女は間一髪の所で身体を右に転がしこれを避ける。
「やっぱり…二人とも捕まった…後38秒」
ラプラスが陣地で不吉な予言をする中、アイシャは出来るだけうみへび座に近づくと、手元の杖から魔法陣を展開する。
「とにかく当ててこっちにそらす!英雄魔法『ヴァイオランス』!」
撃ち出された紫紺の巨大槍は、真っ直ぐに月下の前にいるうみへび座へ向けて放たれたが、彼女を狙う首の内三つがブレスを吐き相殺して防がれる。
「それは知ってた。後…20秒…」
「ノイ、月下さんの所に戻らないとあの人死んじゃう!」
「行くよシオン!」
シオン達が戻ろうとするも助けていたもう一つのチームのプレイヤーに手を引かれる。
「君たちが戻ったら彼女の行動が無意味になる!それだけは絶対にダメだ!」
それでも戻ろうとするシオンは足から力が抜けてその場にへたりこむ。
そんなシオンの姿が戦闘中の月下には横目にチラリと映っていた。
(いつか向こうで謝らないとね…これは無理だわ)
月下の心の中では、五本の首対自分の五対一に諦めがつき始めていた。
(まぁ、最期くらい未完成でもアレ、やってみますか)
「延暦無双の月下流!奥義、『神楽耶』!」
月下の剣からスキル無しに放たれた飛ぶ斬撃は、真っ直ぐに進みうみへび座に命中する。しかし、未完成であったためか、スキルではないからか、その威力は乏しく鱗を斬り裂くことは出来ず、せいぜい突進してくる首が届くまでの時間をほんの一秒程度稼ぐので精一杯だった。
「あ……」
「月下さん!」
シオン達の叫び虚しく月下の眼前は大きく開かれたうみへび座の牙と口内に包まれる。それを見ていた者、そこに辿り着こうとした者、そして殺される者。三者三様に同じ結末を予測してしまったその瞬間、一瞬ほんの一瞬のことだったが、観測していたラプラスは突然不規則に動いた風の気象データから、ある未来を演算予知した。その結果に口元が僅かに緩む。
「あぁ…やっとぶれた。遅いよ」
ラプラスがその言葉を発した直後、突然北の空の果てが眩しく光り輝き、数多の紅い光弾が月下に襲い掛かろうとするうみへび座の首を正確に貫いた。アイシャ達が発射方向を見ると、地平線が続くだけで何も見えない。
「今の攻撃は…」
「アイシャ…もっとよく見て…予想外が来るよ…」
ラプラスが言った通り、アイシャが北を見つめていると徐々にこちらへ向かってくる飛行物体が見えた。
「鳥…違う……大きい何か…あれって…グリフォン?」
最初は小さな点だったそれは、僅か数秒でグリフォンと判別できるほど高速で飛行していた。やがて、全参加プレイヤー達を見下ろせる位置までくると、天目掛けて急上昇する。やがて、雲を突き抜けたグリフォンから飛び降りたと思われるプレイヤーが空から舞い降りる。そのプレイヤーは真っ直ぐに月下の下へと落ちていった。
うみへび座は、しばらくそのプレイヤーを見つめていたが、眼前の敵を殺しきるために、追加で新たな首を月下に向けて放ち突進させる。落ちてきたプレイヤーは、重力に身を任せ弾丸のように落ちていくと、空中で腰に掛けていた刀を抜く。その刀は鮮やかな鋼の光沢を光らせていたが、握り手が持ち手に力を込めると刀身が燃えるように紅く染まっていく。
そして、狙いをうみへび座に定めた彼は一振りの刀から絶対の一撃を放った。
「我流剣術一ノ型、月下流奥義破り『神楽耶狩り』」
先程の月下が放ったのより十を超えた太く波打つ斬撃がうみへび座に向かって放たれた。降りてきたプレイヤーであるヒューガの斬撃は、鱗に衝突した瞬間に、ばらけていた斬撃が細く一つに纏まることでうみへび座の首を上空から綺麗に一刀両断した。彼に救われた月下は思わぬ再会に言葉を漏らす。
「ヒュー…ガ?」
「……久しぶりです。何年ぶりでしょう?」
「あの、ありが…」
「あ、シン!久しぶりです!!後で一死合殺りません?」
月下のお礼など聞きもせずにヒューガは、シンの方へ合流するために向かう。
