第22話 方舟の鯨座 part【8】
≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿まで後400メートル地点
肩で息をしているシオンは左手で汚れた宝箱を掲げていた。視線は下方で衣服をひん剥かれて地べたに寝そべるユウへと向けられている。その瞳に少し怒りが込められているのは、彼が予想以上にえげつない抵抗をした事に起因する。
「や、やっと奪い取ったわよ‥開き直ってセクハラまでするなんて‥‥」
「すみません‥ヒューガさん!」
ユウはシオンから宝箱を奪われた瞬間、絶対無敵の加護を逆手に取って掴みかかり押し倒してまで取り返そうとした。
「なに、正々堂々と戦った感出してるのよ。胸掴んで来た癖に‥」
シオンは男らしい悔し涙を流すユウに冷ややかな視線を送る。やがて、見ているもの馬鹿らしくなり、手に取った宝箱をエンヴィアの元へ運ぼうとする。その時、シオンが違和感を抱いたのは宝箱の軽さだった。振っても音はしない。木箱相応の重さで軽すぎる。違和感は不信へと変わり、興味本位で鍵もかけられていない宝箱を開けていた。
「か、空っ!?」
「あ、妙に軽いと思ったらホントに空だったんだ」
ケロッとした表情のユウに対して、顔面蒼白のシオンは取っ組み合いで揉みくちゃになった時に落としたと思い、しゃがんで草の根を分けながら辺り一帯を捜索し始める。背中を向けられたユウはシオンに攻撃など加えようとは考えず、一人中身の行方を模索していた。
(ヒューガさんが中身抜き取ってたら勝ってるし――――あ、まさか‥)
ユウは脳内に浮かんだ人物が仕組んだ事だと察し、そこから今の自分に出来ることを逆算すると、迷いなくシオンに飛びかかる。
「ちょっ!邪魔っ!」
「させないさせない、させなーい!」
腕や脚に絡まりつくユウを払いのけながらシオンは宝箱の中身を捜索し始める。
◇◇◇◇
≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿まで後900メートル地点 ミラ川
爆雷と爆炎によって土煙が巻き起こり、衝撃の余波で大気は痺れている。
月下は腰が抜けて尻餅をついてしまい、マナロは固唾をのんで見守る。
「ふむ‥無理か‥‥」
ロイヴァスが呟くと、土煙が晴れて爆心地があらわになる。
一際目を引くのは、黒焦げの姿になりながらも右手に掴んだクロスボウを手放さず、両の足でしっかりと地面を踏んでいるポーラスの姿である。
(何で生きて‥あれ?)
驚きに言葉を失うが同時に違和感をマナロは覚えた。ポーラスの象徴とも言える馬の頭の一部が剝がれ落ち始めている。その奥には馬ではなく傷1つない人の肌が見えている。反対に、人であった部分も剝がれた奥からテカテカと艶のある馬の皮が現れる。
「ポーラスってあんなに強かった‥?」
月下がヒューガと旅した期間は短いものの、ポーラスと出会ったのは自分が加わってから。ほんの一週間もないはずである。旅の間に幾度か彼の戦闘を眺めたことはある。だが、彼はお世辞にも上手い弓使いとは言えない。レベルも70程度でこの四人の中で最も低いだろう。その彼が、今一番この場で恐ろしい。
若干、引き気味の月下と異なり、ロイヴァスはポーラスに興味津々であった。
「明らかにオーバースペックなスキル‥‥強力な再生能力なのにテクスチャは再生失敗する不完全性」
ロイヴァスは探偵のように目を閉じて考え込む。彼の包帯から唯一見えていた赤い瞳まで消えると、異質な見た目にミイラのような怖さが加わり近寄りがたさが増していた。
「あぁ、そうか‥単純な事だった。一杯食わされたねこりゃあ」
答えが見つかったのか瞳に赤の輝きが戻り、帽子をかぶり直すと何度も頷く。月下は、全く状況が読めないので腰に両手を置き苛立ち混じりの声で説明を求める。
「一人で納得しないで説明して欲しいんですけど」
「ごめんごめん。ほら、彼の左手の小指に嵌められている物が見えるかい?」
月下とマナロが目を凝らすと、ロイヴァスが言う通り焼け焦げたポーラスの左手には唯一錆びも焦げもない銀の指輪が嵌められている。
「指輪‥‥ですか?」
「正解だ。アレね『女神の宝石箱』。ユウ君が拾う前に中身を抜き取ってたんだねぇ。まさか報酬自体がお宝とは」
思わず二度見するマナロ。エンヴィアがお宝と言っていたアイテムがあんなにも地味な見た目をした指輪とは思ってもみなかった。しかもそれが、報酬である『女神の宝石箱』である。
「確かに開けてはいけない、中身を見てはいけない、装備しちゃいけない、なんて言ってなかったね」
「さっき無敵になったのは‥‥」
「『女神の宝石箱』の一つ『牡丹一華のブローチ』の超再生能力だね。アレ人体だろうと8割までしか再生できないから、消し炭から再生した際にアバター全部は再現出来なかった」
