第27話 神速のゲリュア part【3】
プレイヤー集団の奥で積み上げられた木箱の上に座り此方を伺う犬の獣人アキムネ。
彼の片方折れた犬耳が左右に激しく動く様は、旧友との再会の喜びではなく、復讐相手への恨み妬みを堪えている様を思わせる。
(怖っ‥警戒だけしとくか‥‥)
いつ奇襲されても良いように右手を後ろへ回して出方を伺う。
「この敵意の数。お前の入れ知恵か、アキムネ?」
「入れ知恵? 灰里君を嫌う人間が大勢いるだけでは?」
確実に昔のことを根に持っている。現状は彼によって作り出された可能性が非常に高い。アキムネと直接の面識が無いアイシャだが、俺との関係性など全体チャットのストーリークエストクリアメンバーで容易に想像がつく。
彼女が来ていれば、俺が来ることを予見していても不思議ではない。
「あのさ、アキムネ。今回は捕獲しちゃマズいクエストだからさ‥‥」
「アイシャとか云う魔術師も同じ事を言ってたね。確かに『捕獲が失敗』という前例があるなら信じる信じない以前に迂闊な行動は避けるべきだ」
「何だ、それなら‥‥」
協力しよう。そう言いかけた俺の声を強引に遮るアキムネが口を開く。
「け、れ、ど。ここに居る奴らはこのクエストをクリアしたら難易度が上がると知っても挑む挑戦者達だ。より高難度に挑むゲーマーの鏡だ。応援してあげるのが筋ってもんじゃないのか?」
当然だと言わんばかりに周りの人々は頷いている。俺が胸中で抱いた想いは隣で聞いていたタオが代弁する。
「結局、馬鹿なんじゃないの? デスゲームで高難度に挑む理由って生きる以外にある?」
それを聞いたアキムネは、腹を抱えて笑い出し、つられて他のプレイヤー達も笑い出した。
「ある。現に灰里は仲間達と共に絶望的難易度のダンジョンに勝手に潜って見事勝利した。聞いたよ、北エリアでのこと。ライオットさんは可哀想だよねぇ」
かつて、獅子座を攻略するために毒を取りに未開拓地域へたった三人で行った事は、今思えば軽率な面もあっただろう。
結果として無事にクリアしたが、アイシャが死ぬ可能性は非常に高いクエストになってしまった。
他のエリアの人間が北エリアに到着するのを待つことすらしなかった。
「錬金術師でクリアしたことが燻ってた彼等に火を点けた。灰里君という前例があるからこそ、彼等はゲリュアをクリアしたいんだよ」
アキムネは木箱から腰を上げると、ゆっくりと歩む中で、ゲリュアを捕獲しようとする者達一人一人の肩を叩いていく。
集団の先頭まで歩くと、くるりと後ろへ振り返り、両手を横に広げて彼等を鼓舞する。
「今の君達なら、クリアした影響でどうなろうと必ず乗り越えられる!」
「「うおおおお!!!」」
街中の人が同時に叫ぶことにより、彼等は集団で一つの生き物のような豪快で覇気のある唸り声が上がる。
アキムネは再び振り返り、今度は俺達の方を向く。彼は背後から溢れ出す人々の熱量を武器に俺へ提案を持ちかけてくる。
「君に倣う後輩達を先駆者が手助けしてあげてもバチは当たらないよね?」
アキムネは山吹色の瞳で射殺すように圧力を掛けてくる。周りの熱気にも押されて否定出来る雰囲気ではない。
答えに困った俺に出来るのは、口を開けては閉じるだけの反復動作のみ。淡々と時が流れる時間を呆然として佇むのみであった。
少しずつ詰め寄られるような窮屈さに嫌気が刺し始めた頃、会話を聞いていたタオが助け舟を出してくれる。
「お二人さん。どうやら、先に片付ける用件がありそうだよ?」
雄叫びで他の音が何も拾えない状況の中、タオが口にした言葉でアキムネは周りの人々に手で静止をかける。一切に静まる不気味な沈黙が空間を支配する。
どこからかドタドタと地面を走る足音が聞こえてくる。足音は徐々に大きくなり、止まった瞬間に一人の男が目一杯の声を張り上げた。
「黄金の雌鹿が出たぞー!東の国境沿いに目撃情報アリ!」
その一声で街中の人々は起動する。武器を持ち、アイテムを確認し、仲間と共に走り出す様は動物の群れが移動するようである。群れの去った街には、三人のプレイヤーが取り残される。
「君は行かないのかい?」
ほとんどのプレイヤーが街から出ていく中で、一歩も動かず気味の悪い笑顔のアキムネを怪しんだタオは移動しない理由を尋ねる。
「生憎、俺は灰里君と同じで戦闘向きクラスじゃなくてね。本当に残念だよ」
「あの人達は、さそり座や獅子座がどれだけ恐ろしいか知らないのか?」
「知ってるわけないだろう」
さも当然のように答えるアキムネに思わず目を見開き身体を硬直させる。