ヒュドラは、紅い光弾で1つ、斬撃でまた1つ首が落とされたが、9つの内2つ失った程度では怯むことなく、今度は狙いをヒューガに変えるため、シンやリミアに向けていた残り7本の首を回収し、内6本をミサイルのように素早く一直線に撃ち出した。
「残念、今日は僕だけじゃないんですよ」
ヒューガは、迫っているヒュドラの頭など目もくれない。慌てて月下が動きだそうとしたその時、空が眩しく光輝いた。
黒の星。魔人の翼で羽ばたき右手には桜色の魔法球。
「魔力直列最大開放:英雄魔法『アザレア・ストーム』」
蒼の星。水晶で作られた煌びやかな装備とルビーを彫って造られた杖は紅く輝く。
「宝石獣の武器庫、ルビーロッド、英雄魔法『コロナブラスター』」
橙の星。空を駆け抜け橙の拳はオロチを越える大きさの槍を創り出す。
「全能の籠手、エンチャントガーネット、英雄絶技『紅蓮迸レ闘神ノ槍』」
白の星。彼らの内最も神々しく輝く光は浄化の炎で大地を焼く。
「聖剣と力を見せよ、英雄絶技『太陽賛美』」
ただ一人、彼女は輝かず光にもならない。恨みに嫉妬に復讐心のみを込めた刃を振るう。
「乙女座直伝、悪党絶技勇者抹殺 木っ端微塵斬」
そして、大地の龍は十年の記憶からたった一度だけ行った対幽霊剣術で空へと昇る。
「…我流剣術三百六十五ノ型、怪奇流奥義破り『禍ツ風・改』!」
ヒューガを狙う首に向けて空から放たれた5つのスキルと地上からスキル無しに放たれたヒューガの黒い斬撃は、それぞれうみへび座の首を一撃で斬り落とし消しとばした。それと同時に、グリフォンから舞い降りた5人のプレイヤーが地に足をつける。
プレイヤーたちの多くは、見知らぬ突然の援軍に困惑してアイシャ達に説明を求めるが、アイシャ達も驚きを隠せない。何せシンから『グレイは中央エリアに寄った』という報告だけでは、たとえ予測できてもルキフェルの援軍もしくはエルミネを含めた彼らのパーティー単位での参加だった。
しかし、実際にきたのは明らかにオーバースペックな5人のプレイヤー達。確実にβテスターであることは間違いない。エルミネとティナに至っては記憶が戻っているとしか思えなかった。
「これは…驚いたわ。ルキフェルはまだしもエルミネとティナが来るなんて……それにそっちのエルフ二人は……」
アイシャが何者か尋ねる前に二人のエルフに駆け寄るものが居た。
「クラリスさん!タオ君も!」
「聖女ちゃん久しぶりっ!この前のお礼に来たよ~」
クラリスは、駆け寄ってきたマリアと抱き合い再会を喜ぶ。そんな彼らを知るのはプレイヤー達の中にも数人いたが、全員と直接面識があるのはこの場にまだ居ない彼一人のみである。
「ティナ…何そのスキル…喧嘩売ってる?」
「ナンノコトデスカ?イッテルイミーワカリマセーン」
「お願いだから…今日は二人とも喧嘩しないで…マジの戦いなんだから」
各々がマイペースなやり取りをする中、未だスキルを放たずグリフォンに乗ったままのプレイヤーが一人居た。彼を乗せたグリフォンは、ヒューガ達の攻撃により視認できていた8つの頭を失い急ぎ再生しているヒュドラに向けて突撃する。その様子を見たアイシャは、慌てて警告する。
「待って!あれには見えない頭があるから気を付けないと」
しかし、それを聞いたエルミネは慌てる様子もなく平然と答える。
「成る程成る程、じゃルキよろしく」
「はいはい…えーと、見えないんだよな?じゃあ……スキル『ファンタジーウォーター・蜜柑味粘度高め』」
ルキフェルが右手をヒュドラに向けると、彼の手の平から複雑に絡み合う巨大な魔法陣が展開し、そこからオレンジ色の流水が一直線に放たれた。その流水は、ヒュドラに命中する前に何かにぶつかるとその物体にまとわりつく。やがて、レーネ沼地に隠れていたヒュドラの最後の首が誰の目で見てもわかる形で現れた。
そして、その姿を見たルキフェルは天空を飛ぶグリフォンに乗った彼に向けて一言。
「じゃ、後は頼んだ。グレイ」