はっきりと断言するロイヴァス。マナロ達に『女神の宝石箱』の知識はそれほどない。むしろ皆無である。なので、ロイヴァスがこの説明で全てを話していなかった事に気づいてなかった。
「え、じゃあさっきの肉弾戦は?」
「おそらく『全能の籠手』だろう。グレイなら知見もあるし直ぐに気付いたはずだ」
言われてみれば、殴られる瞬間に何か武装しているような気はした。しかし、僅かな時間の攻防では一々目が回らない。じっくりと観察したことのない月下には土台無理な話である。
「だがまぁ‥もう勝負はついたよ。マナロ君、指輪を取りに行きなさい」
「まだ立っていますけど‥大丈夫ですか?」
「シオン君ほどではないけど雷系統だからね。麻痺はさせられるさ」
ロイヴァスの言葉を聞いてマナロが再びポーラスを見つめると、確かに身体中を稲妻が走り回っている。指先を動かそうと必死にもがいているが、稲妻が走る度に硬直していた。
「グレイが毒を扱うように私は麻痺を扱える。そんなに長くは止められないぞ?」
急かされたマナロは川を渡り始める。何とか立ち上がった月下も自然と後をついて行った。ただ、彼女の場合はあれで生きているポーラスの状態が気になってしまい知的好奇心に負けた形であるが。
ポーラスの元にたどり着いたマナロは早速左手に触れて指輪を抜こうとする。
その時、痺れて動けない筈のポーラスの口から何かの言葉が耳に届いてきた。マナロは反射的に手を引っ込める。
「―――――――」
「何か言ってる?」
少し離れていた月下の位置からはポーラスの声が小さすぎて聞き取れず、目の前のマナロが取るのを躊躇ったように見えていた。
「どうしたのマナ?」
「月下さん、ポーラスさんが今何か‥‥」
月下の方へ振り返り、ポーラスのことを相談しようとした矢先。マナロのみが聞き取れる声量でポーラスが呟いた。
「マナ‥ロ‥‥射手‥‥座」
ポーラスが知るはずのない言葉。全身から一気に血の気が引く。指輪を取る筈の腕を引っ込めて狙いを動けない彼の額にくっつけて弓を構える。
「な、何してるのマナッ!」
月下の静止も耳に入って来ない。彼女の頭にはポーラスが呟いた射手座の言葉が駆け巡る。ギリギリと弦をしならせ強く引いた弓矢は手を離せば間違いなく頭部を撃ち抜く。ポーラスは、それが望んでいた事だと言わんばかりに痺れで痙攣しながら口元を歪める。
「あんたは‥‥助からない」
「ッ!!何をっ!」
対岸でマナロの異変を察知したロイヴァスは、ポーラスの左手が淡く輝き始めたのを視認し、大声で二人に警告する。
「マナロ君!離れろ!!」
ロイヴァスの声も虚しく、ポーラスの痺れはマナロが重心を後ろへ移動するまでの一秒で解除される。続けて、彼の腰には宝石の散りばめられた美しい宝帯が現れる。そして、ノーガードのマナロに向けて彼にとっての最後の攻撃を撃ち放つ。
「『女神の宝石箱』‥『美神の宝帯』‥‥自分を‥ポーラスを永劫憎め」
スキルが発動した直後、煌びやかなベルトにマナロの意識は吸い込まれる。目を開けると、そこは音も光もない冷たい真っ暗闇の中。全身を痛みや痺れが襲い、呼吸するのさえ辛くなる。
(何? 前が見えない。何も聞こえない。頭が痛い。胸につっかえを感じる。手足に微かな痺れ。苦しい、座りたい、逃げたい、助けて)
孤独の恐怖に耐えきれず涙を流しそうになる寸前。一筋の光が彼女を導くように顕現した。眼を見開いて光の先へ手を伸ばすと、視界が元に戻る。ポーラスの額に弓矢を突き付けている自分と、その自分を止めようとして肩に手を置く月下。
(あぁ、何だ‥大丈夫だった‥‥)
先程のは幻覚系統の攻撃だろう。頭が混乱しているが、身体に問題はない。
(そうだ、何しているんだろう‥早くこの馬男を殺さなきゃ)
人が黒く光る蟲を嫌悪するように、マナロはポーラスを扱い、躊躇なく矢を放つ。
「間に合うか‥爆破曲『正の星屑』」
ロイヴァスの音に乗せた爆破がマナロ達を纏めて爆破する。その衝撃に両手で防御姿勢を取る月下とは裏腹にマナロは衝撃で吹き飛びながらも、視線は矢が額を貫き消えかけているポーラス一点に縛り付けている。
彼は死ぬ。それは矢が直撃した時点で全損したHPからも見て取れる。
理由は不明だがこれ以上ない程に憎悪する相手の最期が知りたかったのだ。そんな馬男ポーラスの最期は幸せそうな表情で今までの彼からは考えられない饒舌な言葉であった。
「次は自分じゃない。ユノの指令はこれで果たせた‥」
爆風に吞まれた彼は粒子となって天に消え去り、銀色の地味な指輪がドロップアイテムとして落とされた。
こうして、NPCポーラスはプレイヤー『マナロ』によりこの世界から葬られた。