「彼等はゲリュアが居れば、この先多少難しくなってもクリアに支障は無いと考えている。今まで一度もストーリークエスト‥いやシナリオクエストすらやってないような連中だけどな! アハハ傑作だ!」
再び腹を抱えて笑い出す彼は、まるで人の不幸を快楽とする悪魔のような人間になっていた。
あまりの変貌に彼と再会したら言うつもりだった言葉も今は不要と判断する。
「いつか‥‥お前に会ったら‥リミアの件は誤解だって言うつもりだったけど、訂正する。お前と彼女じゃ、釣り合わない」
「灰里‥‥その名を、その名を口にするなぁ!」
感情剥き出しで叫ぶ様子からして、地雷原を踏み抜いたのは確かである。
彼は気迫と殺意の籠もった眼で食い入るように睨み付け、懐に隠していた緋色の武装を取り出す。刀身を夕焼け色のように染めたヒートナイフを俺に向けて構える。
「お前は一人じゃ何も出来ない。誰かの後ろに居るしか出来ない奴如きが‥‥俺に指図するなあ!」
荒々しい口調で叫びつけるアキムネに余裕は無い。それ程までに、リミアは心から冷静さを失わせる存在なのだ。
「グレイ。中々苦労する友人を持ったね」
「あぁ、昔はこんな小者だと思わなかったよ」
俺達が憐みの視線を送ったように見えたのか、アキムネは狂気が溶け込んだ表情で上擦る声のまま喋り出す。
「まぁでも丁度良い‥灰里君達へのお返しは考えていたんだ」
やがて、アキムネは一心不乱にメニュー画面を弄り始め、とある画面で文字を打ち込み始める。一心不乱に打ち込み続ける間、彼はここには居ない彼女への悪態をつく。
「あの女もそうだ‥人のこと下に見やがって‥‥お前ら纏めてここで地獄に落ちろ!」
そうして、一頻りの暴言を吐いた彼は全体チャットに思いもよらぬ爆弾を投下する。
(一体何を‥‥)
内容を閲覧した俺は、彼のえげつない手法に動揺を隠せない。
「おまっ‥‥俺とリミアの‥‥根も歯もない嘘をばら撒いたのか‥‥?」
全体チャットや掲示板に書かれた嘘は主に、過去に初心者を罵倒して引退させた等の人格的問題を挙げていた。
しかし、リミアに関しての嘘は度を越していた。
『リミアというプレイヤーは過去に有名な男性プレイヤーに擦り寄り、取っ替え引っ替えしていた。果ては———の関係まで‥‥』
「これ‥酷いね。この噂は嘘‥でしょ?」
「当たり前だろ‥‥」
隣で見ていたタオも苦い表情になる。知人すらこの反応なら見知らぬ何万何十万というプレイヤー達はもっと敵対的な感情を持つに違いない。
そして、リミアがこの現状に苦しむことがアキムネの復讐なのだろう。
(ここまで‥やるのか‥‥)
過去のリミアが正しいことをしたとは思えない。故に、やり返されるのは仕方ないと言える。
だが、これでは彼女が笑い者ではなく、白い目で見られるだろう。自分がコケにされた仕返しに、人の
「リミアのやった事はここまでやるものか‥‥?」
「被害者にとって大小は関係ないんだよ。嘘でコケにされたなら仕返しも嘘。これであの女が泣いて許しを請うなら‥まぁ、削除してやってもいいかな」
「———そうか」
俺はアキムネに対して何も言わず、タオを引き連れて街の東側へと出る。
顔をうつ伏せたまま黙っていることに不満げなタオは、街を出たところで腕を掴み無理やり歩みを止めさせ、自身の怒りを露わにする。
「何だよ!何も言い返さないの?」
灰色の青年は何も答えない。
「あのねぇ、いくら何でも君甘すぎるんじゃ‥‥」
ふと、タオが目の前のグレイを見上げると、彼は唇を噛みしめ握り拳を爪が食い込むまで力を入れていた。
漸く開いた口からは、グレイらしからぬ怒りの思いが込められた言葉が溢れ出す。
「あの野郎‥後悔させてやる」
「——ま、いっか。それでゲリュアはどうするの?」
「鹿を出してくれ。今日で決着をつける」
俺は狂いそうな感情をギリギリ寸での所で堪えながら、今までで最も強力な毒矢を創り出す。
「切り札使うぞ‥性根を叩き‥‥いや、トラウマにさせてやる」
タオは心の中で街に到着したアイシャに言われた事を思い出していた。彼女はプレイヤー達の行動を抑えられず、背後にアキムネが居ることを察知すると、タオに伝言を残して連れてきた仲間と共にゲリュア討伐へ向かった。
(成る程。「グレイを呼べば直ぐ終わる」っていうのは、このやり取りを予期しての事か)
光よりも速く駆ける鹿の上でクエストの始まりを知らせる合図が鳴り響く。
「これより、シナリオクエストG『優美なる鹿を捕獲せよ』を開始します」




